変わる世界(3)

「いくらなんでも下手すぎやろ。貸してみ」

 秀則が安藤純からピックを奪い、プレートのたこ焼きをひょいひょいとひっくり返していく。ついさっき「ちょっとやってみ」と同じ作業を行い、思いっきり失敗した安藤純が「おー」と感嘆の声を上げる。何が「おー」や。大したことないやろ。これやから東京もんは。

「一回で一気に上手くやろうとするから失敗すんの。細かく回しながら、はみ出たタネを中に入れていくんや」

「そういうの、どこで覚えるの?」

「俺は家で覚えた。俺、六人兄弟の長男で、これやんの俺の役目やから」

「六人はすごいね。史人は?」

「兄ちゃんが二人。純は兄弟おらんの?」

「うん。一人っ子。直哉は?」

「妹が一人おるよ。そんだけ」

 名前呼びが定着している。おれも「純」呼びせなあかんのやろうか。イヤや。なんや分からんけど、生理的にイヤや。さぶいぼが立つ。

「でも、純も秀則に教わっとき。うちのクラスの文化祭の出し物、聞いたやろ」

「たこ焼き屋だっけ。よく競合しなかったよね」

「したに決まっとるやろ。コバリンがじゃんけんで勝ったんや」

 およそ一か月後にある文化祭の話。こうなる前はそこそこテンション高めに楽しみにしていたのに、今は億劫な気持ちの方が強い。それもこれもあれもそれも何もかも、すべて安藤純のせいや。くそ。

「……トイレ行ってくるわ」

 テーブルを離れ、リビングを出る。困ったらトイレ。最近、学校で秀則たちとつるんでいる時も含めて、このパターンが多い。安藤純には「あいつすっげえ頻尿」とか思われているかも――

 ――ちっさ。

 おれはぶんぶんと激しく頭を振った。止め、止め。思考の中心が完全に安藤純になっとる。気にせんとこ。

 一応トイレに行き、したくもない小便を無理やり絞り出す。水を流してトイレから出ると、二階から姉ちゃんが降りて来た。シカトしてリビングに戻ろうとするおれを、姉ちゃんが呼び止める。

「明良」

「ん?」

「安藤純くん、ええやん」

 ――せっかく忘れようとしていたのに。ええかげんにせえよ、ほんま。

「どこが」

「穏やかで丁寧やけど裏ありそうなとこ。ああいう影ある系男子タイプやわ」

「なら告れや。姉ちゃん、男っぽいから、付き合ってくれるかもしれへんで」

「私のどこが男っぽいねん」

「そのガサツな性格に決まっとるやろ」

 姉ちゃんがやれやれと首を横に振り、わざとらしくため息をついた。

「明良、もうちょい大人になりい」

「は?」

「安藤くんは安藤くん、明良は明良。別に仲間が違う生き方しとったってええやろ」

「あんなやつ、仲間とちゃうわ!」

 リビングの扉が開いた。

 出てきたのは渦中の人物、安藤純。固まるおれの前できょとんとしている安藤純に、姉ちゃんがおそるおそる声をかける。

「安藤くん、今の聞いてた?」

「今の?」

「いや、聞いてへんならええわ。じゃ」

 姉ちゃんが二階に戻る。火種だけ残して逃げよった。あのクソアマ。

「お姉さん、何が言いたかったの?」

「知らん。ところで、何しに来たん?」

「トイレ」

「なら、あっちや」

 廊下の奥を指さす。安藤純が「ありがとう」と軽く頭を下げておれとすれ違った。遠ざかっていく背中を眺めているうちに、おれの中に得体のしれない衝動が生まれ、抑えきれなくなり声となって飛び出す。

「安藤」

 安藤純が振り返った。そして不思議そうにおれをじっと見る。ああ、こいつ、なに考えとるか分からんくせに瞳はやけに綺麗やな。そんなところも腹が立つ。

「お前、なんでホモなん?」

 電灯が消えるように、ふっと安藤純の顔に翳りがさした。何かに触れた表情。視線を床に落としながら、物憂げな声で呟く。

「なんでだろうね」

 くるりと踵を返し、安藤純がトイレに消えた。おれはリビングに戻る。焼けた小麦粉にソースを重ねた香ばしい匂いと、史人の「長かったな。クソ?」という汚い台詞が同時に飛んできて、実に複雑な気分になった。

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