争うおれ/わたしたち(4)

 たどり着いた「太陽の広場」は、だだっ広いイベント用スペースだった。

 だいぶ歩いてもベンチが見当たらないので、コンクリートの段差に座る。広場でイベントは何も開催されていなかったけれど、遠くに見える野球場では草野球の試合が行われていた。休日なのも相まって、人はそれなりに歩いている。バットがボールを叩く音が寒空に響く中、安藤くんがコートの襟を立てた。

「『太陽の広場』なのに寒いね」

「遮るものがないから」

「移動する?」

「いいんじゃない? すぐ終わるでしょ」

 自分で言った言葉を、自分の中で繰り返す。そう、すぐ終わる。だからわたしはそれまでにケリをつけなくてはならない。高岡くんと共謀して手に入れた、この時間を使って。

 とはいえ、安藤くんは間違いなく、他人からプライベートを詮索されるのを嫌がるタイプの人間だ。まあ、だいたいの人は嫌だろうし、わたしも嫌だけど、特にその傾向が強いと考えていいだろう。話の持って行き方には慎重になる必要がある。素早くかつ的確に。必要があれば撤退も辞さない。

「安藤くんは、もうけっこう五十嵐くんとデートとかしてるの?」

 安藤くんが眉をひそめた。――早い。早いよ。これぐらい世間話でしょ。開幕一秒でそんな露骨に嫌そうな顔しないで欲しい。

「そんなにはしてない」

「でも、してはいるんだ」

「明良が行きたいって言うから」

「ふーん。愛されてるね」

 安藤くんがため息を吐いた。――これダメなの? なんで? もう逆に何の話ならオッケーなのか分からない。地雷多すぎ系腐女子か。

「そう言えば聞こえはいいけど……要するに僕を信用してないだけだよね」

「そうかな。高岡くんに突っかかるのはそうかもしれないけど、デートに行きたがるのは違うんじゃない?」

「同じだよ。信用してないから形にこだわる。『デートがしたい』じゃなくて『恋人はデートをするものだからデートがしたい』んだ」

 安藤くんの唇が、ほんの少し、いびつに歪んだ。

「ほんと、勘弁して欲しいよ。一事が万事それだから、さすがに疲れてきた」

「でもそれだって、安藤くんのことが好きだからじゃないの」

「そうかもしれないけど、好きだから何してもいいわけじゃないでしょ。今日も実は『前に付き合ってた相手とベタベタされると不安になる』みたいなこと言われてさ、僕は『浮気なんか絶対にしないから安心しろ』って答えたんだ。まあ、僕は三浦さんの話だと思ってたから認識がズレてはいるんだけど、やりとり自体は成立してる。なのに、あれだもん。もうどうすればいいか分からないよ」

 わたしは、分かる。簡単だ。というかわたしから言わせれば、やるべきことをやっていないからこうなっているのであって、因果が逆転している。

 なんか――

 なんか、こう、イラっと来る。かつて同じ立場だった人間として、五十嵐くんに感情移入してしまう。いけない。落ち着かないと。冷静に、順序立てて、相手を不機嫌にさせないよう、お母さんみたいに――

 ――やれるか。

「安藤くん」

 呼びかける。振り向く安藤くんに、にこりと微笑みかける。

「ちょっと痛いかもだけど、我慢してね」


 パン!


 わたしは開いた両手で、安藤くんの両頬を同時に叩いた。いきなり叩かれた安藤くんは両方の目を見開き、呆然とした様子でわたしを見る。わたしは手に力を込め、安藤くんの顔を両サイドからさらにグッと押した。

「安藤くんは、五十嵐くんに何かしてあげたの?」

 声を絞る。瞳と瞳を、真っ直ぐに合わせる。

「自分から好意を伝えたり、デートに誘ったり、そういうことをしたの? 五十嵐くんが自分を信用してないって嘆く前に、五十嵐くんに信用されるようなことをちゃんとやったの? 五十嵐くんのことを試したいとか言ってたけど、今までずーっと、適当に扱ってどこまでついてくるか試し続けて来たんじゃないの?」

 安藤くんの瞳が、大きく揺らいだ。わたしは両手を離し、顔を遠ざける。

「わたしの時もそんな感じだったでしょ。まあ、あれは安藤くん的には偽装だし、事情が違うけどさ。本気で付き合おうとしている相手にそういう態度は良くないと思うよ。相手が深読みするタイプならともかく、五十嵐くん、たぶん違うし」

 ぷいと、わたしは安藤くんから顔を背けた。

「叩いて、突き放して、耐久度で愛情の深さを測るようなことをしてたら、そのうち普通に壊れておしまいなんだからね」

 カーン。野球場からまた打撃音が上がり、同時に風が吹いた。ばらばらになった音が広場に散らばる。開演直前の舞台のような緊張感のある沈黙の中、わたしは自分の指と指を絡めて、広場を眺めながら思考を巡らせる。

 ――やってしまった。

 そもそも筋から言えば、わたしは無関係だ。安藤くんが五十嵐くんとどう付き合おうと勝手だし、破局したとしてもそれはそういう相性だったという話でしかない。わたしの「失わせたくない」という想いは自己満足から来る我が儘で、それでも口を出す以上、言い方には細心の注意を払う必要があった。なのに思いっきり、直球を投げてしまった。

「三浦さん」

 固い声。恐る恐る、振り返る。

「ごめん」

 安藤くんが、わたしに向かって大きく頭を下げた。

 呆気に取られるわたしの前で、安藤くんがゆっくりと身体を起こす。わたしを見つめる真剣な目から、本気の謝罪だったことが伝わる。わたしは困惑しながら言葉を探し、だけど見つからず、困惑をそのまま口にした。

「なんで謝罪?」

「謝りたいと思ったから」

「なにを」

「付き合ってた時、冷たかったこととか」

「今それ?」

「逆に今ぐらいしかなくない?」

「それはそうかもしれないけど……」

 腑に落ちないものを感じ、首をひねる。安藤くんがわたしから顔を逸らし、背中を丸めて空を見上げた。

「あと、心配させてごめんって意味もある。それは僕が危なっかしいせいだから」

 照れくさそうに、バツが悪そうに、安藤くんが自分の首筋を掻いた。

「同性愛者だからどうこうとか忘れて、人間として成長しなきゃって思ったよ。そっちは今までサボってたかもしれない。他で大変なんだからいいだろ、みたいな」

「そうかな」

「そうだよ。たぶん、僕は僕自身を『同性愛者』として見てるんだ。でも三浦さんは僕を『人間』として見てる。だから僕の『人間』としてダメなところに気付く」

 安藤くんがゆっくりとわたしの方を向いた。そして穏やかな微笑みを浮かべ、はっきりと言い切る。

「ありがとう。三浦さんと出会えて、本当に良かった」

 とくん。

 形のない熱の塊が、胸の奥で産声を上げた。生まれた熱は血管を流れる血液に乗って、神経を走る電気信号に乗って、瞬く間に身体中に行き渡る。この感覚、知っている。今年の四月、よたよた歩くペンギンの前で、生まれて初めて覚えた感情。

「ジューーーーーーーーーン!」

 大きな声が、乾いた空気を切り裂いた。

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