第6話 :魔法と天使と担任と
ポール・オコロ容疑者は間もなく釈放された。在宅起訴になるためである。大量の移民の流入により治安の悪化した日本ではいわゆる重犯の容疑者以外を拘留することは少ない。というのも、「天使の呪眼」と呼ばれる犯罪者を管理する至法システムがあるからだ。ただ魔法の行使は殺人未遂並みの重さがある。本来なら在宅起訴などあり得ないのだが、いわゆる「囮捜査」のためである。
「呪眼」をオコロに仕込み、泳がせることにしたのだ。魔法回路を持たない人間が強化系魔法を使えばかなりの快楽を得られる。間違いなく売人と接触するだろう。被告人が売人に殺されたらどうすんだよ?俺の問いに時塚は言い放った。
「ジャンキーが減って無駄な出費が減るだけですよ。治療だって国民の血税が使われるんですからね。」
いつもの落ち着いた時塚の顔にふと凶悪さが過った、俺は思わず抗議の文言を飲み込んでしまった。
当直明けの晩、俺はいつものように「濁庵」の暖簾をくぐる。明日は非番だと思うと飲みたくなるのだ。
「いらっしゃい、エノさん。」
胡桃ちゃんが元気な声をかけてくれた。
カウンターで夕食を兼ねた晩酌をする。隣の席に客が座る。俺はこの距離感があまりにも窮屈に感じられる。
「隣、いいかい?」
この声は釼持。俺は隣を見ずにええ、と一言だけ、それもなるべく低い声で答えた。子供の頃のトーンで俺だと気づかれたくなかったから。
「久しぶりだな、榎本。」
俺の肩がびくりと震える。
「マトリになったんだってな。官報で見たぜ。」
ボランティアが終わった天使憑きは自由に身を処することが可能だが、「生体兵器」であることには違いがないため、天使憑きを雇用した企業や官庁はその旨を告知しなければならないのだ。それで6課の三上さんも知っていたのか。
「そういえば、修学旅行の時だったよな。お前が天使に憑かれたのはよ。」
剱持の問いに、俺はやつを見ずに頷いた。
そう、俺が天使と契約したのは小学6年生の修学旅行だった。京都奈良で2泊3日。まだ京都の良さなんてわからない年頃。大阪のUSJが予定に入っていた他校が羨ましかった。
そして、2日目のグループ行動で京都を回る日。俺は見事に他のやつらに「おいてけぼり」にされたのだ。
俺は携帯電話を鳴らそうかどうか迷った挙句にやめた。考えてみれば一人の方が気楽じゃないか。俺は予定通りのルートを回って自分なりに課題をこなすことにしたのだ。 清水寺に寄ったところで同じグループだった連中もそこにいた。連中は俺に気づかれないように隠れているらしく、めんどくさいので俺も気づかないふりをしていた。
有名な「清水の舞台」。もとは願掛けのために飛び降りたんだそうだ。大怪我をすれども致死的ではない高さ。でもやっぱり飛び降りるなんて俺にはできない。そう思った瞬間だった。ふわっと自分の体が浮く。そして、舞台の手すりから外に投げ落とされたのだ。
そう、同じグループの連中の「いたずら」だった。俺は落ちながら自分が落とされたあたりを確認する。あいつらだ。心底嬉しそうな顔で見ているやつと、罪の意識なのか顔を強張らせているやつ。
「子供が落ちたぞ!」
観光客の声がする。それよりも外国人観光客の「ノー」って声の方が大きい。地面に俺の身体が叩きつけられた瞬間、俺は一瞬のうちにどこかに転送されていたのだ。
俺が目を覚ますと、不思議な光景だった。伏見稲荷の千本鳥居を潜り抜けるような映像が目に入る。身体が宙を浮いているようだ。行き着いた本殿には「天使」が行儀悪く片膝を立てて座り、俺を見下ろしていた。赤を基調にしたデザインの本殿に真っ白な装束の天使は意外な取り合わせのわりに、違和感がなかった。天使は長めのくすんだ銀色の髪を気だるそうにかきあげてから俺に尋ねた。
「お前、生きてて楽しいか?」
「別に。」
俺は即答した。自分の生き方がかっこ悪いのをいちばん呪っているのは自分なのだ。
天使はマスティマと名乗った。
「お前、割とよくやってる方だと思うぜ。よく逃げもせず学校に行ってるな。大したもんだぜ。」
天使は俺がいじめに耐えていることを褒めてくれた。凄いうれしかった。
「まあ、義務教育を受けんのは国民の義務だからね。」
嬉しすぎて妙にイタイ返事をしてしまう。ただ突拍子もないその返事を天使はイタく気に入ったようで大いに笑った。
「お前、ほんとは面白えやつなのな。気にいったぜ。今日からお前は俺の配下につけ。」
交渉とか了解とかそんなものはない。だから「天使憑き」。勝手に憑かれるのだ。
「それを食え。」
天使はリンゴのような形をした赤い木の実のようなものを手渡した。ものすごく甘い香りがして、俺は何かを確かめるまでもなくそれを口にしてしまった。ものすごく甘い、そしてうまい。おれはぺろっと一つ食べてしまった。
「なんですか?これ。」
俺が間抜けな質問をすると天使は笑う一つ果実を投げてよこす。
「毒だ。その毒消しを食わないと今日中に死ぬ。」
俺はあわててもう一つの実を食べる。今度はものすごく酸味がきいている。
それが天使との契約に必要な二つ実だったのだ。魔法回路を体内に開くための「智慧の実」、そして神の元素とよばれる「エーテル」を物質に転換するための「生命の実」である。
こうして、俺は天使憑きになった。あらゆる魔法が駆使できる「福者(正規契約者)」とは異なり、『カリスマ』と呼ばれる特殊な魔法能力が付与される。
「いいか?この力はな自己の欲望のために使うんじゃねえぞ。他人に『ありがとう』と言ってもらえることにだけ使うんだ。いいな。」
俺が頷くと俺の意識が戻る。そう、清水の舞台の下で横になっていたのだ。ほどなくして救急隊がかけつけてくれたが、俺の身体には傷一つなかった。もちろん、病院に担ぎ込まれて精密検査を受けたがどこにも異常はなかったが、関係ないところに異常が見つかった。「至法中毒症」、そして背中の左あたりに天使の紋章が浮かび上がっていたのだ。
至法中毒症とは、たとえ医療目的でも過剰に至法が身体に施されると体内に余剰な至法力が滞留してしまうのだ。だいたい、俺には治療のために通院した記録はない。ではだれが治療を施したのか。
剱持は黙っていてくれ、と俺に哀願した。だが、俺は警察に全部正直に話した。無資格者による至法の行使は重大な犯罪である。いじめグループにも捜査は及び、こどもに至法の使い方を教えた剱持は教員免許をはく奪されてしまった。用務員として学校に勤務することもできたがプライドが許さず剱持は退職した。いじめグループの首謀者の父親も医院の診療停止処分を受けた。
そして、俺も小学校を後にすることが決まった。精神が未成熟なこどもの天使憑きは極めて危険な存在だからだ。
「お前が東京に行く、って聞いた時にはうらやましいと思ったがな。すぐに笑いに変わったよ。東京は東京でも……。あの『マホウトコロ』だからな。」
剱持がヒヒヒと笑いながら酒を煽る。俺があずけられたのは天使マスティマの正契約者、九条白右の本拠地である小笠原諸島の「硫黄島」であったのだ。東京都ではあるらしいが、全国のどこよりも東京が遠い。
ちなみに「マホウトコロ」というのは眼鏡の魔法少年シリーズの裏設定で、日本の魔法学校が硫黄島にあり、そう呼ばれていたところからとられた愛称……いや、皮肉をこめた呼び方だ。
その時デバイスが鳴る。俺が確認するとエマージェンシーコールだ。オコロになにかあったらしい。俺はすぐさま胡桃ちゃんを呼んで会計を済ます。
俺があわただしく出て行こうとするのを察すると剱持は言った。
「気をつけろ。イガロはただの売人じゃねえ。悪魔だ。」
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