中学2年生、冬(1)
凍てつく風が、白い吐息を散らした。
コートのポケットに手を入れ、鉛色の空を見上げる。頭の中にブログに書く文章を思い浮かべ、薄く広がる雲の上に投影させる。最近は暇があればこればかりだ。どうやら僕が思っていた以上に、僕は文章を書くのが好きだったらしい。
早くアウトプットしたい。その気持ちが下校の足を急がせる。家に着いたらまっすぐ二階に上がり、自分の部屋へ。机の上のノートパソコンの電源を入れ、カリカリとハードディスクが動く音をBGMに部屋着に着替える。
ノートパソコンが立ち上がった。テキストファイルを起動させて文章をタイプしながら、ブログで紹介する予定のQUEENの曲をヘッドホンで聴く。闘病ブログとして始めたブログだけど、その話をメインに書いていたのは最初だけ。今やすっかりただの音楽紹介ブログだ。そうなった理由は、兄ちゃんが読んで感想をくれるから。
兄ちゃんとはもうしばらく会っていない。父さんの手でスマホに行動監視用のアプリを入れられてしまったから、こっそり会いに行くのも難しい。それどころか電話やLINEで連絡を取り合うことすら危ういので、今はノートパソコンでメッセンジャーを使って会話をしている。ブログの記事を上げた後、メッセンジャーに兄ちゃんからのメッセージが届く瞬間の喜びが、今の僕を生き長らえさせている全てだ。
この状態がいつまで続くのか。少なくとも中学を卒業するまでは何も変わらないだろう。高校に入っても変わる理由はない。そこから先は変化があるかもしれないけれど、だとしても四年はこのまま。考えるとため息が出る。
テキストが書き上がった。ウェブブラウザを開き、ブログを投稿する前にフリーメールを確認する。新着メールが一通。どうせ何かの宣伝だろうと、何の注意も払わずにメールボックスを覗く。
『はじめまして』
宣伝らしからぬタイトルに、僕は眉をひそめた。とりあえず開いて中身を読む。読んでいくうちに、真顔になる。間違いない。これは――
――ファンメールだ。
相手は高校生の男子。僕と同じように同性愛者で、僕と同じように年の離れた男の人と付き合っていて、僕と同じようにQUEENが好きらしい。僕のブログに共感を覚えてメールしたと書いてある。僕の書く文章が格好良くて好きだ、とも。
僕は椅子から立ち上がり、部屋をぐるりと一周した。そしてもう一度椅子に座って、モニターをじっと眺める。無意味な行為で感情を発散させようとして、だけど発散しきれず、今度は自分の髪の毛をくしゃくしゃとかき乱す。
どうしよう。
嬉しい。
ブログの記事を書いたテキストファイルに、メールの返信を下書きする。貰ったメールを読み返しながら、書いて消してを繰り返す。そして僕は久しぶりに、本当に久しぶりに、兄ちゃん以外のことを考えて笑っている自分に気づいた。
◆
夕方、兄ちゃんからメッセンジャーで話しかけられた。
ブログについてしばらく話した後、ファンメールのことを兄ちゃんに教える。兄ちゃんはすぐに『良かったじゃないか』と淡泊な返事を寄こした。もう少し驚いてくれてもいいのに。ちょっと不満。
『それで、返信したのか?』
『まだ』
『どうして』
『どう返事すればいいか分からないんだ。年齢、嘘ついてるし』
だから教えてよ。そこまでは打ち込まないで待つ。思った通り、兄ちゃんはわざわざ聞くまでもなく、僕にアドバイスくれた。
『メール貰って嬉しかったんだろ?』
『うん』
『じゃあそれを伝えるだけだろ。簡単なことだ』
『それはそうだけど、メールが長かったから長めの返信を送りたいんだ。「嬉しいです。ありがとう」だけじゃ、つまらないでしょ』
『なら、お前が感じた「嬉しい」を深堀りすればいい』
『深堀り?』
『そう。自分がどうして嬉しかったのかを考える。感情の解像度を上げて、言語化するんだ』
解像度を上げて言語化。僕は目をつむり、最初にメールを読んだ時の気持ちを思い出そうと試みた。分かりやすく嬉しかったのは文章を褒められたこと。それから――
『理由、二つあるかも』
『言ってみ』
『一つは、ブログの書き方を格好良いって言ってくれたこと』
『なるほど。もう一つは?』
『僕と同じような人間が、この世にいたこと』
兄ちゃんの返事が止まった。僕は構わず文章を打ち込み続ける。
『ペガサスとか、ユニコーンとか、そういう空想上の生き物を見つけた気分だったんだ。僕みたいな人間がこの世に他にもいて、ちゃんと生きてて、それだけでなんか嬉しかった』
曖昧だ。もう少し解像度を上げた方がいいだろうかと、自分の中にダイブする。だけどその答えを見つけるより先に、兄ちゃんから返信が来て、ダイブは一時中断された。
『分かるよ。俺にもそういう経験はある』
『兄ちゃんも?』
『ああ。きっとお前にメールを送ってくれた高校生の子も同じだよ』
あっちも同じ。そう言えば、メールに共感したと書いてあった。僕に共感するのだから、僕が共感したっておかしくはない。なるほど。そういうことか。
『学校じゃあ、なかなかそういう感覚は味わえないからな』
学校。イヤな単語を目にして、思わず背筋が伸びた。
『学校は相変わらずなのか?』
『うん』
この話が続いたら強引に打ち切ろう。そう考えながら兄ちゃんの言葉を待ち、『勉強はしてるのか?』と話が逸れて安堵する。それから間もなく、一階の母さんから夕食に呼ばれて僕たちの会話は終わった。ノートパソコンをシャットダウンして立ち上がり、床に置いた学生鞄が視界に入って足を止める。
――学校、か。
僕は学生鞄を開き、中からノートを取り出してぱらぱらとめくった。筆圧の低い黒鉛の文字が続く中、唐突に黒マジックで書かれた文字が現れて手を止める。ノートのラインをまるっきり無視して殴り書きされた言葉は、決して僕が書いたものではない。こんな書くだけで頭が悪くなりそうな言葉、僕は絶対に書かない。
『バーカ』
『死ね』
『学校やめろ』
ため息がこぼれた。怒りや悲しみより先に、圧倒的な呆れを覚える。確かに兄ちゃんの言う通り、これに共感するのは無理だな。そんなことを考えながら、僕はノートを閉じて鞄の中にしまい、部屋の外に出た。
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