壊れよ世界(4)

 学校に行くと言った時、直哉はおれを大声コンテストの会場に呼び出した。

 大声コンテスト。二十年ぐらい前のテレビ番組の企画を真似したという文化祭の伝統行事。やることはシンプルだ。イベント開催中に校庭の隅に作られたステージの上に立ち、叫びたいことを叫ぶ。それだけ。一日に何回か行われる三十分のイベントが終了した後、運営の独断により最優秀大声賞が選ばれ、貰っても邪魔なだけのトロフィーが贈られる。声さえ大きければ叫ぶ内容はなんでもよく、去年の最優秀賞にはX-JAPANの『紅』を熱唱した男もいるらしい。

 待ち合わせ時刻はイベント開始十分前。だけどおれは十五分前に着いた。もうそれなりに人が集まっている。これから時間が経つにつれて人だかりは増していくだろう。混み入った話になるだろうし、早く来てもらいたい。

 十分前。直哉も安藤純も現れない。でも人はわんさか増える。とりあえずLINEで直哉に「着いとるぞ」とメッセージを送っておく。

 五分前。周囲は雑音だらけだ。もうとてもここでは話せない。ロープで仕切られた立ち見スペースの最前列に立ち、せめて少しでも見つけやすいようにと目立つ。

 三分前。スマホで直哉に電話をかける。出ない。十分前の時点で送ったLINEのメッセージも未読のまま。

 二分前。ステージの上で蝶ネクタイをつけた司会の男子がマイクのテストを始める。あー、あー、本日は晴天なり、本日は晴天なり。

 一分前。おい、マジか。あかんやろ。ええかげんに来ないと――

「えー、皆さん、お待たせしました! 大声コンテスト! ただ今より始めさせていただきたいと思います!」

 ――始まってしまった。司会がジョークを交えつつ場を盛り上げ、一人目の参加者としてステージ裏から大学生ぐらいの男が現れる。そしてその後に、同じ年ぐらいの女。男から女に言いたいことがあるらしい。観客も、司会も、言葉を待っている女ですら何を言われるか分かりきった状態で、男が大きく口を開く。

「みっちゃーーーーーーーん! 好きやーーーーーーーーーーー!」

 司会からマイクを渡された女が「わたしもーーーーーーー!」と叫ぶ。なんというか、茶番だ。直哉もこれをやるつもりなのだろうか。あまり見たくない。まず間に合うかどうか微妙だけど。

「それでは次の方、どうぞ!」

 司会が二人目の入場を促した。拍手の渦が会場に巻き起こる。へらへらと笑みを浮かべた若い男が、ステージ裏から「どうもー」とか言いながら現れる。

 叫び声が、歯の裏まで出かかった。

「この制服はうちの学校ですねー。では、自己紹介をどうぞ!」

「えー、九重直哉! 高二! 好きなものは男です! よろしくお願いしまーす!」

 ――待て、待て、待て、待て。

 このままじゃ舞台に上がれんから先に謝れっちゅう話やったろ。だからおれはわざわざ来たんやぞ。なに普通に上がっとんねん。おかしいやろ。

「男? どういうことですか?」

「いや、知っとるやろ。同じクラスオナクラやん」

「アホ! 合わせろや!」

 司会が直哉にツッコミを入れた。観客がどっと湧く。おれは、笑えない。

「さて……ええっーーー! 男が好きってどういうことなんですかーーー!?」

「いやー、実は自分、ゲイなんですわー。そんでちょっと今日、ゲイ仲間の友達に言いたいことがあって」

「ゲイ仲間!?」

「そうっす。おーい、純。出てきいやー」

 直哉がステージ裏に声をかけた。すぐに直哉と同じ制服姿の安藤純が現れ、ステージに上がる。司会にマイクを向けられた安藤純が、恥ずかしそうにはにかんだ。

「自己紹介をどうぞ!」

「あ、えっと……安藤純。九重くんと同じ高二です。あとさっき九重くんが紹介してくれましたけど、ゲイです」

「おや、標準語ですね。東京の方ですか?」

「知っとるやろ。白々しいわ」

「黙っとれ! しばくぞ!」

 また、観客が大きく湧く。直哉と司会が笑いあう陰で、安藤純がふっと顔を横に向けた。そして寂しげに目を細め、ステージの上から下に視線を落とす。

 視線の先には、おれ。

「さー、時間もないのでちゃきちゃき行きましょう! エントリーナンバー二番、九重直哉くん。お願いします!」

 司会がマイクを直哉に渡した。直哉が安藤純の方を向き、安藤純も直哉の方を向く。おれは、さっきの安藤純の視線がまだ胸に刺さっているようで、チクチクと小さな痛みを感じながら展開を見守る。

「純」

 一言、直哉が呟いた。そしてすうっと大きく息を吸い、マイクを口元に近づけ――

 そのマイクを、胸のあたりまで下げる。

「あー、あかん」

 直哉が額に手をやった。さあ告白だ、というタイミングで肩透かしを食らい、司会と観客が一様に困惑を浮かべる。もちろん、おれも。

「あかんわー。言えんわー。なんか――」

 長い前髪の陰から、直哉がおれにちらりと視線を送った。

「俺より、純に言いたいことあるやつおるんちゃうかな思うと、言葉が出てこんわー」

 ――こいつ。

 なるほど。そういうことか。ふざけんな。おれは行かんぞ。絶対に、出て行かん。

「えーっと……それはどういう……」

「いや、なんか観客席におる気がすんねん。純にめっちゃ言いたいことがあって、うずうずしてて、今にも『ちょっと待った!』って出てきそうな、イニシャルA・Iが」

「A・I?」

「あー、最低でもあと十秒は無理やわー。じゅーう、きゅーう」

 行かん。行かん。絶対に行かん。

「はーーーーーーーーーーち、なーーーーーーーーーーーな」

 長いわ。粘んな、アホ。ちゅーか、どんだけ粘っても無駄や。おれにそんな目立ちたい理由なんかない。お前が告った後に謝る。それでええやろ。なあ、安藤。

 ステージ上の安藤純を探す。「お前もこのアホには困っとるんやろ?」。そんな風に苦笑いを浮かべあうために。

 安藤純は、微笑っていた。

 ――大丈夫だよ。

 大丈夫。どんなことになっても君を見捨てない。僕は君の味方だ。だから安心して、踏み出して。必ず受け止めるから。

 穏やかな視線から、優しい言葉が伝わる。おれは立ちすくみ、安藤純を見やる。鼓膜の外側で直哉のカウントダウンが響く中、鼓膜の内側では、昼に読んだブログの文章が安藤純の声で再生される。


 自分を愛するためには、他人に愛される必要があって、


「ろーーーーーーーーーーく、ごーーーーーーーーーーーお」


 他人に愛されるためには、他人を愛する必要があって、


「よーーーーーーーーーーーーーーーーん、さーーーーーーーーーーーーーーん」


 他人を愛するためには、自分を愛する必要がある。


「にーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい」


 ――クソが。


「いーーーーーーーー……」

「ちょっと待ったあああああああああ!」

 腹の底から叫ぶ。巨大な声が雑音を掻き消す。ステージの直哉がおれを見下ろし、してやったりという風に唇をニヒルに歪めた。

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