最強のおれ/わたしたち(2)

 休日の夜ということもあり、ヘップファイブの屋上はそれなりに混んでいた。

 最後の望みをかけたのか、小野が「混んでるし止めねえ?」と言ったけれど、高岡に「いいじゃん。どうせバスはまだ来ないし」と一蹴された。周りは恐ろしいほどにカップルばかりだし、気持ちは分かる。もっとも傍から見た時の話ならば、おれと純もだいぶ場違いになってしまうけれど。

 チケットを買い、観覧車の列に並ぶ。列はぐんぐんと進み、すぐにおれたちの番になった。まずはおれと純が二人でゴンドラに乗り込む。係員は男二人という違和感なんか全く気にすることなく、ひよこの雄雌を選別するぐらい機械的な手つきでゴンドラの扉を外から閉めた。

 純がゴンドラのベンチシートに座った。おれはその正面に座る。何となく気まずくて、せわしなく視線を動かすおれの前で、純が自分の背後に設置してある細長いスピーカーを撫でた。

「これ、何だろ」

「秀則に聞いたことあるわ。プレイヤーと繋げたら好きな音楽流せるようになっとるらしいで」

「そうなんだ。何か流す?」

「持っとんのか?」

「繋がるかどうかは分からないけどね」

 純がスピーカーから伸びているケーブルを手に取った。そしてコートのポケットから音楽プレイヤーを取り出し、巻き付けてあるイヤホンを外してケーブルを接続する。しばらく音楽プレイヤーを弄った後、スピーカーから流れだした曲は、落ち着いた雰囲気の洋楽だった。

「なんやこれ」

「たぶんサビまで行けば分かるよ。そういう曲を選んだから」

 耳を澄ませる。ピアノとベースと湿っぽい声。悪くないと思っていた矢先に、ギターとドラムが合流して空気が一変する。ボーカルの声もだんだんと大きく、力強く成長していき、そして――

「あ」

「分かった?」

「えーっと、あれや。『ウィー・アー・ザ・チャンピオン』」

「正解。正確には複数形だから『チャンピオンズ』だけど」

 純が得意げに笑った。子どもっぽい。かわいい。ただムード用のBGMとしては失格だ。景色と相まって爽快感はあるけれど、おれが今求めているのはそういうものではない。

「もうちょいムーディーな曲流そうや」

「これでも有名曲の中では、抑え目のやつを選んだつもりなんだけど」

「別に知らんでもええやろ。BGMなんやから」

「そう? じゃあ、次に期待して。ランダム再生にしてるから」

 純がうっとりと目を細めた。本当に好きなのだと分かる、音に聴き入っている表情。その世界に入り込めていないのが悔しくて、どうにか割り込もうと試みる。

「この曲、なんでWeなんやろな」

 眠るように曲を聴いていた純が、まぶたを大きく上げた。

「どういうこと?」

「だって、チャンピオンって普通は一人やろ。『アイ・アム・ア・チャンピオン』の方が自然やん」

「確かに……面白い見方だね、それ」

 褒められた。はにかみながら言葉を返す。

「ずっと塩対応やったから、いきなり褒められると照れるわ」

 純の眉がぴくりと動いた。そして俯き、膝の上に声を落とす。

「色々あって、反省したんだ」

「色々?」

「明良がマラソンしてる間、元カノに説教された。勘違いを放置して人のこと試す前に、自分は信用されるようなことをしたのかって。それで、全くしてないことに気付いてさ。明良に悪いことしたなって思ったんだ。だから今日のことだけじゃなくて……ごめん」

 純が頭を下げた。いきなりのしおらしい態度に、おれは戸惑いながら口を開く。

「気にせんでええって。おれも問題あったし」

「明良が?」

「おれもお前に『おれの前では無理するな』って言うたやろ。でもおれのこと気づかえとか、嫉妬するから昔のダチに近寄んなとか、むっちゃ無理言ったやん。だから、おれの方こそ……すまん」

 今度はおれが頭を下げる。ゆっくりと頭を上げると、さっきのおれと同じように戸惑っている純と目が合った。二人で唇の端を歪め、お互いがお互いを許したことを伝え合う。

「そろそろ頂上だね」

「そやな」

「僕、元カノとは告白されて付き合ったんだけど、告白された場所は観覧車だったんだ。てっぺんのところでキスをして、OK出した」

 ギョッと目を剥くおれに向かって、純が不敵な表情を浮かべた。

「上書きしてよ」

 上書き。

 おれはごくりと唾を呑み、シートから立ち上がった。純は目を閉じ、顎をわずかに上向かせる。ここまで来ればもう疑う余地はない。ゴンドラを揺らしながら、一歩分にも満たない距離を縮める。

 いつの間にか、BGMがスローテンポのバラードに切り替わっていた。知らない曲だ。歌詞も聴き取れない。だけど雰囲気だけは、否応なく盛り上がる。

 頬に触れる。滑らかな感触が指先に伝わる。顔を近づける。吐息が薄く鼻先を撫でる。目を閉じる。暗闇が全てを覆い隠す。

 唇に、唇を重ねる。

 慣性の向きが変わった。ゴンドラが下り始めた気配を察し、目を開けて顔を遠ざける。同じようにまぶたを上げた純が、おれに向かって穏やかな微笑みを浮かべた。

「ありがとう」

 こらえきれずに抱きつく。すぐに純もおれの背中に手を回し、抱き返してきた。

「なあ」

 おれは純の耳に唇を寄せ、今一番思っていることを、遠回しな表現で囁いた

「スペシャルサンダーショットしたい……」

「その上書きは頼んでない」

 純がおれの脳天を拳で突いた。おれは「痛っ!」と叫んで純から離れ、勢い余ってすっ転ぶ。揺れるゴンドラの中、純は転んだおれを見下ろして笑い、おれも叩かれた頭を抑えて笑い返した。

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