壊れる世界(2)

「別にええやん」

 公園のベンチに座り、すぐそこのコンビニで買ったアイスコーヒーを飲みながら、九重直哉は事も無げにそう言い放った。そうなれば放課後、愚痴りたい一心で直哉を呼び出したおれとしては面白くない。むすっと唇を尖らせ、隣から文句を垂れる。

「よくないやろ」

「なんで」

「初手カミングアウトやぞ?」

「やるなら初手やろ。何が気に食わんねん」

 改めて問われると難しい。黙るおれに代わって、直哉が口を開いた。

「お前、転校生くんが羨ましいんやろ」

 直哉が飲み終わったコーヒーのカップを傍のゴミ箱に放り投げた。そして学生鞄からタバコを取り出し、口に咥えて百円ライターで火をつける。このために人気のない公園を選んでいるとはいえ、制服姿でよくやる。

「自分がやりたくても出来ないことやられて、羨ましいんや。五十嵐明良はその……なんやっけ……安藤純?に負けたと思っとんねん。東京もんへの嫉妬や、嫉妬」

「……そんなんちゃうわ」

「なら何が気に食わんのか、言ってみい」

「おれは――ただ、変に思われるのがイヤやねん」

「はあ?」

「あんな変なことされたら、ゲイ全体が変だと思われるやろ。風評被害や」

 右手のひとさし指と中指の間に煙草を挟み、直哉がぽかんと口を開けた。それからタバコを吸い、煙を勢いよく吐き出し、一緒に言葉を吐き捨てる。

「ちっさ」

 辛辣な評価が、胸にぐさりと突き刺さった。地面に落としたタバコをローファーで踏みつけながら、直哉が大きなため息をつく。

「ケツの穴の小さいやつやなあ。ウケできへんぞ」

「関係ないわ! っていうか、小さないわ!」

「んじゃ、ウケできんの?」

「そういうことやなくて――」

 唇に、唇が重なる。

 タバコの味が唾液を通して伝わる。苦い。こいつとのキスはいつもそうだ。苦み走る、大人の味がして、抗えなくなる。

 直哉がゆっくりとおれから顔を離した。長めの前髪の向こうで目を細めて不敵に笑う。そしておれの耳元に口を寄せ、艶めかしい声で囁く。

「エロい話してたら、興奮してきた」

 嘘こけ。こういう流れにしたいからウケがどうとか言い出したんやろ。お前の考えなんかお見通しや。お前も、おれが分かっとることぐらい、分かっとるやろうけど。

 おれの股間を直哉の右手が撫でる。硬くなったそこが肯定を伝える。おれたちは無言でベンチから立ち上がり、公園の多目的トイレに向かって歩き出した。いつもと同じように。

 おれは直哉と、高二の春、興味本位でインストールしたゲイ用の出会い系アプリを通して知り合った。

 授業中、アプリに「俺も二年」というメッセージが届いた時、おれは心臓が止まるかと思うぐらいビックリした。性的な接触を目的としたアプリは当然、十八歳未満は利用できない。だからおれは年齢を偽り、アプリでは大学生のフリをしていた。顔写真だって載せていない。そこに「俺も二年」だ。固まるしかない。

 続けて「放課後、体育倉庫裏」というメッセージが届き、おれは素直に出向いた。なぜだか分からないけれどおれの正体がバレている。どうにか口止めしなくてはならない。その一心で。相手も同じように脛に傷持つ身である可能性が高いことはすっかり忘れて、いくらまでなら金を出せるだろうかとか、そんな算段まで立てていた。

 そのとき体育倉庫の裏に居たのが、直哉だった。

 学年は一緒でもクラスは違い、ほとんど接点のない直哉がおれの正体を見破った理屈はシンプルだった。学校にいる時にいつも近くに現れるアカウントがある。そのアカウントが二年生だけの社会科見学に出かけた時にも近くに現れている。じゃあこの学校の二年生に違いない。そういう理論。説明されたおれは思わず唸り、直哉はそんなおれを見てけらけらおかしそうに笑った。

「ちょっと位置情報ずらしただけで安心しとるからそうなんねん」

 言い返せず、おれは直哉をじろりと睨んだ。そして「おー、こわ」と自分の肩を抱く直哉に問いを投げる。

「で、何の用や」

「別に用なんかないわ。会ってみたかっただけ」

「なんで」

「そりゃあ」

 直哉が近づいて来る。その動きだけでおれは察した。そして察した通り、直哉はおれの背中に手を回し、唇を重ねて来た。苦味のある唾液からタバコを吸っていると分かり、同じ年だと思っていた相手の隠された一面に、少し気圧された。

「タイプなら、こうしよ思って」

 直哉が笑った。やられてばかりなのが癪に触り、こっちから直哉に口づけをやり返してやる。ピチャピチャと唾液の跳ねる音が頭蓋骨の中に響き、脳みその奥を熱くさせ、やがてその熱は頭から身体に、身体から股間へと伝わっていく。

 そこに仲間がいる。だから抱き合う。お互いがそうであることを確かめる。

 おれたちは、おれたちのような人間はよく、そういう身体の重ね方をする。

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