壊れよ世界(3)
学校に着くまで、百回ぐらい「帰りたい」と思った。
家を出る前、家から駅まで、電車に乗っている間、電車を降りてから学校まで。その全てにおいて「今さらどのツラ下げて出て行くんや、恥知らず」と思い続けた。だけどそれに抗って、心臓をバクバク言わせながら足を進めた。ここで帰ってしまう方が、よっぽど恥知らずだ。
文化祭用のアーチがかかった校門をくぐり、お祭りムードを横目に教室へ向かう。運が良かったのか、悪かったのか、クラスメイトの誰にも会うことなく教室に着いた。大きく息を吸い、扉を開く。
奥の屋台で、たこ焼きを作っている秀則と目が合った。
数秒、固まる。やがて意を決し、喫茶スペースで談笑している他校の制服を着た男子高校生たちの横を通り過ぎて、ずんずんと奥へ向かう。出来上がりを待つ客の横に立ち、コテでたこ焼きを回している秀則に向かって片手を挙げる。
「……はよ」
全く早くない。それでも秀則は「はよ」と挨拶を返してくれた。
「大丈夫か?」
「平気」
「そっか。まあ、そこで休んどき」
秀則が屋台奥のパイプ椅子を顎で示した。おれは屋台の内側に入り、パイプ椅子に座って肩を落とす。店番に出ているクラスメイトが入れ替わり立ち代わりおれに声をかけ、やがて史人が、紙コップをおれに差し出しながら話しかけて来た。
「ウーロン茶。飲めや」
「あんがと」
コップを受け取り、冷たいウーロン茶を一気に喉に流し込む。背筋が伸び、頭が少し冴えた。人でいっぱいの教室を眺めながら、史人に声をかける。
「けっこう繁盛しとるな」
「せやろ。明良も職人やる?」
「いや、おれ、すぐ出なきゃならんから」
「どこ行くん?」
「直哉と安藤に呼ばれとんの」
安藤。おれがその言葉を口にした瞬間、史人の肩が小さく動いた。視線を床に落とし、探るように話しかけてくる。
「なあ、一つ聞いてええ?」
「ええよ」
「お前、純のこと、マジのガチで無理なん?」
暗く、沈んだ声が、雑音に紛れることなくおれの耳に届く。
「俺は、お前とも、純とも、仲ようしたいんや」
――ごめん。
謝罪の言葉が頭に浮かんだ。だけどすぐに引っ込める。今おれが言うべき言葉は、それやない。
「んなことない。ムキになっただけや」
「ほんとか? お前、ずっと純に冷たかったやん」
「色々あんの。その辺は今日、バッサリかたつけるわ」
史人の表情が、柔らかく緩んだ。おれも照れ隠しに笑い返す。いつの間にか職人を別のやつと交代した秀則が寄ってきて、たこ焼きの詰まったプラスチックケースとつまようじをおれたちに差し出した。
「ほら。これ食って元気出せや」
史人が「んじゃ、一個貰うわ」とたこ焼きを一つ口に放り込んだ。おれもつまようじをたこ焼きに刺し、ゆっくりと口内に運ぶ。出来立ての熱と、おれを想ってくれる優しさの温かみを感じながら、カリカリに固まった表面を歯で嚙み崩す。
クリーム状の物体が、舌の上にどろりと広がった。
「――ブホッ!」
忘れもしない刺激が脳に駆け抜け、俺はたこ焼きを吐き出した。同時にパイプ椅子から崩れ落ち、両手を床について四つん這いになる。俯く頭の後ろから、史人の「っしゃー!」という雄叫びが聞こえた。
「二回も引っかかりおったわ! ドアホが!」
「すまんなあ、明良。俺はやりたなかったんやで? でも史人がどうしても作れっちゅうから……」
嘘つくなボケ。今の、お前が八割からし言うた安藤純のやつよりヒドかったぞ。やりたなくてやった量とちゃうやろ。ふざけんな、ほんと――
「ふざけんなよ……」
「お、泣いとるん?」
「からし入れすぎなんや! 加減しろ!」
「悪かったなあ。ほれ、飲め」
秀則から差し出された紙コップを手に取る。一口含み、めんつゆではなくウーロン茶であることを確認してから、グイッと飲み切る。そして涙を拭いながら立ち上がり、空になった紙コップを秀則に返しながら、おれは不自然なぐらい声を大きく張り上げた。
「ありがとな」
秀則と史人が、二人そろってニッと笑った。「おかえり」。何となく、そう言われたような気がした。
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