乙女、対話に奔走(5)

 放送室に着いた時、スピーカーからは二曲目の音楽が流れていた。

 くすんだ薄緑色のドアをノックすると、中から「どうぞー」という声が聞こえた。わたしはドアノブを回して扉を開け、部屋をざっと見渡す。机の上に置かれた放送機材。機材から伸びる集音マイク。そしてそのマイクの前に座り、不敵な笑みを浮かべている莉緒ちゃん。

「どうしました?」

 挑発的な言い方。思った通り、わざとだった。今までの無意識の無神経とは違う。

「どうしました、じゃないでしょ。さっきの――」

「あ、すいません。そろそろトークに戻るので、終わってからでいいですか? マイクに声入っちゃう」

 淡々と告げられ、わたしは口をつぐんだ。莉緒ちゃんが音楽を止めてマイクのスイッチを入れ、さっき食堂で聞いたのと同じ明るい声でトークを繰り広げる。トークテーマはやっぱり、BL。マイクから引き剥がしたくなる衝動をぐっと抑え、終わりを待つ。

 やがて曲紹介に移り、三曲目が流れ出した。莉緒ちゃんが再びマイクのスイッチを切って、わたしに向き直る。

「いいですよ。どうぞ」

「お願いがあるの」

「なんですか?」

「放送でBLの話をするの、止めて」

「どうして?」

 やっぱり、すんなりとは受け入れてくれない。当然だ。わざとなのだから。

「安藤くんの話、覚えてるでしょ」

「覚えてるに決まってるじゃないですか。わたしが三浦先輩に声をかけようと思ったきっかけなんですから」

「違う。その前。飛び降りたこと」

 飛び降りた。自分で口にした言葉に、胸がきゅうと苦しくなった。

「わたしは、その瞬間は見ていない。だけどその直前に安藤くんと一緒にご飯を食べて、そこで知らない人に馬鹿にされて、傷ついてる安藤くんを見ているの。今日もさっき食堂で、莉緒ちゃんの放送をきっかけに全く同じことが起こってた。あの中にだって安藤くんと『同じ』人はいる。そういう人があれを聞いたらきっと傷つく。だから――」

「それは馬鹿にする方が悪いんです」

 ばっさりと言い切られた。取り付く島もない。取り付かせない。そういう態度。

「BLが悪いんじゃありません。悪いのは、同性愛を馬鹿にする人たちです。混同しないでください」

「それはそうだよ。でも――」

「三浦先輩。もしかして同性愛のこと、気持ち悪いと思ってるんじゃないですか?」

 幼さの残る高い声が、わたしの胸に鋭く刺さった。

「わたし以外にも、異性愛の漫画や映画のことを放送で話している人はいますよね。あれがOKでわたしのBLがダメなの、おかしいじゃないですか。それは三浦先輩が、こんな気持ちの悪いものを好きだなんて恥ずかしい、隠した方がいいと思ってるからじゃないんですか?」

「そんなわけないでしょ!」

「じゃあ、教えてください。異性愛の話はしてもいいのに、同性愛の話をしちゃいけない理由は何ですか。どっちも『普通』なのに」

「それは――」

 口を開く。だけど、続く言葉が何も出てこない。もごもごと言い淀むわたしの目の前で、莉緒ちゃんが大きなため息をついた。

「三浦先輩、終業式の演説で、中学の時にBLが理由でハブられてたって言ってたじゃないですか」

 莉緒ちゃんがわたしを睨む。強い、意志の込められた視線。

「三浦先輩をハブった人たちも、今の三浦先輩と同じこと言ってたんじゃないですか。BLなんて気持ち悪い、そんなものが好きな三浦先輩も気持ち悪いって」

 声から余裕が消えていく。逆に熱量は、どんどん上がる。自分を正当化するためではない、本気の言葉を吐いているのが分かる。

「分かりますよ。わたしもそういう人、いっぱい知ってますから。でも、どうして三浦先輩がそんな人たちと同じこと言うんですか。三浦先輩は、自分をハブってた人たちのことを理解して、許しちゃうんですか」

 もしかして。

 もしかして、この子も――

「わたしは――許しませんよ」

 話は終わったとばかりに、莉緒ちゃんがぷいとわたしから顔を背けた。そしてさっきと同じ仕草で流れている音楽を止め、何事もなかったかのように元気にMCを始める。わたしはその姿がなぜだか直視できず、マイクに音が入らないよう、足音を殺してひっそりと放送室を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る