中学2年生、冬(2)

 最初になくなったのは、上履きだった。

 次になくなったのは体操着。その次は教科書。全部ゴミ箱から出て来て、教科書はボロボロになっていた。回復不能な実害が出てしまったので僕は担任の先生に報告し、先生はクラス全体に注意を出し、それから物は無くならなくなって、そのかわり机やノートに落書きされるようになった。本当にくだらない。

 主犯は分かっている。理由も予想がつく。だけどどうする気も起きないのは、どうでもいいからだ。落書きで済んでいるうちはいちいち構うのも面倒くさい。僕が直面しているその他の問題に比べて、あまりにも些事すぎる。

 だから、登校したら机の上にその辺で摘んだっぽい椿の花が無造作に置いてあっても、バカみたいだと思うだけでそれ以上は特に何もない。

 僕は椿を手に取り、半田の方を見やった。こっちを向いて「してやったり」という風に仲間たちとニヤけている姿を確認し、見なければ良かったと後悔する。どうしてこのへんてこな仕掛けで僕にダメージを与えられると思うのだろう。せめて花瓶かキク科の花か、どちらかを用意する程度にはディテールに凝って欲しい。

 教室の後ろに向かい、ゴミ箱に椿を捨てる。ゴミ箱の近くから教室全体を眺め、みんな無人の机に椿の花が置いてあるシュールな画とずっと付き合ってたんだよなと考えると、何だかこの空間いること自体が阿呆らしく思えてきた。そのまま近くの扉から廊下に出て、文化祭で作業をサボる時によく使った、屋上前の踊り場に向かう。

「待って!」

 甲高い声が、背中から僕を呼び止めた。君が追って来たら泥沼だろうに、どうして来ちゃうかな。行動が好意から来ている分、半田より厄介かもしれない。

「細川さん」

 僕は振り返り、声の主の名前を呼んだ。細川さんが早足で駆け寄って口を開く。

「あのね、さっきのあれなんだけど――」

「半田でしょ。分かってるからいいよ」

 離れてもらいたくて、突き放すような言い方を選んだ。細川さんがグッと怯む。だけど離れることはなく、俯いて廊下に呟きをこぼした。

「ごめん」

「……なんで謝るの?」

「花、捨てられなかったから。怒って出て行くのも仕方ないかなって……」

 ――ああ、そういう解釈をされたのか。確かにそう見えなくもない。

「別に怒ってないよ」

「そうなの?」

「うん。呆れちゃっただけ。だいたい細川さんが半田の前であの花を捨てたら、まためんどくさいことになるでしょ。だから捨てないでいいよ。そっちが正解」

「……そうだね。元々、半田くんと揉めたのもわたしのせいだもんね」

 細川さんが大きく肩を落とした。――どうして、いちいち解釈がネガティブなんだ。勘弁して欲しい。

「細川さんのせいじゃない。僕と半田の問題だよ」

「でも、わたしをかばって――」

「あれは僕がイラついただけ。何でもかんでも自分中心に考えないで欲しいな」

 厳しめの言葉を吐く。細川さんが肩をすくめて縮こまった。

「我慢できなくなったら僕が動くよ。だから、気にしないで」

「……うん」

 細川さんが小さく首を縦に振った。僕は細川さんに背を向けて、その場から立ち去る。予定通り屋上前の踊り場に行き、スマホで時間を確認すると、朝のホームルームまであと十五分もあった。学校の滞在時間を減らすため、明日からはもっと登校時間を遅らせた方がいいかもしれない。

 冷たい床に腰を下ろし、冷たい壁に背中をつける。体温を下げ、冷静になって考えると、やっぱり少し心に余裕がなかった。教室から出て行くまではまだしも、心配して追ってきてくれた細川さんをあんな風に突き放す必要はない。

 誰かに相談するべきだろうか。しかし、相談する相手がいない。父さん母さんは論外。細川さんは僕が導く側になってしまう。兄ちゃんもダメだ。相談すれば兄ちゃんは真剣に考えて、答えてくれるだろう。大人として僕を導こうとするだろう。結果、大人と子どもという関係性が強化される。それは避けたい。となると――

 ――ジュン。

 ファンレターに返信をして、メッセンジャーで繋がった、顔も知らない友人のことを思い浮かべる。相手は現役の学生だ。学校内の人間関係のわずらわしさについては思うところがあるだろう。年齢を偽ったままだから素直に相談はできないけれど、それとなく話を聞いてみてもいいかもしれない。

 ジュンのことを考えるのは楽しい。ジュンと話すのも楽しい。十四歳の中学生として学校にいる時より、二十歳の男としてジュンと話している時の方が、僕は僕らしくなれている気がする。

 ジュンも学校は嫌いだろうな。想像して、笑みがこぼれる。それから僕はジュンの人間像を好き勝手に思い描き、予鈴が鳴って教室に戻る頃には、半田のことなんて頭の片隅にも残っていなかった。


   ◆


『嫌いかな』

 モニターに浮かんだ返事を見て、僕は小さく「よし」と呟いた。予想通りだ。まあ、ジュンがここで『学校? 大好きだよ』と言ってくるような人間だったら、僕と彼が友人になることはなかっただろう。

『どうして』

『息苦しいんだ。ここは僕の居場所じゃないと思うことがよくある』

『例えば、どういう時?』

『恋愛の話をしている時とか』

 分かる。年上のお兄さんという設定に従い、共感をひねった形で伝える。

『学生は好いた惚れたの話が大好きだからね。僕にも覚えがあるよ』

『本当だよ。誰が誰を好きでもどうでもいいと思うんだけど』

『気になるんだよ。良くも悪くも』

 悟ったようなことを打ち込み、文字になった言葉を後から自分で解釈する。そうだよな。気になること自体は悪くない。問題はその方向性だ。

『君はミステリアスで魅力的だから、気になる人間も多いだろう。僕もその一人だ』

『女の子から聞かれたことはないよ』

『男の子が君をそういう意味で気にしている可能性だってある。自分だけが特別な人間だと思い込むのは悪い癖だぞ』

『それはそうだけど、ないって』

『かたくなだな。まあ、いい』

 話を切る。そして、誘導。

『君は学校の人間関係は苦手そうだね』

『まあね。得意になる理由がないから』

『そんな風だと、悪意をぶつけられたり、疎まれたりすることもあるんじゃないか?』

 返信が止まった。モニターを見つめ、急かさずに待つ。やがてチャットウィンドウがスライドし、新しいメッセージが届いた。

『そういうのはないよ。そこは上手く合わせているから』

 合わせている。

 メッセージからジュンの性格を読み解く。嫌われないように学校のやつらに合わせる。僕にはあまりない発想だ。カミングアウトしていないのも注目を浴びたり色眼鏡で見られたり兄ちゃんに迷惑がかかったりするのがイヤなだけで、みんなの輪から外れたくないわけではない。そもそもカミングアウトするまでもなく、輪からはとっくに外れている。

 どうやら僕とジュンは似た者同士だと思っていたけれど、違うところはしっかり違うらしい。学校が嫌いなのも僕は「合わないから嫌い」だけど、ジュンは「合わせるのが大変だから嫌い」なのだろう。となると――

『そうか。それは何よりだ』

 僕は話を打ち切った。ジュンが合わせるタイプなら、これ以上は探ってもあまり意味が無い。僕は半田と仲良くしたいわけではないのだ。むしろ逆に、どうやったら離れられるかを考えたい。相手の敵意も好意もゼロにする方法が知りたい。そしてそのヒントはおそらく、ジュンからは出てこない。

 やがて、チャットが終わった。机から離れ、ベッドに仰向けになり、天井の照明を見つめながら考えを巡らせる。今日のジュンとの会話に既視感があった。僕と感性は同じだけど、根っこは違う。だから雑談をしているうちはウマが合うけれど、深いところに触れると違いが浮き彫りになる。この感覚、間違いない。

 兄ちゃんだ。

 ジュンも、兄ちゃんも、他人の引いた線に沿って生きようとしている。他人が決めた「普通」に拘っている。僕にはそれが分からない。そんなことをして何の意味があるというのだろう。自分自身が苦しむだけなのに。

 目をつむる。暗闇の中、僕と二人の違いは何だろうと考える。そのうち「僕が中坊のガキだから」という答えに辿り着きそうになったけれど、僕は即座に却下して、ブログでも書こうとベッドから下りて机に戻った。

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