止まる世界(1)

 文化祭の準備期間に入った。

 といっても、おれたちのような飲食系をやるクラスは当日まで大して準備することはない。部活の方が重いやつはそっちに行くし、別に重くなくても部活の方が居心地のいいやつはそっちに行く。仲の良い友人がいる他のクラスに入り浸るやつや、人目のつかないところに集まってスマホゲームをやるやつらもいる。

 そして当然、どこかに行くやつがいるということは、どこかから来るやつもいる。

「純おる?」

 今日だけで三回クラスに現れた直哉にうんざりしつつ、おれは「そこ」と木材でたこ焼き屋のカウンターを作っている安藤純を指さした。直哉は「サンキュ」と言ってそそくさと安藤純のところに向かう。それから何事かを話して、二人でどこかへ消える。これも三回目だ。

「あいつら、つきあっとんのかな」

 直哉たちが出ていった先を見つめながら、作業をサボって駄弁っていた男子――岡島がぽつりと呟いた。一緒に駄弁っていた別の男子がその話に乗る。

「つきあっとるんちゃう? 仲間やし」

「どっちがウケなんやろな」

「安藤ちゃう? ウケっぽいし」

「今もトイレでやっとったりして。キッツいわ。想像してもうた」

 ――なら想像すんなボケ。

 勝手に想像して、勝手にキツくなって、アホか。被害者ぶんな。だいたい普通、トイレでいきなりそこまでやらんしできんわ。俺だって直哉とそこまでは滅多にやらんぞ。女のと違って、お前らにだってついとるんやからわかるやろ。

 苛立ちが募る。こうなるからカミングアウトなんかしてはいけないのだ。本当、安藤純はバカなことをした――

「ああっと! 手が滑ったああああ!」

 叫び声と共に、雑巾が空を飛んだ。

 宙を舞う雑巾が岡島に直撃した。岡島が雑巾を投げ飛ばした相手――秀則をにらみつける。秀則はケロッとした表情で岡島の敵意を受け流し、声を張った。

「そういう陰口、止めーや。ダサいで」

「……ええ子ちゃんが」

「ええ子で悪いことないやろ。んならお前は悪い子ちゃんか」

 ピリピリと張り詰めた空気が教室に流れる。一触即発。全員が作業の手を止めて二人を見守る中、史人がその間に割って入った。

「岡やん、昨日シコった?」

 唐突なぶっこみに、岡島が「は?」と目を泳がせた。史人は怯むことなく続ける。

「簡単な質問やろ。シコったかシコっとらんのか、どっちや」

「なんでお前にそんなこと言わなあかんねん」

「イヤか?」

「当たり前やろ」

「んじゃ、お前はさっきの言葉、反省せんとな」

 岡島がはっと目を見開いた。史人が屈託のない笑みを浮かべて岡島に近寄り、その肩をポンと叩く。

「男なら誰だって家帰ったらチンポ丸出しにしてシコっとる。それは悪いことやない。でもそれを想像されるのは、イヤやろ」

「……そやな」

「な。だからあんまそういうの、触れんとこうや。俺も岡やんが素人ナンパものが大好きでインタビューが一番抜けるとか言っとんの、黙っといてやるから」

「全部言っとるやろ! 黙っとけや!」

 岡島が史人の頭を叩き、周囲に笑いが起きた。男子たちが「岡やん、素人ナンパ好きなん?」と群がり始め、教室に和やかな雰囲気が戻る。おれは笑う史人や岡島たちを眺めながら、ぼんやりと、いつか姉ちゃんにかけられた言葉を思い出す。

 ――転校生くん、何かあったらちゃんと助けてやり。

 岡島の足元に落ちている雑巾を見やる。もし手元にあの雑巾があったとして、おれはそれを秀則のように投げられただろうか。いや、きっと――

「五十嵐くん」

 おれは、すさまじい勢いで振り返った。

 勢いに怯み、おれを呼んだ安藤純がわずかに身を引いた。明らかな過剰反応を見せてしまったことを後悔しつつ、とりあえず「なんや」と取り繕う。安藤純は困ったように目線を逸らしながら、はっきりしない口調で喋り出した。

「何か手伝うことないかなと思って」

「ないわ。おれも暇しとるところ。見れば分かるやろ」

「……そうだね。それじゃ」

 安藤純が秀則のところへ向かった。自分から話しかけといてそれで終わりか。もうちょい粘れや。そんな理不尽な想いに襲われる。おれは手持ち無沙汰にポケットからスマホを取り出し、そして、新着通知として液晶に映っているLINEのメッセージを読み、思わず顔をしかめた。

『今日、やれる?』

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