第32話 魔王の登場と俺の最大のピンチ

悪い幻覚から目が醒める。ダチュラ系の麻法が見せる幻覚はあまりに狂気に満ちていた。まさに悪夢だった。

「気分はどうですか?」

俺の顔をを心配そうに覗き込んでいた時塚に俺は、目が覚めたら美女がいないとはどういうことだよ、と苦情を言う。


「馬鹿言ってんじゃねえ。敵に毒を盛られて挙句に味方相手に大立ち回りなぞしやがって。損害分はお前の手当てから差っ引いてやるから覚悟しろ。」

倉崎が憮然とした表情で言う。もちろん、本当にやったらただの法令違反ブラックだが、心配してくれていたのだろう。おっさんのツンデレやめれ。


俺はよろよろと立ち上がる。すると倉崎に止められる。

「今日は寝てろ。明日の再攻撃で決着をつける。」


その晩、三上さんは時塚に全てを話したそうだ。

三上さんはアフリカでバロンの妖精憑きになり、日本に帰国後、正契約者のイガロに会ったのだ。三上さんにイガロのスパイになることを強制され、カンロの捜査を進めていた時塚の父親との間の「二重スパイ」になっていたのだ。結局、三上さんの流した情報によって時塚の父は命を落とした。三上さんは今でも俺たちの動向に関する情報を流していたのだと言う。


 これからどうする、時塚?

「もちろん、戦いますよ。父の仇を討つまではね。」

親父さん、お前が大人しく医者をやってくれていた方が良かったんじゃないのか?

「どうですかね。父の中の『親』の部分ではそうだと思います。でも父の中の『男』としての部分では戦ってくれることを望んでいたんじゃないですかね。今更聞きようがないですけど。」


 三上さんをどうするんだ?許せるのか?かつていじめられた経験を持つ俺は聞かざるを得なかった。時塚は

「それは、彼のこれから次第だと思います。彼が父の死に間接的に関わっていることも、僕たちが危険にさらされる原因になったのも事実です。たとえ法で裁けないとしても、彼がそれに向き合ってどう生きるかにかかっていると思います。⋯⋯頭ではわかっているんですけどね。」


 そうか、やはり俺とは人間の出来が違うんだな。他者の命をもてあそんだことを自覚し、それと向き合っていくなら許す、か。考えてみれば剱持のやつも向き合っていたと言えなくもない。俺をいじめたほかの連中はどうなんだろうか?来年、小学校を卒業して20年になる。それでも俺は当時のことを思い起こすと怒りと憎しみで身震いする。あいつらは今、どんな思いで過去と向き合い、歩んでいくのだろうか。


  翌日、早朝から再攻撃が始まる。やはり、度重なる戦闘によって、イガロ側の抵抗は徐々に弱まっている。生産ユニットからの補給は別動隊の掃討作戦によってかなり制限されているはずだ。おそらくは武装ユニットに備蓄された物資をやりくりしているのだろう。こちらは物量の差を背景に、慎重にそして確実に攻撃を重ねていく。


そして、ついに大将が出て来た。ブライアン・イガロ御本人の登場である。イガロはゆっくりと変身する。それは巨大な獅子の頭を持つ人型の魔獣であった。

「オリアクスか。」

倉崎がつぶやく。オリアクスとはソロモン七十二柱に名を連ねる悪魔である。天主教における悪魔とは元が堕天使であったり、異教の神だったりすることが多い。悪魔を意味するdemon【デーモン】はギリシャ語では神を指す言葉だ。


 一斉に砲撃を開始する。しかしながらこちらの魔法攻撃型の魔弾が全く効かない。物理攻撃型もイガロの硬い装甲に阻まれる。最後の最後でまさに「魔王」が登場したのだ。せっかくのこちらの攻勢も徐々に押し返されていく。戦争の終わりの予感にかえってこちら側が浮足立ってしまった形だ。


「クイズ番組の最後の問題のボーナスポイントみたいですね。せっかく990点対100点で押して来たのに最後の1問で1万点で大逆転、ってやつです。胸糞悪い。」

時塚が毒づく。テレビのバラエティ番組の終末期は確かにそんなものだった。


「エノモト、俺と勝負しろ。」

イガロが俺を煽るが俺は応じない。そりゃそうだ。1対1で勝てるわけがない。


「お前が応じるまで俺はお前の仲間たちを殺し続けるだろう。」

やばいって。俺は倉崎の顔を見る。倉崎の顔は青ざめていた。

「まずいな。すぐに福者を呼ばないと死人が出るぞ。しかし、今から呼んでも何人かは死ぬ。」

 どうする?倉崎は爺様に連絡を取る。爺様がゲートを使って四谷の統合幕僚本部に行き、そこから新宿御苑まで来るのにどう見ても最低1時間はかかる。それまでイガロが待ってくれるはずがない。逆に、俺が爺様の登場まで俺が持たせることができるとすれば。ここは腹を括るしかない。時塚。カンロをくれ。持ってるんだろ?

「エノさん、どうする気ですか?」


 俺がゾンビ化した時、俺の身体能力のリミッターが外れた。バロン・サムディの術式は暴走さえしなければパワーアップに関しては優秀なのではないだろうか?

「仮説に過ぎませんよ。それに、僕が持ってる魔法陣は変身用ではなく、快楽用ですよ。」


それでもだ。俺のために誰かが死ぬなんてまっぴらごめんだ。ぶっつけだろうがなんだろうが、俺がこの手で俺の活路をもぎ取ってやる。

俺は時塚から魔法陣を受け取るとそれに治癒、つまり時間遡行をかける。 魔法陣の陣容が徐々に変化する。今は快楽用としても戦闘用をベースにしているなら。俺は時間を遡り過ぎないよう気をつけながら戻す。


「時塚、みんなの撤退を手伝ってくれ。」

「はい。」


俺は魔法陣に点火し、それを咥えると魔法陣を発動した。まだ快楽要素が残っているのか頭がすっとする覚醒感を覚える。俺の肉体がすぐに変化を起こす。盛り上がる筋肉、身体の隅々に至るまで漲る力、まさに心地よい万能感に包まれる。ただ、姿が獣化することはなかった。

背に一対の翼。これが俺が天使憑きであることの証だ。天使という名の獣だ。


俺の勝利条件は明確だ。福者である九条白右がここに到着するまで俺が立っていることだ。


「ほう、エンジェルクライを使ったか?」

イガロが槍を構えた。俺は土系魔法を起動する。土属魔法は周囲の地形を攻撃に使うことが多いのだが、残念ながら敵の結界によってこの要塞内では使えない。残った手段はただひとつ、体内の魔力を格闘に使う九条流だ。ただ、さすがに徒手で槍を相手には出来ない。

俺は土系魔法で棒を作る。棒ではカッコ悪いので魔杖ということで。


イガロのくりだす槍の切っ先が何度も俺をかすめる。疾い。しかし、俺もそれをいなし、打ち返す。俺の杖は魔法によって強化され、イガロの槍と渡り合う。

イガロの攻撃はいかにもアフリカらしい、型よりも柔軟性と野生に富んでいる。俺もエンジェルクライによって強化されていたため、打ち負けることもなく、俺は恐怖よりも昂揚感を感じていた。


ただ、それはイガロが魔法を使い始めるまでだった。

「爆破魔法」。いわゆる火系と風系の混成魔法だ。正直、マスティマの眷属は地面を変形させて土の壁で防ぐ「土塁」を使うのだが、ここではできない。


俺がイガロを抑えているうちに、「生身」の味方は撤収し、代わりにギアを投入する。味方を殺させない、という俺の当初の目的は達成したのだが、今度は俺が殺されないようにしなければならない。


徐々にイガロの魔法の威力が増して行く。こちらも結界による防御を続けていくが、ガンガン削られていく。怖い。これほど戦っていて怖いと思ったことはない。背中や額に脂汗をかく。こんな感覚は清水の舞台から突き落とされて以来だ。あの頃の記憶がフラッシュバックのように甦る。


イガロは無言で攻撃を続ける。敵に恨み辛みを延々と語りながら戦うやつなんていない。戦う理由は両者のうちにだけ存在し、それを語るのは力と技、ただそれだけだ。


俺は徐々に、 痛みと脱力感で朦朧となる。くそ、結界の再構築の速度が遅い。このままだと⋯⋯死。死ぬのか、俺は。


俺の頭の中を走馬灯のように昔の記憶が回っていく。でもなぜか、いじめられていることしか思い出せない。脱出することの敵わない黒い記憶。痛い。苦しい。嫌だ。


やっと記憶が動いたと思ったら、今度は軍をクビになった日を思い出す。査問に次ぐ査問、自分の過ちのゆえだったとはいえ、恥辱に満ちた日々。


無心になればなるほど記憶の暴走は止まらない。俺はイガロの魔法攻撃の直撃を受け、再び床に叩きつけられる。恐怖とダメージによって立ち上がろうにも膝が震える。


⋯⋯いっそ、もうこのまま寝ていたい。痛みのせいで意識が飛びそうになってくる。ようやく立ち上がっても再びイガロの魔法が直撃する。結界の再構築が間に合いそうにない。再び叩きつけられようにも受け身すら取れなさそうだ。


俺は叩きつけられると思ったが、抱きとめられる。

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