第3話:居酒屋「濁庵【ダミアン】」にて。

俺と時塚が最初に出会った場所。それがこの居酒屋「濁庵だみあん」である。

「あれ、エノさん、いらっしゃい。お役所勤めは真面目にやってる?」

久しぶりにあった胡桃ちゃんは相変わらず愛嬌たっぷりであった。


「いらっしゃい、時塚さん。あれ、彼女さんとご一緒はひさしぶりですね。」

時塚もどうやらこの店の常連だったらしい。

俺たちは空いた席に座る。民間企業と違って残業がない分、早めについたせいか、まだ席に余裕がある。


「今日はダブルデートですか?素敵ですね。香耶さんは何時に来られるんです?」

「だ、か、ら、香耶は来ないって。」

胡桃ちゃんにからかわれて少しむっとしたふりをする。


「彼女さんがいたんですか?」

莉奈ちゃんが興味を示したので慌てて打ち消した。

「かつて、ね。でも縁起が悪いから、そっちの幸せな話で俺の胸をいっぱいにしてくれ。」

間違いなく胸焼けしそうだが。結局は可愛くて気立てが良ければたいてい男はついているもんだ。東大卒だから、案外男の方が気後れするかも、と思っていたがそうはいかなかった。


俺は自分の話をしたくない。だから二人の馴れ初めでも聞くことにした。「婚約者」というだけあってまさにラブラブ。俺と相向かいに座っていても時間の半分はお互いを見つめてやがると来たもんだ。


二人は大学の合コンで知り合ったという。時塚、お前も東大か。イケメンな上にキャリア官僚かよ。


学部が一緒だったのかを聞くと、その時はもう時塚はインターンに入っていたのだという。

 ああ。司法試験受かってたからか。法律事務所の司法研修生インターンの話でも聞いてみるか。

「りょうちゃんは医学部だったから、研修医をしてたんだよね。」

莉奈ちゃんが説明してくれた。医者そっちのインターンかよ?なぜマトリに?


マトリは医療系の至法が関係しているので薬学部卒や薬剤師の資格を持っているものも多いらしいが、医者なのかというか、あの超絶エリートの東大医学部卒か?あまりの自分との格差に一気に酒が回ってきた。まあなんだ。俺が彼を上回っているのは年齢だけである。


「で、なんで医者目指してたのに、マトリになんか行ったわけ?」

それは僕の家の事情ですよ、と時塚は簡単に話を切ると話題を変えてきた。これはつまり聞いてくれるな、ということか。


「ところで榎本さん。『エンジェル・クライ』をご存知ですか?」

「まあ、名前くらいは。」


エンジェル・クライ、麻法の一つだ。

 鳥型の人獣に変化させる強化系で、変化後の昂揚感が強烈である。実際に空を飛ぶことさえできる。問題は魔法回路の無い人間が使用すれば幻覚も併発するため、周りの人間を攻撃しようとするし、飛行中に効果が切れると墜落し、落ちた高度によっては死に至る。英語の「cry」には「泣く、叫ぶ」という訳されるが、「天使の慟哭」と訳されることが多い。

海外で生産されたものが密売されている。


 治安が比較的良好な新橋エリアではほとんどみかけないが歌舞伎町や六本木などでは毎晩のように飛んだ人間を見かけることができる。何年か前に乱用者に刑事が殺され、魔法犯罪でも「鬼なし」に特化した組対6課ができたはずだ。


「僕にとっては仇なんですよ。あのキナシがね。」


その時だった。居酒屋の引き戸を開けて男が入ってきた。地味な吊るし売りのグレーのスーツに銀縁眼鏡のどこにでもいそうなサラリーマン風の男だ。ただ腕時計はロレックスで靴はフェラガモだ。男はこちらに近づいてくる。


「おい、ちょっといいか?」

その声は忘れたくても忘れられない声だ。俺は振り返って顔を確認して声を上げそうになる。時塚の知り合いのようであったが俺にとっても同様だ。ただ、最後に会ったのは18年前、俺がまだ小学生の頃だ。向こうは俺が誰であるか分からなかっただろう。

「ごめん、ちょっと席を外します。」

時塚が席を立ってその男と共に店の外に出た。俺は心臓が高鳴り、ムカムカしたものが混み上げてくる。


そう、憎しみと怒りだ。相向かいに座る莉奈ちゃんが俺の異変に気づいたのか、

「榎本さん、どうかしましたか?」

と尋ねる。ドス黒い気が腹の中を煮えたぎった油のように這いずりまわる。俺は額から汗が滴るのを感じた。その時だった。


「エノさん。これ飲みな、ってパパが。」

胡桃ちゃんが緑色の液体がなみなみと注がれたジョッキを俺の前においた。

「それって……。」

あまりの禍々しい色に莉奈ちゃんが絶句する。もちろん、この飲み物は初めてじゃない。

特製濃厚青汁スペシャルグリーンスムージーだよ。」

ルビと字がこれほど乖離した飲み物は珍しいだろう。


俺はおとなしくそれを一気に飲み干す。ただ効き目はてきめんで一気に俺の異常は終了した。

「おや、『天使起動』……ですか?すみません。お待たせしました。」

そこに時塚が戻ってきた。天使起動とは天使憑きが危険を感じると天使の力を自分の魔力に転換するための特別な回路を体内に構築する現象のことだ。宇宙戦艦が波動砲を撃つ準備と言えばわかりやすいか。必殺技フィニッシュブローの魔法が起動するのだ。だから、さっさと自力で抑えないと大変な事態になる。天使憑きが定期的にメンタルチェックを施される所以である。


「僕は小児科で研修してたんですよ。天使憑きのお子さんに時折見られる症状ですから。大人になったら割と抑えが効くはずじゃありませんでしたかね?」

恐らく、半分は心配で半分くらいは皮肉が入っているのだろう。もちろん心配とはフィアンセへの心配である。


「何かありましたか?」

俺は大きく息をついてから言った。

「あんたのせいだよ。俺はさっきの男を知っている。釼持庸介けんもちようすけ、元小学校教諭だ。」

時塚は意外そうな顔をした。

「へえ。お知り合いだったんですか?」

「知っているも何も、俺とあいつはお互いに人生を踏みつけあった仲でね。」

俺も聞かないでくれオーラを発生させてみた。時塚はスマートに話題を変える。


「そういえば、子供の頃に天使と契約を交わしたそうですが、学校は行かれてたんですか?」

天使憑きというのは一柱の天使につき数千人から数万人発生する。大抵は一柱につき一人しかいない天使契約者に仕える存在だ。だから大抵の場合、契約が交わされれば正規契約者のもとに預けられる。

「まあ俺みたいな『野良』は珍しいからね。でも最初からって訳じゃない。俺の場合は子供の頃に憑かれてね。その後はずっと契約者に預けられていたよ。」


「マスティマの正規契約者といえば、確か九条元帥閣下でしたよね?」

九条白右くじょうしろう。魔導大戦の英雄である。


「まあな。偏屈なジジイでさ、マジで厳しい生活だったよ。」

「それで逃げちゃったんですか?」

「まあ、そんなところだ。」

いい加減なやつだと思われたかもしれない。俺は仲睦まじい二人を見ていた。香耶、幸せにやっているだろうか。


いや、その前に釼持のことが頭から離れようとはしなかった。











 









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