乙女、直截に行動(3)
『だから小野っちはタイプが現実離れしすぎなんだよ。清純派AV女優とか、そういうのだろ』
『どういうのだよ』
『自分の都合の良い時だけ欲望出してくれる、みたいな』
『そういうお前はどういうのがタイプなの?』
『自分の世界持ってるやつ』
『あー、確かに変なの好きだよな。お前も変だけど』
『お? マジック小野のくせに他人のこと変とか言っちゃう?』
『うっせーな。俺も変だけどお前も変。それでいいんだろ』
高岡くんと小野くんの会話をバックに聞きながら、わたしは廊下を走った。「もう言いたいこと言ったし恋バナでもする?」という高岡くんの発言から唐突に始まった恋愛トーク。自由過ぎる。高岡くんらしいけど。
校舎の端っこにつき、階段を一気に駆け上がる。この先が放送室。階段を抜けた勢いで放送室に飛び込む自分をイメージする。だけどあと数段で階段を上り終えるところで、ドアを激しく叩く音と怒鳴り声が耳に入り、わたしは足を止めた。
「おい! 開けなさい! 聞いているのか!」
――しまった。
知らない男の先生が放送室の前に陣取っているのを見て、わたしはつい舌打ちを漏らした。とはいえ、いきなりあんな放送が始まれば先生が動くのは当たり前だ。どうしよう。もう諦めて引き返すしか――
「困ってます?」
不意に、背中から声をかけられる。聞き覚えのない声だと思って振り返ると、そこにはやっぱり、見覚えのない短髪の男子生徒が立っていた。――いや、どこかで見たような気もする。そういえば声も聞いたことがあるような……どこだっけ?
「放送室、行きたいんですよね」
「あ、うん」
「じゃあ僕があの先生をどこかに誘導します。その隙に入って下さい」
「え?」
「だから、僕が今から――」
「そうじゃなくて、なんでそんなことしてくれるの?」
「安藤先輩に借りがあるんです。その安藤先輩を救ってくれた三浦先輩にも。だから走ってる先輩を見かけて、力になれないかと思って追いかけてきました」
先輩と言われ、ネクタイの色が一年生であることに気づいた。――ダメだ。さっぱり思いつかない。聞こう。
「あなたと安藤くん、どういう関係なの?」
「そうですね……」
男子生徒が顎に手を当てて俯いた。そしてすぐに顔を上げ、答えらしきものを口にする。
「『駅までついて来たやつ』って言えば、安藤先輩は分かると思います」
何それ。そう尋ねる間もなく、男子生徒が大きな足音を立てて階段を上り切った。そして放送室のドアの前で怒鳴り散らしている先生に話しかける。
「先生! ちょっと来てもらえますか!」
「どうした!」
「大変なことになってるんです! とにかくお願いします!」
「大変なこと?」
「いいから!」
男子生徒が先生の腕を引き、放送室の前から離れて行った。今しかない。わたしは全速力でダッシュして放送室に向かった。そしてさっきの先生と同じようにドアを叩きながら、大声で叫ぶ。
「高岡くん! わたし! 開けて!」
ガチャ。
鍵が開いた。続けてドアが内側に開き、わたしは放送室に滑り込む。わたしが部屋に入ってすぐ、小野くんがドアと鍵を閉め直した。これでしばらくは安泰。
放送機材の前に座っている高岡くんが、わたしに向かって手を挙げた。
「よ」
「よ、じゃないでしょ。っていうか莉緒ちゃんは?」
「そこ」
高岡くんが顎で示した先を見やり、わたしは眉をひそめた。後ろ手に縛られ、猿轡をかまされている莉緒ちゃんが、放送室の壁に寄りかかる形で放置されている。これは、訴えられたら負けるやつだ。まあ終業式の乱闘もそうだったから、今さらと言えば今さらだけど。
「何してんの」
「だってそうしないと話できないじゃん」
「そうだけどさ。そもそも、何でこんなことしようと思ったの」
「だって、そいつはただの『きっかけ』だろ」
高岡くんがひとさし指を伸ばし、壁際の莉緒ちゃんを指さした。
「そいつが放送を止めたって、他のやつが同じことをすれば同じことになる。手段が放送じゃなくたって、どこかで大声で話せば同じことになる。だからそいつ一人を止めるだけじゃダメと思ったんだ。もっと根本的な、人のことを馬鹿にするのを止めろみたいな、そういう話をしなくちゃならない」
「先週、食堂で高岡くんが怒ったみたいな?」
「そう。あれはオレの目の前で起きたから怒れたけど、たぶん他のところでも同じことは起きてて、そっちはスルーされてる可能性が高いだろ。そういうやつらにも同じこと伝えなきゃと思った――っていうのが、表の理由」
声のトーンが下がった。ぼんやりと中空を見上げながら、高岡くんが呟く。
「本音はさ、純くんへの罪滅ぼしだよ。前に怒ったのと一緒。オレが純くんを突き落としたのに、オレは純くんに謝ってない。そういう居心地の悪さを解消したい。そういう身勝手だ」
「いいじゃない」
即座に、迷いなく、わたしは言い切った。
高岡くんが驚いたような顔でわたしを見やる。わたしはそんな高岡くんに笑顔を向ける。高岡くんも笑っていいよ。そう告げるみたいに。
「身勝手でも何でもいいでしょ。わたしは高岡くんがやったことには意味があったと思うよ。それじゃ納得いかない?」
わたしの問いかけに、高岡くんは答えなかった。ただ恥ずかしそうにはにかむだけ。それでいいのだろう。だってわたしはそういう高岡くんを見られたことに、満足しているのだから。
「三浦」放送機材を指さし、高岡くんが尋ねる。「何か言いたいことある?」
言いたいこと。あったとしても言わないのが正解だ。わざわざ悪目立ちする必要はない。面倒なことに巻き込まれたくないならば。
そんなこと考えるやつが、こんなところまで走ってくるわけないけど。
「ある」
「そっか。じゃあスイッチ入れるから、語ってくれ」
高岡くんが放送機材の前の椅子から立ち上がり、わたしが代わりにそこに座った。すうと息を吸い、マイクに口を近づける。
「三浦紗枝です」
思っていたより、綺麗に声が出た。心の調子が良い証拠。
「まずは、お騒がせして申し訳ありません。終業式に引き続き二回目なんで、もうこいつら、単に騒ぎたいだけなんじゃないのとか思われているかもしれません。でも違います。むしろ、あれをやったわたしたちだからこそ、ちゃんと言葉を紡がなければならない。少なくともわたしは、そう思っています」
わたしは胸に手を乗せた。放送を聞いている誰にも伝わらない仕草。だけど、勝手に手が動く。
「この前、この放送でBLの話が出ました。その時、わたしは食堂にいて、そこで同性愛を馬鹿にする人を見ました。わたしはそれが本当に辛かった。そういうことを言う人がいるのもそうだけど、わたしもたくさん持っているBLにそういう言葉を引き出す力があるのが居たたまれなかった。だけど最近、こう思うんです」
胸から手を離す。マイクを掴む。肺を膨らませて、言葉を吐く。
「わたしたちは、誰も、正しくなんてない」
みんな変態。ついさっき高岡くんから出た言葉を思い出しながら、わたしは語りを続けた。
「さっき高岡くんが言ったように、わたしたちはみんな『変』です。だからこそみんな、どこか尖ってるところがある。自分らしく生きることが、そのまま他人を傷つけてしまう。そういう部分がある。それはきっと、わたしたちの『個性』と呼ばれるものです」
そう、わたしたちは
「わたしはそれを削り取って丸くするより、他人にぶつけないよう気をつけていく道を選びたい。そりゃあ、あちこち尖っていて歩く凶器みたいになっているなら、少しは削る必要もあると思うけど、そうでないなら尖っているところは尖ったまま愛でていきたい。その存在を否定したくないんです。だって、わたし――」
わたしは両手を顔の前に合わせ、その後ろで小さな笑みを浮かべた。
「やっぱりBL、好きなんだもん。これはもうしょうがないよね」
土曜日、高岡くんに連絡した後、部屋のBL本を読んでみた。
なんてことはない。普通に楽しめた。そしてずっと放置していたツイッターを開いて情報を追い始め、気がついたら夜中になっていた。わたしが向き合うべきものとちゃんと向き合ったことで、お悩みランキング第一位は、いつの間にか自然消滅していたのだ。
「他人の尖っているところを馬鹿にしない。自分の尖っているところで誰かを刺さない。結局、そうやって、上手くやっていくしかないんだと思います。わたしはそれをやってみます。だから皆さんもよかったら、同じようにやってみて下さい。それでも誰も傷つけないのは無理だと思うけれど、傷つく人を減らすぐらいなら、出来るんじゃないかなと思います」
わたしは両手を膝の上に乗せ、頭を下げた。感謝の想いを動作に乗せる。
「わたしの話は以上です。これで放送を終了します。終業式の日、わたしのために立ち上がってくれて、ありがとうございました。それでは、さようなら」
パチッ。
わたしはマイクのスイッチを切り、ふーっと息を吐いた。高岡くんと小野くんがパチパチと拍手をくれる。放送を聞いた人たちはどういう反応なのだろう。まあ、いい。考えないことにしよう。わたしはただ、わたしのやりたいことをやっただけだ。
「お疲れさん」
高岡くんがわたしの肩をポンと叩いた。わたしは「ありがとう」と言って立ち上がる。終戦ムード。だけど――まだ、終わってはいない。
――さて。
最後の一勝負。というより、こっちが本命だ。わたしにしか戦えない、わたしだけの相手。そのために今日までわたしは、わたしの言葉をひたすらに磨いて来た。
壁際の莉緒ちゃんを見下ろし、わたしはグッと、両の拳を固く握りしめた。
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