第30話 脱獄者と亡父の記憶
なんのことはない。虚数結界の術式の起点はデルーロ本人であった。おそらく、致命傷かどうかはともかく、大きなダメージはあったはずだ。彼の反応は生産ユニットの下の方へと移動する。おそらく治療のために搬送されたと推測される。
ありがとう、芽依ちゃん。俺が礼を言うとはにかんだような笑みをみせた。珍しい。
「はい。こちらこそありがとうございます。」
芽依ちゃんは頭を下げる。
「大丈夫ですか?」
時塚が俺にコーヒーを渡した。虚数魔法はラファエルの眷属が得手だったはず。とはいえ、魔弾を使わないラファエルの眷属がよく魔弾なんか持っていたな。
「そりゃそうです。聖女様のお手製ですから。」
時塚は赤坂御所に行って
ありがとな、時塚。正直言って助かったよ。俺が礼を言うと相棒ですから、と嬉しそうに言った。
そこに倉崎社長がやってくる。
「爽至、悪いニュースだ。三上さんが脱走した。」
え?どうやって?どうにもこうにも千鳥ヶ淵の本部施設の留置室の開錠コードを開けて自力で逃げたようなのだ。俺、三上さんがサイコメトラーだって言わなかったっけ?そんなの触っただけで解ってしまう。
「あの、⋯⋯私、捜してきます!」
芽依ちゃんが勢いよく要塞攻略本部から出て行く。そりゃ13歳の再覚醒の時からの教官である。父親のように慕っている。当然の反応だった。
ここはデルーロが回復する前に畳みかける、それがこちらの戦略であった。要塞を自在に操られてはこちらに勝ち目はないからだ。休憩を挟んでから俺たちは上の居住区へのアタックを始めることにした。
突入した居住区の最初のフロアは無人だった。しかし、そこには無数の呪術人形が跋扈しており、極めて不気味である。人形には形代を。小野寺をはじめ、陰陽師が式神を放つ。
「来たれ、十二天将。邪を払い、魔を滅し、悪を絶やせ!我らが同胞の道を作れ、
放たれた式神と呪術人形が激突する。どちらが正しいとか、そういう類の戦いではない。魔力と魔力、禍々しさと凶々しさの戦いである。ただ、こういうクラフト同士の戦いはお国柄がでるのかもしれない。ラフに作られた呪術人形を徐々に式神たちが押し始める。
「さあ今だ!たたみかけろ!
開始して1時間足らずで大勢は決した。
俺は破壊された呪術人形を手に取る。
「エノさん、何か気になりますか?」
時塚が尋ねる。いや、気のせいかもしれないが、呪術人形にしては思ったより精緻にできていた。アフリカやカリブ海諸国の大らかさは感じない。
ここからはエレベーターに乗り、一気に居住区最上部のホールに出ることになる。第一陣は結界士である。エレベーターのドアが開くとやはり、待ち構えていたかのごとく術士たちが反包囲を敷いていた。そして、結界士たちが固めた結界を打ち砕こうと一気呵成に攻撃を加える。彼らは第二陣の戦術士を迎えるまで持ち堪えなければならない。
第二陣の陣頭指揮を託された俺と時塚はエレベーターに乗り込む。エレベーターの上昇の時間が嫌に長く感じる。
「父さん⋯⋯。」
時塚が呟いた。
きっと亡くなったお父さんのことを思い出しているのだろうか。時塚は父親と同じ警察官を目指し、法学部への進学を目指していた。しかし、父親から反対される。
「綾介、俺は反対だ。警官は危険な仕事だ。人には嫌われ、給料以上の見返りもない。だれかに感謝されるでもない。……好き好んで目指すもんじゃない。おまえは医者を目指せ。」
医学部への進学は考えたこともなかった。もちろん成績が良かったので担任にも勧められたこともあったが乗り気ではなかった。夏休み、父親はわざわざ有給を取って、綾介を東大のオープンキャンパスへと連れて行く。
しかし、見学のルートやブースとはまったく違うところに連れていかれる。至法医学研究所、静宮研究室であった。東大では基礎研究は科学的手法で、臨床研究は至法的手法で行われていた。
部屋はきちんと整理整頓され、綺麗好きな綾介は好感を抱いた。夏休みにも関わらず多くの人がそこで動き回っている活気がある。部屋の中心にいたのは少女であった。ただ少女とよぶことさえおぼつかないという年齢だ。
「あの子は?」
いっぱしに白衣を身にまとい長い髪を結いあげた姿は見学者には見えなかった。少女はこちらに気づくと屈託のない笑顔で手を振った。どこかで見た顔だ。既視感を感じる。
「時塚、よく来てくれました。」
「はい、静宮様にお目にかかるのは久しぶりですね。」
綾介はそこで初めて「しずみや」ではなく「ちかのみや」であることに気づいた。皇嗣殿下の第4皇女である。確かまだ8歳だったはず。初めて対面する皇族のオーラに圧倒されてしどろもどろになっていると少女の方から自己紹介される。
「響子です。本当は『きやうこ』なんですが、『きょうこ』と発音してくださいね。」
思わず笑いを噴出してしまう。
「綾介さんは警察官のご志望なんですの?私、監察医なども依頼されることもあるのでいつか現場でご一緒するかもしれませんね。」
「どうだった?医学部もいいだろう。人を捕まえるより、救う方が俺はいいと思う。今、父さんは『エンジェル・クライ』って麻法の事件を担当してるんだ。おそろしい麻法でな。宮様にも色々相談に乗ってもらってるんだ。俺は今、方々から命を狙われている。俺に何かあったら、母さんと(妹の)律花のことを頼むぞ。……それに、お前が医学部に行って、連絡係になってくれたら宮様に迷惑がかからなくて済む。そして、ついでにコネを作っておくのはどうだ。」
親父も存外「俗物」であった。正義を体現する警察官である以前に、家族や子どもの将来を心配する父親だったのだ。綾介は父親にかかっていた重圧をひしひしと感じたのだ。確かにこれ以上オヤジの心配のタネを増やすこともないか。綾介は医学部志望に舵を切った。
エレベーターの扉が開く。すでに敵の
父が撃たれたと連絡を受けたのは2年半ほど前だった。綾介は病院にすぐに駆け付けず、自宅に戻るとオヤジの金庫を開ける。それは、すでに彼と父の間で決められたことだった。中の資料を根こそぎアタッシュケースに入れると勤務先の病院に戻り、資料を皇女静宮に渡したのだ。
父はカンロを服用した被疑者が暴走し、放った魔法で命を落としたのだ。麻法犯罪の急増に手を焼いていた警視庁は、時塚の父の死を機に組織犯罪対策部(組対)に新たに麻法犯罪を専門にする6課を新設したのだ。
父の葬儀の時に、父の部下だった三上に最初に聞かれたのは父が個人的に持っていた捜査資料の在り処であった。
「僕はなにも知りません。仕事の話を家に持ち込む父ではありませんでしたから。」
すでにその時、綾介は警視庁に対して不信感を抱いていたのだ。というのも、なぜか被害者である父の部屋にまで家宅捜索が行われていたからである。何か後ろ暗い何かがある、そう思ったのだ。菊のカーテン、つまり皇室の不可侵性を父が欲していたのが何よりの根拠であった。
「時塚。あなたが医局に行く件ですが。」
宮様がこう切り出した時、綾介はすぐに断った。
「響子様。すみませんが、俺をマトリに推挙していただけませんか?」
「マトリというのは、かの法務省のマトリのことでしょうか?」
「はい。……父の仇を討ちます。」
なるほど、という言葉を宮様は飲み込んだように見えた。
「そう……。わかりました。便宜を図りましょう。時塚、遠慮なく、いつでも私を頼りなさい。そして、またここに帰ってきなさい。」
「……はい。お世話になりました。」
綾介は深々と頭をさげるとすぐにそこを辞した。あの美しく大きな瞳に湛えられた涙を見てしまったら間違いなく決心が鈍ると思ったからだ。
結界士を増やし、徐々に陣営を拡げて行こうというとき、あちらから女性が現れた。白い肌に金髪をなびかせ、真っ赤なボディアーマーに身を包んだ女性。顔を半分は覆う大きなアイマスクが印象的である。ルージュを引いた唇をぎゅっと結ぶ。
彼女の名は「メリッサ・イガロ。」四天王の最後の一人である。
◇◆◇◆◇◆◇◆
(おことわり)22話で紹介した響子様の年齢を修正してあります。
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