『伊藤葵』

 ショッピングモールの霧は追いつこうとしてくる。振り切るように前かがみで走り抜けた。背中の彼は重いから速度が出ない。最初に遭遇したように、一人だったら足で逃げられる。


「参加が二回目でよかった」


 子供が出現して転びそうになる。大人がカフェに入ろうとした。霧は背中すら到達していない。フードコートの出口にたどり着けた。身体の力が抜けそうになる。

 ショッピングモールの通路に休憩できる椅子がある。そこに彼を寝かせることにした。


「ゆっくり下ろすから」

「ありがとう」


 彼は額を切っていた。後は膝に青あざがあるだけで、怪我は転倒したのと変わらない。


「怪我はないね」

「幻想使いが助けてくれた。彼女のように強くなりてぇな」

「だったら弟子入りでもしたら?」

「魔法が使えるようになるのかな」


 ここはスーシャの出現と正反対だ。幻想使いが彼女を守ってくれている。


「五十嵐さんが心配なんだろ。言ってきなよ」

「いいの?」

「早く行ってこい」


 ふと腕が動いて、彼の頭を撫でた。


「へ?」

「あ、ごめんなさい!」


 彼は仰天し、口が塞がらない。

 身体のクセは染み付いて取り外せなかった。条件が揃えば誰だって動いてしまう。


「お前……、いや。なんでもない」


 居心地が悪くなってきた。私は感謝を伝え、あの霧に突進する。客の姿が白くなって消滅した。誰もいないテナントを横切る。あの彼女がいたところにまで走った。



 2階のおもちゃ売り場は幻想使いが1階を覗いていた。


「幻想使いさん!」


 顔を動かさずに手を上にして返事する。横に並び手すりを掴んだ。


「翔は逃がしました」

「私もスーシャを一体だけ撃破した」


 幻想使いは敵に容赦がなく撃退してくれる。あの痛烈さは心に涼しい風を吹かした。透明な男子は床に溶けてしまったことだろう。


「あれ?」


 そして、2階は沙織の姿がなかった。


「沙織はどこに行ったの?」

「ん」


 彼女の右手が手すりを超え、指をしたにする。人差し指だけを残し、中指等を丸める。そして下をさす。

 そこはスーシャが2体もいることが判明した。敵は壊滅していない。


「五十嵐沙織は君の不幸を願うつもりだ」

「沙織……?」


 ヨークは幻想使いの協力を説明した。スーシャに寝返るなんて聞いたことない。彼女のメリットがないからだ。それなら、本来の職務をまっとうする。

 あ、そうか。沙織が危ない。


「沙織!」

「闇雲に探しても分からんよ」


 構わない。

 私は2階の手すりに足をかけ、そのまま舞台に乗り上がる。空気が勢いを和らげてくれ、スーシャと同じ目線になれた。


「沙織はお前の破滅を望んでいる。正義のない奴はスーシャに食われ、自己崩壊を手助けするべきだ」

「そんなことさせない!」


 沙織の性格は判明していない。けどスーシャに恐怖を覚えたはずだ。その場で蹲っていないなら動けるところで走る。近くの行き止まりを総当りするだけだ。

 幻想使いが魔法を使い、声を脳に届けた。


「アイツはお前の不幸を祈っている。助ける義理もない」

「助けない義理もない。私は誰でも助けるよ」

「だから、自分の置きどころがわからなくなったんだろうが」


 幻想使いは私の情報を取得していた。漏洩の特定は難しい。


「いや、まだ方法はある」


 やがて、沙織の足取りをつかめる。スーシャの数が多いところが彼女のいるところだ。私はポケットの指輪を取り出し、指にはめた。

 沙織が曲がり角にいる。スーシャは沙織の選択肢を狭くしていた。


「沙織!」

「い、伊藤さ」


 スーシャたちの間をすり抜けていく。沙織が怯えて動けないところに先頭に来る。


「伊藤さん。伊藤さん、私……」


 顔は青く両肩を抱いている。世界を嫌いそうな姿勢が危険性を孕んでいた。人間は追い詰められると奇行に走りやすい。課題は時間と知識を複合して解決させるものだ。ともかく、心配させちゃいけない。


「大丈夫だから心配しないで」


 笑顔で騙されてくれたらいい。スーシャは接近する速度が変わる。

 私は指輪を空に向ける。そうして、浮かんでくる言葉に身を任せた。


「指輪よ。私たちを守れ!」


 指輪の宝石が横に引き延ばされる。一周したら輪っかが巨大化した。指を入れる輪っかは頭が入るほど肥大する。白い輪っかが頭に装着し、沙織の頭にも感染した。


「な、何してるの」

「私の願いを代償に守っている」

「何で、そんな……」

「貴方のせいじゃない。これは私がやりたかったことだから」


 スーシャは他人の体を借りて、人生を乗っ取ろうとする。彼らは感情がないが、一つの命令を信じて動く。その命令とは『生き抜け』というもの。前回は彼らに苦戦したから、対策は最善手だ。


「そんな、あなたの指輪が……」


 指輪は世界を変えられる願いと、何者から守ってくれる力がある。前者はアプリでパーセンテージを貯め、後者は一度使用すれば願いは叶えられない。

 私は記憶を取り戻すことだった。しかし、沙織なら誰なのか教えてくれる。いや、知らなくても困らない。結局は近づきたいだけだ。


 指輪は天使の輪っかとして、スーシャの体が上部と下部で二つになった。その撃退方法は輪っかを察したものから伝染する。霧もやがて薄らいでいく。


「終わった……」


 その場で崩れ落ちた。人が視界に戻ってきて、その道に歩を進める。


「なんで、私をそこまでかばうの」

「罪滅ぼし、かな」

「覚えてないのに?」


 彼女の視点なら指輪を酷使させたことになり、罪悪感で押しつぶされそうかもしれない。願いを放棄させたわけだから。


「願いを使わせてしまった」

「まだ願いを叶えられる。だって、覚えている沙織がいる」

「記憶の貴方は歪んでいる。もう原型なんてないかも」

「それでもいいよ」


 前髪をかき分ける。その顔は泣き腫らしたあとがありつつも、凛々しい目つきをしていた。


「あなたがしたことをすぐに向き合えない」

「うん」

「助けてくれてありがとう」


 顔が暑くなり、こみ上げてくる。深呼吸をしてなんでもない顔に切り替えた。平然とするように思われてたらいいな。

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