壊れよ世界(5)
視線が痛い。
おれを見ることが出来る全員の視線が、おれの上に集まっているのを感じる。しかしもう、やってしまったことはしょうがない。なるべく観客の方を見ずにステージに上がると、直哉が調子よく話しかけてきた。
「よう来たなあ。アキラ・イガラシ」
イニシャル意識やめろ。ツッコミを入れようとするおれに、直哉がマイクをずいと差し出す。
「ほれ」
「……あとで殺す」
「おー、こわ。機嫌治んの、祈っとくわ」
マイクを受け取る。直哉が数歩ステージの奥に下がり、前面におれと安藤純が押し出される構図になる。おれはまず、微笑と苦笑が混ざったような複雑な表情でおれを見る安藤純に、マイクを使わずに声をかけた。
「お前もあいつ止めろや」
「いい機会になるかなと思って」
「恥ずかしいとかないんか」
「あんまりない。もっとすごいことされたことあるし」
なんやそれ。気になる。それって――
「はよせいやボケ! 時間押しとるんじゃ!」
直哉から煽りが入った。――マジで殺す。決意と殺意を改め、マイクを口元まで運ぶ。
「安藤」
呼びかけ。からの、深呼吸。肺を膨らませ、気道を通し、発声の準備を整える。安藤純と向き合い、真っ直ぐに目を合わせ、今までのことを思い返しながら、今この場でかけるべき言葉を考える。
そして、固まる。
――なに言えばいいんや、これ。
謝りたい。それは間違いない。ただ、どこから何を話せばいいのか、手掛かりがどうにも掴めない。そもそも、何を謝ればよいのだろう。今までの態度全般か。それともきっしょいホモ野郎とひどい悪口を言ったことか。あるいは、見舞いに来てもらったのに襲ってしまったこと――いやいや、それはないやろ。落ち着け、アキラ・イガラシ。
考える。考える分だけ沈黙が溜まり、溜まった沈黙はプレッシャーに変換される。あかん。黙っとるとハードルがもりもり上がってく。何とかせんと――
「五十嵐くん」
見かねた安藤純が、助け舟を出してきた。思考の渦が一旦落ち着く。
「難しく考えない方がいいよ。シンプルに、一番強い思いを伝えるだけでいい」
子どもを諭す大人のように、安藤純が柔らかく言葉を紡いだ。
「余計なことは、言わないでいいから」
余計なこと。
――ははあ、なるほど。お前がおれのことをどう見とんのか、その一言でよう分かったぞ。自分は言えた。強いから。でも、お前は止めとけ。弱いから。弱くて、潰れてまうから、大人しゅうしとけ。そういうことか。なるほど、なるほど。
ご忠告どーも。
「そういうとこやぞ!!!!!!!!」
人生一番の、大声が出た。
空に天井はない。それでも確かに、雲を割き、大気を貫き、声が天の底まで届いた気がした。視界に映る全ての人間が、神さまから怒られたみたいに、ぽかんと間抜け面を晒して呆けている。もちろん、安藤純も。
「今、気づいたわ! お前のいっちゃんあかんとこはそういうとこや! お前、自分以外の人間のこと、うっすら見下しとるやろ!」
「え? いや、僕は――」
「見舞いに来た時も、ブログ読んだ時も違和感あったわ! なんでなんも悪いことしとらんお前が謝んねん! おかしいやろ! お前はおれの親か! 先生か! おんなじ高校二年生やろが!」
ずっと、安藤純を遠くに感じていた。
同じ属性を持った、同志と呼んでも差し支えないような相手。なのに、その辺の何の共通点もないやつより身近に感じられなかった。おれはそれを、おれと安藤純の間には透明な壁があるのだと解釈していた。でも違う。壁ではない。
段差だ。
「お前はどっかで、自分一人だけが物事をきちんと考えとると思っとんや! 舐めんな! おれかて脳みそぐらいあるわ! おれは――」
「ちゃんと、おれの頭で考えて、お前のことが好きなんや!」
世界が壊れた。
そうとしか表現できないぐらい、見える景色が変わった。色彩が鮮やかさを増す。降り注ぐ光の一粒まで見えそうなぐらい、世界が明るく輝く。ずっと、それこそ安藤純と出会う前、おれがおれ自身を見つけてしまってからずっと頭にかかっていた靄が、綺麗さっぱり消えてなくなった。
ああ、なんだ。
こんなことで良かったのか。
――アホくさ。
正面の安藤純を見る。瞳が泳いで、明らかに動揺している。その動揺が心地よい。お前はおれの親でも先生でもない。ただの好きな相手だ。そう伝えられたことが、愉快でたまらない。
「返事は?」
問いかける。安藤純が「え?」と困惑を深めた。
「おれは告ったんやぞ。返事、あるやろ」
「……じゃあ、友達から……」
「それじゃ今と変わらんやろ!」
固唾を呑んで成り行きを見守っている観客席から、小さな笑いがあがった。おれはずいと安藤純に迫り、その肩に手を乗せる。
「イヤなら、跳ねのけろや」
戸惑う瞳に瞳を合わせ、ゆっくりと距離を近づける。吐息がお互いの顔に当たり、それだけで言葉を交わしているような気分になる。「ええんやな?」「……いいよ」「あんがと。大事にするわ」「……馬鹿」――
心臓が押された。
情動的な意味ではない。物理的な意味で、制服の上から強い力で押された。衝撃に耐えられず、おれの上体が後ろに反れる。そして大きくバランスを崩し、しりもちをつく。手からマイクが滑り落ち、ゴンと鈍い音を辺りいっぱいに響かせる。
顔を上げるおれの目に、おれを突き飛ばした腕をぐんと伸ばしている安藤純の姿が映った。その表情は、下から見上げているせいで太陽を背負い、逆光になってよく見えない。
あれ?
跳ねのけられた?
観客席がざわつき始めた。同じように、おれの心もざわつく。え、なんで。オッケーな流れやったやん。キスして、観客に祝福されて、司会にからかわれて、死ぬほど要らない最優秀大声賞のトロフィー貰って、「まあこれもいい思い出だよね」みたいな、そんな感じやったやん。確かにおれ、いろいろ前科あるし、それ何も謝っとらんし、っていうかキツく当たったことしかないし――あれ、これ、ヤバいんちゃう?
安藤純が腕を引いた。おれはじっくりと目を凝らす。逆光に浮かぶ安藤純の表情から、気持ちを読み取ろうと試みる。
「明良」
今まで見たことのない、子どもみたいな笑顔が、おれの心に刺さった。
「チョーシ乗りすぎ」
くるりと踵を返し、安藤純がステージから駆け下りて行った。観客席の脇を通り、ものすごいスピードで颯爽と遠くに消えていく。会場の誰もが言葉を失う中、膠着した事態を最初に動かしたのは――司会だった。
「フ」一呼吸。「フラれたああああああああああああああ!!!」
観客席から盛大な笑いが上がった。おれはふてくされながら立ち上がる。うっさい。まだフラれとらんわ。あいつが頭悪いガキみたいに笑いながら、おれを「明良」って呼んだんやぞ。その意味をお前ら、分かっとらんやろ。
「何やっとんねん、アホ」
直哉が呆れたように声をかけてきた。おれはぶっきらぼうに答える。
「一番言いたいことを言っただけや」
「順番守れって言うたやろ」
「守ったやろ。あいつと出会ったんは、お前よりおれが先や」
「……屁理屈」
直哉が苦笑いを浮かべた。そして親指を立て、安藤純の走り去った方向を示す。
「さっさと行けや」
言われなくとも。おれは喉を絞り、力強く直哉の言葉に答えた。
「おう」
全速力で駆け出す。あちこちから飛んでくる声援がおれを加速させる。今ならどこにだって行ける。何も知らなかった子どもの頃に戻ったような、大切なものを知って大人になったような、そんな感覚が、やけに心地よかった。
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