壊れる世界(3)

 家に帰ってリビングに入ると、一つ上の姉ちゃんがジャージ姿で床にへばりついてスマホを弄っていた。

 長い髪がべったりとフローリング床に広がり、新手の妖怪みたいに見えた。「なにしとんねん」「暑いんやもん」。短い会話を交わしてペットボトルのお茶を取りに奥に向かう。冷蔵庫からお茶を取り出し、ぱたんと扉を閉めたところで、姉ちゃんに呼ばれた。

「明良」

「なんや」

「クラスにゲイの転校生来たやろ」

 危うく、手からペットボトルが滑り落ちるところだった。どうにか抑え、仰向けに寝転がる姉ちゃんの傍まで行く。

「なんで知っとん」

「部活の後輩から聞いた。なあ、どんな子?」

「ふっつーの、地味な男や」

「明良のタイプ?」

 ――顔面に茶ぁ落とすぞ。

 言いかけた言葉を飲み込む。落ち着け。こいつは弟がゲイビ見てシコってる部屋にノックなしで突撃して身内にゲイがいることを知った女。今さらデリカシーを求める方が間違っとる。

「ぜんぜん。むしろ嫌いや」

「なんで」

「自己紹介でカミングアウトかますようなKY、嫌いに決まっとるやろ」

「KYどうし仲良うすればええやん」

「姉ちゃんにだけは言われたないわ!」

 おれは姉ちゃんから離れ、ズカズカとリビングの出入り口に向かった。ノブに手をかけてドアを少し開いたところで、姉ちゃんがおれの背中に話しかける。

「明良」真剣な声色。「転校生くん、何かあったらちゃんと助けてやり」

 何か。その意味するところは、言われなくても分かった。

「……そんなん、自業自得やろ」

 冷たく言い捨てて、おれはリビングから出て行った。階段を早足で登り、二階にある自分の部屋へ。学生鞄を床に放り投げてベッドにダイブし、仰向けになって天井を眺める。

 鼻の奥にツンと刺激臭が走った。制服のシャツにうつったタバコの臭い。公園の多目的トイレで直哉と抱き合ったことを思い返す。そういえばあの転校生は彼氏がいたと言っていた。ならやはり、経験はあるのだろうか。想像して、また硬くなって、自分がイヤになって死にたくなる。

 でも、これが普通だ。

 男が好きと聞けば、必ずセックスのことを想像される。男と女、父ちゃんと母ちゃん、じいちゃんとばあちゃんでは連想されないことが、当たり前のように連想される。そして気持ち悪がられる。他人のセックスなんて平均的に気持ち悪いのに、みんなそんなことしてないし、したくもないみたいな顔をして、おれたちを蔑んでくる。

 あの安藤純とかいう転校生も、きっとそうなる。初日は勢いで上手く行ったけれどあんなのはそう長く続かない。すぐに排斥と排除が始まる。

 それを、おれが助ける? 

 ――知るか。

 知るか、んなもん。自殺したようなもんやろ。勝手に死ねや。おれは弁えとる。弁えとるんや。巻き込むな、ボケが。

 目を閉じる。まぶたの裏に教卓の前に立つ転校生の姿が浮かぶ。あいつはどうしてあんな顔で、あんな堂々と、あんなことが言えるんだろう。久しぶりに直哉の相手をして疲れたおれの意識が眠気に呑まれて消えるより前に、その答えが出ることは無かった。

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