争うおれ/わたしたち(3)

 足を止め、地面に崩れ落ちる。

 両手を石畳の上につき、肩で息をしながら呼吸を整える。こんなにも体力を使ったのは久しぶりだ。生まれたての仔鹿のように、全身ががくがく震えて力が入らない。

「お疲れさん」

 頭の上から、直哉の声が降ってきた。おれは途切れ途切れに言葉を繋ぐ。

「どう……やった……」

「ん?」

「どっち……勝った……?」

「ああ。それか。えっとな、分からん」

 ――は?

「ほとんど同時で、判別つかんねん。なー、小野クンはどっち勝ったと思う?」

「そっちでいいんじゃねえの? なんかそんな気がしたわ」

「そうか? 俺は高岡クンが勝ったと思うけどなあ」

 ふざけんな。お前はおれのセコンドやろが。味方しろ、ボケ。

「しゃーない。もう一回やっか」

「お前……ええ加減に……」

「負けでいい」

 高岡の声が、荒い呼吸音を貫いて、おれの耳に届いた。

「オレの負けでいーよ。疲れたからもう走りたくないし」

「そうなん? 高岡クンはまだ走れそうやけど」

「無理。つーか、そいつ、勝つまでやるタイプでしょ。勘弁だわ」

 高岡がひらひらと手を振った。それから突っ伏しているおれのところまで歩き、開いた右手を差し出す。

「ナイスファイト」

 ――偉そうに。まあ、ええわ。お前も純の大事なやつには変わらんからな。負けを認めるっちゅうなら、仲ようしたる。

「どーも」

 石畳に尻をつけて座り直し、差し出された手を握る。高岡がへへっと人懐っこい笑みを浮かべ、おれの隣に腰を下ろした。あぐらを掻き、落ち着きなく前後に揺れながら話しかけてくる。

「なあ」

「なんや」

「結局さ、お前、純くんのことなんで好きなの?」

 走っている間にも聞かれた質問。おれは口を尖らせ、吐き捨てるように答えた。

「なんでもええやろ。好きだから好きなんや」

「いや、究極的にはそうだけど、なんかあるじゃん。ぶっちゃけ顔とか身体とか?」

「アホか。それでええならもっと手頃なとこ行くわ」

「じゃあ何で付き合ってんだよ」

 なにが好きなのかではなく、なぜ付き合っているのか。それなら少しは言語化できる。おれは後ろに手をつき、上体を反らして、青空を見上げながら口を開いた。

「放っとけんからや」

 冷たい風が、汗ばむ身体を撫でた。目を細め、空に思い出を浮かべる。

「おれな、最初は純とむっちゃ仲悪かったんや」

「そうなの? なんで?」

「おれがガキやったからかなあ。ただ、おれらって実際ガキやん。そらカブトムシ見つけて嬉しいみたいなんは卒業したけど、ゆうてまだ高二やし」

「オレはカブトムシ見つけたら嬉しいぞ」

「知らんわ。ただ純は、あんまガキにならんやろ。良く言や大人なんやけど、悪く言や高いとこから見下しとるっちゅうか」

「……あー」

「そーいうところも、モヤってたんやろうな。でも色々あって、おんなじところまで引きずり降ろして、あいつが無理しとるのが分かったんや。大人ぶりたくて大人ぶっとるんやなくて、何もかんも自分でしょい込む生き方をしてるうちに、身に着いた癖なんやなって」

 学園祭の日、屋上で交わした言葉を思い出しながら、おれは頬を緩めた。

「だからおれは『おれの前では無理するな』って言った。そんで無理させへんために一緒におる。それじゃ、あかんか?」

 おれの問いかけに、高岡は大きく首を横に振った。そしてグッと親指を立てた右手をおれに向ける。

「やるじゃん」

「なにが」

「たった三か月でよくその境地に達したなと思って」

「……エラそーに」

「しかし、そっか。だから純くん、お前の扱いが雑なんだな」

 扱いが雑。おれの悩みにピンポイントに触れつつ、高岡がうんうんと頷いた。待て。一人で納得すんな。どういうことか教えろ。

「どゆこと?」

「だって、お前は純くんに『無理するな』って言ったんだろ。だから無理しないで雑に扱ってるんじゃないの?」

「え? そんな解釈されんの?」

「だってそう繋がるじゃん」

「いや、おれの言いたかったことって、そういうことやないやろ」

「オレに言われても。純くんに言えよ」

「えー……マジかー……ちゅうか、お前は付き合ってる時どうやったんや。やっぱ雑やったんか?」

「オレ、純くんと付き合ってないし」

 真顔。

 もしこの表情で嘘をつけるならポーカーの世界大会で優勝できる。そう感じるぐらいの真面目な顔つき。それでも「嘘をつくな」と突きつけるため、今日一日の出来事を思い返すおれに、高岡から二の矢が放たれる。

「勘違いしてるのは分かったんだけどさ、つい勢いでノっちゃった。悪いな」

「……でも、純の口から付き合ってるって」

「よく分かんねえけど、それ、オレのことじゃないと思うぞ。オレの彼女が純くんの元カノだよ。だからオレと純くんは付き合ってたどころか、恋愛ではライバル」

 信じがたい情報が次々と明かされ、おれは呆気に取られる。そして最後に一つ、混乱しているおれにトドメを刺す言葉が、高岡の口から放たれた。

「っていうか純くんと九重は、お前が勘違いしてるの知ってるらしいけど」

 ゆっくりと、直哉の方を向く。上着のポケットに両手を入れていた直哉が、右手を外に出した。そしてその手を顔の前に立て、謝罪の言葉を軽く口にする。

「めんご」

 おれは、叫んだ。

「はああああああああああああああああああ!?」

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