『伊藤葵』
ショッピングモールの霧は追いつこうとしてくる。振り切るように前かがみで走り抜けた。背中の彼は重いから速度が出ない。最初に遭遇したように、一人だったら足で逃げられる。
「参加が二回目でよかった」
子供が出現して転びそうになる。大人がカフェに入ろうとした。霧は背中すら到達していない。フードコートの出口にたどり着けた。身体の力が抜けそうになる。
ショッピングモールの通路に休憩できる椅子がある。そこに彼を寝かせることにした。
「ゆっくり下ろすから」
「ありがとう」
彼は額を切っていた。後は膝に青あざがあるだけで、怪我は転倒したのと変わらない。
「怪我はないね」
「幻想使いが助けてくれた。彼女のように強くなりてぇな」
「だったら弟子入りでもしたら?」
「魔法が使えるようになるのかな」
ここはスーシャの出現と正反対だ。幻想使いが彼女を守ってくれている。
「五十嵐さんが心配なんだろ。言ってきなよ」
「いいの?」
「早く行ってこい」
ふと腕が動いて、彼の頭を撫でた。
「へ?」
「あ、ごめんなさい!」
彼は仰天し、口が塞がらない。
身体のクセは染み付いて取り外せなかった。条件が揃えば誰だって動いてしまう。
「お前……、いや。なんでもない」
居心地が悪くなってきた。私は感謝を伝え、あの霧に突進する。客の姿が白くなって消滅した。誰もいないテナントを横切る。あの彼女がいたところにまで走った。
▼
2階のおもちゃ売り場は幻想使いが1階を覗いていた。
「幻想使いさん!」
顔を動かさずに手を上にして返事する。横に並び手すりを掴んだ。
「翔は逃がしました」
「私もスーシャを一体だけ撃破した」
幻想使いは敵に容赦がなく撃退してくれる。あの痛烈さは心に涼しい風を吹かした。透明な男子は床に溶けてしまったことだろう。
「あれ?」
そして、2階は沙織の姿がなかった。
「沙織はどこに行ったの?」
「ん」
彼女の右手が手すりを超え、指をしたにする。人差し指だけを残し、中指等を丸める。そして下をさす。
そこはスーシャが2体もいることが判明した。敵は壊滅していない。
「五十嵐沙織は君の不幸を願うつもりだ」
「沙織……?」
ヨークは幻想使いの協力を説明した。スーシャに寝返るなんて聞いたことない。彼女のメリットがないからだ。それなら、本来の職務をまっとうする。
あ、そうか。沙織が危ない。
「沙織!」
「闇雲に探しても分からんよ」
構わない。
私は2階の手すりに足をかけ、そのまま舞台に乗り上がる。空気が勢いを和らげてくれ、スーシャと同じ目線になれた。
「沙織はお前の破滅を望んでいる。正義のない奴はスーシャに食われ、自己崩壊を手助けするべきだ」
「そんなことさせない!」
沙織の性格は判明していない。けどスーシャに恐怖を覚えたはずだ。その場で蹲っていないなら動けるところで走る。近くの行き止まりを総当りするだけだ。
幻想使いが魔法を使い、声を脳に届けた。
「アイツはお前の不幸を祈っている。助ける義理もない」
「助けない義理もない。私は誰でも助けるよ」
「だから、自分の置きどころがわからなくなったんだろうが」
幻想使いは私の情報を取得していた。漏洩の特定は難しい。
「いや、まだ方法はある」
やがて、沙織の足取りをつかめる。スーシャの数が多いところが彼女のいるところだ。私はポケットの指輪を取り出し、指にはめた。
沙織が曲がり角にいる。スーシャは沙織の選択肢を狭くしていた。
「沙織!」
「い、伊藤さ」
スーシャたちの間をすり抜けていく。沙織が怯えて動けないところに先頭に来る。
「伊藤さん。伊藤さん、私……」
顔は青く両肩を抱いている。世界を嫌いそうな姿勢が危険性を孕んでいた。人間は追い詰められると奇行に走りやすい。課題は時間と知識を複合して解決させるものだ。ともかく、心配させちゃいけない。
「大丈夫だから心配しないで」
笑顔で騙されてくれたらいい。スーシャは接近する速度が変わる。
私は指輪を空に向ける。そうして、浮かんでくる言葉に身を任せた。
「指輪よ。私たちを守れ!」
指輪の宝石が横に引き延ばされる。一周したら輪っかが巨大化した。指を入れる輪っかは頭が入るほど肥大する。白い輪っかが頭に装着し、沙織の頭にも感染した。
「な、何してるの」
「私の願いを代償に守っている」
「何で、そんな……」
「貴方のせいじゃない。これは私がやりたかったことだから」
スーシャは他人の体を借りて、人生を乗っ取ろうとする。彼らは感情がないが、一つの命令を信じて動く。その命令とは『生き抜け』というもの。前回は彼らに苦戦したから、対策は最善手だ。
「そんな、あなたの指輪が……」
指輪は世界を変えられる願いと、何者から守ってくれる力がある。前者はアプリでパーセンテージを貯め、後者は一度使用すれば願いは叶えられない。
私は記憶を取り戻すことだった。しかし、沙織なら誰なのか教えてくれる。いや、知らなくても困らない。結局は近づきたいだけだ。
指輪は天使の輪っかとして、スーシャの体が上部と下部で二つになった。その撃退方法は輪っかを察したものから伝染する。霧もやがて薄らいでいく。
「終わった……」
その場で崩れ落ちた。人が視界に戻ってきて、その道に歩を進める。
「なんで、私をそこまでかばうの」
「罪滅ぼし、かな」
「覚えてないのに?」
彼女の視点なら指輪を酷使させたことになり、罪悪感で押しつぶされそうかもしれない。願いを放棄させたわけだから。
「願いを使わせてしまった」
「まだ願いを叶えられる。だって、覚えている沙織がいる」
「記憶の貴方は歪んでいる。もう原型なんてないかも」
「それでもいいよ」
前髪をかき分ける。その顔は泣き腫らしたあとがありつつも、凛々しい目つきをしていた。
「あなたがしたことをすぐに向き合えない」
「うん」
「助けてくれてありがとう」
顔が暑くなり、こみ上げてくる。深呼吸をしてなんでもない顔に切り替えた。平然とするように思われてたらいいな。
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