最強のおれ/わたしたち(3)
「頂上だ!」
夜景を見下ろして叫ぶ高岡くんに、わたしは「そうだね」と言葉を返した。頂上とその直前で景色なんて大差ないだろうに、すごいテンションだ。あべのハルカスの時も通天閣の時も同じだったし、高いところが好きなのだろうか。いや、でも一番ハイテンションだったのは新世界だから関係ないな。常にテンションが高いだけだ。
「ビルの高さもあるからたけーな。小野っち、大丈夫かな」
「大丈夫でしょ。富士急の時も平気だったし」
「あん時の小野っちの彼女に聞いたんだけど、観覧車に乗ってる間、単語三つぐらいしか喋ってなかったらしいぞ」
「ほんとに?」
「ほんとに」
だとしたら、想像以上だ。問題はゴンドラの振り分けで高いのは平気みたいなことを言っていたけれど、あれは無理をしていたのだろうか。だったらそう言えば観覧車ごと中止になったかもしれないのに。見栄っ張り。
「あっちは、大丈夫かな」
高岡くんが後ろを向き、一つ先を行くゴンドラを見やった。安藤くんと五十嵐くん。わたしは若干不安を感じつつ、それを隠してあっけらかんと答える
「あれだけ手助けしたんだし、平気だよ」
「そうだな。あんだけやってまだダメなら、もう純くんはオレが貰うわ」
「それ、わたしはどうなるの?」
「大丈夫。第一婦人の方だから」
「王位継承するわけでもないのに順位で勝ってもねえ」
「それもそーだな」
高岡くんがけらけらと笑った。わたしはほんの少し、顔を伏せて尋ねる。
「ねえ」
「ん?」
「怒ってないの?」
叱られている子どもみたいに、わたしはさらに顔を伏せた。降下するゴンドラに合わせ、固い床に言葉を落とす。
「わたし、安藤くんのこと、吹っ切れてなかったのに」
静寂がゴンドラに満ちる。詰め込まれた空白が肺を圧し潰す。「何もない」がある、不思議な空間。
高岡くんの声が、静寂を貫いて、わたしの耳に届いた。
「怒っても、意味ないから」
顔を上げる。決まりが悪そうに、高岡くんがわたしから目を逸らした。
「オレ、三浦と付き合うまで、好きなやつと付き合ったこと無かったんだよ。なんかオレが好きになるやつって、いつもオレのことを好きじゃないんだ。まあそれは三浦も同じで、純くんのこと好きだって知った時は、またこのパターンかよって思ったんだけど」
「……ごめん」
「そこは謝るところじゃないっしょ。しょうがないじゃん。そんで、ぶっちゃけオレってそこそこモテるから、そういう時にそんな好きでもない子から告られて、好きになれるかなと思ってつきあっちゃったりするの。でもやっぱ、上手くいかないんだよね。それで別れて、傷つけてみたいなこと、繰り返してた」
高岡くんがわたしの方をちらりと見やる。助けを求めるような目つき。
「つまり、自分も同じようなことしてるから、他人のこと言えないってこと?」
「うーん……それもあるんだけど……これ、言っても引くなよ」
声のトーンが、少し下がった。
「つきあってる子は、そのうちオレに好かれてないの気づくじゃん」
「うん」
「それで怒られるのよ。『ちゃんとこっちを見ろ』みたいな。でもさ、申し訳ないけど、びっくりするほど心が動かないわけ。むしろ言われれば言われるほど、無理感マシマシっていうか……」
高岡くんが身を引いた。固いシートに深く腰かけ、中空を見上げる。
「結局さ、好きになれとかなるなとか、人の気持ちを直接コントロールしようとしても無理なんだよ。そういうズルは出来ないんだ。だからオレは、三浦にもそういうことは言わない。三浦が純くんを吹っ切れないのはオレの力が足りないせい。これは三浦の問題じゃなくて、オレの問題だ」
視線が正面に戻った。高岡くんがわたしを見つめ、ニッと白い歯を見せて笑う。
「オレの問題なんだから、オレが解決するよ。だから、黙って見てろ」
前向きにかかっていた慣性が、後ろ向きに変わる。三時の位置を過ぎた。視界の端で輝く夜景が、もうゴールが近いぞとその大きさで語りかけてくる。
ありがとう。
頭の中に散らばるカードをめくって出てきた言葉を、口にしないで伏せる。そうじゃない。高岡くんは「自分の問題」「黙ってみていろ」と言ったのだ。だからわたしが言うべき言葉は、感謝じゃなくて――
「期待してる」
高岡くんが胸を張り、右手で心臓のあたりをドンと叩いた。
「任せろ」
頼もしい言葉に、わたしはなぜか笑ってしまった。高岡くんが上体を前に傾け、指を一本立てる。
「じゃあさ、そのために一つ頼みたいことがあるんだけど、いい?」
「話次第だけど……なに?」
「名前で呼ばせて」
立てていた指を、高岡くんが自分へと向けた。
「あと、オレのことも名前で呼んで。それは純くんともやってないだろ?」
――やった。でも言わない。質問には答えず、要求に応える。
「亮平が呼びたいなら、いいよ」
思っていたより、気恥ずかしかった。照れるわたしの前で、高岡くん――亮平が口を開く。
「ありがとう、紗枝」
人生で初めて、呼ばれたわけではない。
お父さんもお母さんも宮ちゃんも他の友達も、わたしに近しい人はわたしのことをだいたい名前で呼ぶ。むしろ苗字や愛称で呼ばれる方が珍しい。だけど、初めての響きだった。言葉に込められた意味が、言葉の響きを変えていた。
安藤くんに呼ばれた時も同じだった。初めての響きだと感じた。だけど今回はそれともまた違う。新しい、二つ目の初めて。
――そうか。
「わたし、『名前をつけて保存』タイプなんだ」
「え?」
「何でもない。こっちの話」
首を振る。亮平が「なんだよ」と口を尖らせる。その表情がやけにかわいくて、わたしたちの「問題」はすぐ解決するかもしれないと、そんな楽観的なことを考えた。
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