乙女、対話に奔走(3)
莉緒ちゃんの声が聞こえてすぐ、わたしはカウンターに目をやった。
カウンターにケイトさんの姿は無かった。他のお客さんから注文が入ったとか何らかの理由で場を外し、お店の厨房辺りにいるのだろう。莉緒ちゃんはその隙にこっちに来たというわけだ。――いや、普通、来ないでしょ。強心臓すぎる。
「ゲイの方ですか!?」
わたしの隣に座った莉緒ちゃんが、勢いよく佐々木さんに尋ねた。佐々木さんは気圧されたように少し身を引く。
「ああ」
「うわー、すごーい。わたし、相原莉緒って言います! よろしくお願いします」
「……よろしく」
わたしの時と違い、佐々木さんは名乗らなかった。瞬時に関わってはいけない人間と判断したのだろう。そして莉緒ちゃんではなく、わたしに声をかけてくる。
「この子は君の友達?」
「えっと、友達っていうか……」
「弟子です!」
莉緒ちゃんが話に割り込んできた。佐々木さんが「弟子?」といぶかしげにわたしを見やる。
「弟子って何の……」
「BLです!」
「BL?」
「はい! ボーイズラブです! 知りませんか?」
「一応、知ってはいるけれど……」
佐々木さんに「それは師弟関係を取るものなのか?」と視線で問いかけられ、わたしは小さく首を横に振った。莉緒ちゃんは無言のやり取りに気付く様子もなく、前のめりに突っ走り続ける。
「あの、攻めですか? 受けですか?」
「……どういうことかな?」
「BL用語で、入れる側か、入れられる側かってことです!」
ことです、じゃない。わたしは莉緒ちゃんを止めようと口を開いた。だけどわたしより早く、にゅっと伸びてきた手が莉緒ちゃんの頭をこつんと叩く。
「あなたはこっち」
ケイトさん。莉緒ちゃんが「えー」と不満そうな声を上げた。
「わたし、BLのための取材がしたいので、ゲイの方の話も聞きたいです」
「ダーメ。Privateな話をしてるの、分かるでしょう?」
「それはそうですけど……」
莉緒ちゃんが口を尖らせ、ケイトさんと佐々木さんがどこか呆れたようにそんな莉緒ちゃんを見やった。そしてわたしはスカートを両手でぎゅっと掴み、心の中で莉緒ちゃんに恨み言をぶつける。
――やめてよ。
やめてよ。やめて。わたし、安藤くんに紹介されてここに来てるの。莉緒ちゃんがケイトさんや佐々木さんに迷惑をかけたら、安藤くんにも迷惑がかかっちゃうの。だからやめて。お願いだから、大人しくして。
「そもそも、この方と安藤さんはどういう関係なんですか? 年齢も全然違うし、共通点ないですよね?」
「同じお店に来ているGayの友達。それ以上いる?」
「うーん、それでもいいんですけど、わたし的には……」
顔の前に両手を合わせ、莉緒ちゃんが無邪気な笑顔を浮かべた。
「恋人だったりすると、めっちゃ萌えるかなーって」
「莉緒ちゃん!」
自分でも驚くような大声が、喉から飛び出して店内を揺らした。
莉緒ちゃんがきょとんとした表情でわたしを見る。自分がなぜ怒鳴られたのか全く分かっていない顔。――ああ、もう。この子、頭は悪くないのに、どうしてデリカシー方面はこんなにも鈍感なんだろう。
「そういうこと言っちゃ駄目だよ。失礼でしょ」
「でもわたし、悪口は言ってないですよ。むしろ褒めて……」
「悪口じゃなくても失礼になることはあるでしょ! 特に仲が良いわけでもない生身の人に直接、萌えるとかつまんないとか受けとか攻めとか言っちゃ駄目! だいたい――」
頭の奥が痒い。イライラする。言葉が、止められない。
「BLなんて、他人に堂々と自慢できるような趣味じゃないでしょ!」
莉緒ちゃんの瞳から、すっと感情が消えた。
いきなり怒り出したわたしへの困惑も、そんなわたしから飛んでくる厳しい言葉への反発もない。かと言って、平常時に戻ったわけでもない。ただひたすらに、無。凍てつくような視線に射抜かれ、わたしは言葉を失う。
分かっている。暴走ぎみなところはあったけれど、莉緒ちゃんのBL愛は本物だ。だからわたしは今、他人が愛するものをその人の目の前で否定した。それも、自分よりそれを愛していると信じ、「師匠」と呼ぶほどに慕っていた人間の口から。
莉緒ちゃんが、つまらなそうに口を開いた。
「なんか」抑揚のない声。「三浦先輩って、思ってたよりふつーなんですね」
剥き出しの失望をぶつけられ、全身の血液が冷える。莉緒ちゃんがハンドバッグを持って椅子から立ち上がった。そしてわたしを見下ろし、淡々と言葉を放つ
「今日はもう帰ります。それじゃ」
くるりと踵を返し、莉緒ちゃんが早足で店から出て行った。カランカランとドアのベルが鳴り響き、その派手な音が気まずさを引き立てる。全く聞き取れないQueenの曲がうっすらと流れる沈黙の中、最初に口を開いたのは、ケイトさんだった。
「あの子」
ブロンドの髪をかき上げ、ケイトさんが綺麗な声で呟いた。
「Drink代、払ってないわ」
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