〈霧渡り〉
『そう言えば主よ。俺の声が聞こえる事に驚かないのだな』
三体目の霊魔の首を落としたところで、不意に〈霧渡り〉が声を掛ける。
〈霧渡り〉は代々霧原家の花守と契約してきた刀霊だ。
だが、その声を聞いたものは殆どおらず、契約の際と契約した花守が死ぬ間際にだけ聞くことが出来ると言われていた。
「僕が死ぬ間際なのもあるだろうけど、最早ここは幽世なんだろう?」
『そうだ。現世にある地獄そのものだ』
血なのか体液なのか判らない黒い液体を払うように刀を振り、刀を見る。
声は聞こえど、姿は見えない。
「普段から聞こえている気はしていたよ。ただ、聞き取れていないんじゃないかと思っていた。外来語を聞いているような気分に近かった」
袈裟斬り。ひたすら鍛錬に打ち込んだ分、霊魔を切り伏せることができる。手応えがあるような、そうでもないような感触の後また一つ霊魔の骸が落ちる。
「あと、主は無しにしよう。こそばゆいから春雪でいい」
『承知した。ハルユキよ』
刀を振るいながら春雪はある事に気付いた。霊魔を形作るものそこに瘴気の濃い部分が見える事に。それを断ち切ると霊魔は容易く瓦解していく。
言うなれば弱点だ。〈霧渡り〉の霊力からか、己の力なのかは判らなかったが今この場ではこれ以上の武器は無かった。
今が何時なのか――空模様は黄昏のようにも、暁のようにも見える。
斃した数が三十を超える頃には既に数えるのも辞めていた。
進めば進むだけ、深山に残る花守は自分をおいて居ないのだと確信させていく。
きっと居たとしても
その考えを振り払うように頭を振り、視界を戻す。
『ハルユキ。西側が薄い。抜けるのであれば今が引き際だ』
二つ首の霊魔を半分に割り、勢いに任せ蹴り飛ばす。何処を目指しているのか解らない白い腕を薙ぎ払い、浅く息を吐き出す。
「承知」
短く肯定し、向かってきた犬の形の霊魔、牙を向け大きく開いた口へと突き込むとそのまま払い飛ばす。霧散していく霊魔に目もくれず踵を返した。
死を覚悟したからと言って、死ぬ気があるのとはまた別の話。
ここで死んだとしたらおそらく犬死。何一つ残さずに死ぬことは許されない。
最善はもちろん生き延びる事に他ならない。それを当然として何処までを尽くせるのか。
呼吸が荒くなり、額の汗を拭いながら吸い込む空気の異質さに眉をひそめる。煙草の煙など生易しいほどに、異物が肺を満たしていく。
いつの間にかに気温も低くなっている。汗で濡れた服が体を冷やしてくるが動き回っている間は心地よさを感じさえする。
『視えるか?』
「おかげさまで。これが
眼の前に今までの視界とは違う何かが映り込む。
瘴気が僅かだが色として目に映っている。進む先の右側には濃い色が。恐らくこれは霊魔なのだろう。そう考えながら進む路を変え、やり過ごす。
足音もなく、前兆もなく現れる様に視える霊魔も、やはり前兆はあるのだ。
霧とは境界。現世と幽世との繋ぎ目。
霧原は霧祓い。祓うことを決められた一族。
そして、その
春雪の霊力と相性が良く、その目が片鱗を見せ今は瘴気の濃淡が緩く理解できる様になっていた。
また、霧を渡る事に特化した事で〈霧渡り〉も曖昧な存在となっていた。
故に幽世に近ければ近いほど、形が定まり声が聞こえてくる。
死に際に声が聞こえる、というのはあながち間違いではないと納得して嘆息する。
「西に抜ければ丸奈川がある。柊橋へ抜ける橋があった筈だ」
一時間だろうか、二時間だろうか。都度呼吸を整え、霊魔を払い、進んでいく。
ふと、足が止まる。
原因は眼の前の甲冑姿だ。視線がその霊魔をなぞる。その霊魔はがらんどうだ。本来であれば居て当然である中身が存在していない。更に言えば、そこにあるだろう頭が無い。その両手は刀を持ち、上段の構えをとっている。今まで斬って捨てた霊魔とは濃さが違う。
手に汗がにじむ。一段階程は更に空気が冷たくなっている。
実態があるのかすら定かではない。しかし、振り下ろされる刃の勢いは強い。
一合目。振り下ろされた刀を側面から弾こうとした際に打ち合ってはいけないのを理解して滑り込むように足元へ潜り込めば、逆袈裟に切り上げる。
手応えに春雪は一つ舌打ちを、そのまま転がり相手の後ろ側へと抜ける。
「……っ! 僕の力ではこれを抜くのは厳しいな」
勢いのまま立ち上が――ろうとする所で体を止める。
すぐ上を横薙ぎが通過していく。余波で髪の毛が舞い上がる。
「見た目に反して、動きも良いぞこいつ」
『足を止めるなハルユキ。次が来るぞ』
声とほぼ同時、既に振り上げが終わり――振り下ろされる。
強引に地面を蹴り、後へと転がるように、実際に転がりながら距離を開く。間に合わなければ即死だろう。武士ではないのだから、鎧兜など身に付けていないし、身に付けていたら既に死体となって転がっていただろう。
姿勢を直せば踏み込む。間合いは把握出来ていた。体を半身ずらし、目の前を通過する刀を見ずに体を反転させ更に踏み込む。鎧の隙間を狙う様に刀を薙ぎ込む。
そのまま斬り上げれば、霊魔の右腕が宙を舞った。
しかしその腕は刀を握っていなかった。
『ハルユキ!』
判断をするよりも体が早く動いていた。甲冑を蹴り、自分を後へと弾き飛ばす。
霊魔はその左腕一本で、振り下ろした刀をそのまま横薙ぎに払っていた。
「ぐ、うっ」
躱しきれず、血が滴り落ちる。春雪は左手で目元を抑える。
「へへ……。いよいよもって、三途の川が見えてきたな」
僅かに致命傷は避けたが、斜めに切られた右目はその役目を失っていた。
痛みよりも熱さ。それすらも怪しい。ただそのおかげで戦う事ができそうだった。
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