争うおれ/わたしたち(5)

 五十嵐くんが走ってくる。

 他の三人は歩いているのに、五十嵐くんだけがマラソンを終えた後とは思えない猛ダッシュで近づいてくる。安藤くんが軽く首を振り、五十嵐くんを迎えるように立ち上がった。やがてわたしたちの前までやって来た五十嵐くんが、息を切らしながら安藤くんに食ってかかる。

「お前……言えや!」

「聞いたんだ」

「聞いたわ! ありえんやろ! 判断がアクロバティックすぎるわ!」

「ごめん。でも、そもそも勘違いがまずアクロバティックだし……」

「それはそうやけど!」

 必死な五十嵐くんと話しながら、安藤くんは楽しそうに笑っていた。わたしではほとんど引き出せなかった表情。大丈夫だな。何よりも先に、そう思う。

 わたしは立ち上がり、二人から距離を置いた。背を向けて大きく息を吸う。やがて他の三人も到着し、安藤くんと五十嵐くんの間に九重くんが割って入った。

「すまんなあ。まあこれも勉強だと思って許せや」

「お前ら……マジで……お前ら!」

 詰まったホースから水が飛び散るように、五十嵐くんがぶつ切りの言葉で自分の感情をアピールする。思わず笑うわたしの耳に、高岡くんの声が届いた。

「三浦」

 足音が聞こえる。わたしは背中を向けたまま口を開いた。

「どっち勝ったの?」

「マラソン自体は引き分けで、オレが勝ちを譲ったからあいつだな。でもそんなのどうでもいい感じだわ。そっちは上手くいったの?」

「たぶん、上手くいった。なんか謝られたし」

「謝られた?」

「うん。わたしの扱いも雑だったよねって言ったら、ごめんって」

 すぐ後ろに高岡くんがいる。わたしはまだ、振り向けない。

「意味わかんなくない? 釣った魚には餌やらないどころか毒やってるのに、逃がした魚に餌やって。安藤くんって昔からそうなの?」

「……仲良くなるとテキトーになるとこはあったかな。どっちかっつーと、そっちが素なんだと思うけど」

「そうなんだ。めんどくさい性格してるね。色んな意味で別れて良かったかも」

「三浦」

 高岡くんが、背後からわたしを抱いた。

 長い腕が首に回され、固い胸が背中に当たる。温かくて優しい体温が伝わる。耳に寄せた口から、囁くように放たれた言葉が、身体の芯をとんと叩く。

「泣くなよ」

 わたしは頷いた。頷いたつもりだった。だけど出来たのは、しゃくりあげるように背中を上下させるだけ。高岡くんの指が涙を拭い、ぼやける視界が少し晴れて、だけどまたすぐにぼやける。

 どうしてあなたは、過去になってくれないんだろう。

 電灯のスイッチを切るみたいに、気持ちを切り替えられればいいのに。これは終わった。次に行こう。そういう風に区切りをつけられれば。男は名前を付けて保存、女は上書き保存なんて言ったのはどこの誰だろう。少なくともわたしは、全く、これっぽちも、共感できない。

「……ごめん」涙と一緒に、言葉をこぼす。「会いに来るの、早すぎたかも」

 高岡くんがわたしを抱く力が、ぎゅうっと強まった。

「違う。遅すぎたんだ。だから連れてきた」

 遅すぎた。言葉を反芻しながら高岡くんを振りほどき、わたしは後ろを向いた。怒る五十嵐くんと笑う安藤くん。紆余曲折あって仲を深めた、友達みたいなカップルの幸せそうな光景が、溢れ出る涙を止める。

 ――そっか。

 わたし、やっと、フラれたんだ。

「……かもね」

 もしかしたら、わたしが安藤くんと五十嵐くんの仲を取り持とうとしたのは、わたし自身のためだったのかもしれない。変に付け入る隙を見せないで欲しい。そういう願望が行動を引き起こしたのかも。結果として丸く収まっているのだから、それで悪いことはないだろうけれど。

 涙を拭う。新しい水の膜は張られない。良好な視界に高岡くんの顔を収め、わたしは朗らかに笑った。

「行こう」

 高岡くんが頷いた。どちらからというわけでもなく、手を繋いで歩き出す。揉める安藤くんたちの傍で困った顔をしていた小野くんが、歩み寄るわたしたちを見てほっとしたように頬を緩めた。

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