第2話:ちょっと話が違うんじゃない?

 週末が開けると俺は地下鉄桜田門駅近くの法務省の本省に出向いた。久しぶりに袖を通したスーツ。ただ大勢の行き交う人々の流れの中で、俺のこの勇姿を誰も気に止めはしない。だが、それがいいのだ。ちゃんと生きて仕事をしている。この感覚が俺の自尊心をくすぐるのだ。


赤煉瓦風の庁舎は魔導大戦後に建て直されたものだそうだ。入り口近くに時塚がいた。しかし、彼はダメージ加工されたデニムにジャケットというそこに全く似つかわしくない格好であった。

「どうした、その格好なりは?」

お互いに同じことを尋ねる。時塚が言うにはスーツ姿で捜査なんかはしないというのだ。では先日の格好はなんだったんだ。

「新橋だからですが。あそこでいちばん目立たないのはスーツでしょう?」

どうやら服装はまったくもって自由らしい。


ただ、建物に入るとやはり行き交う人はキャリア官僚ばかりのようで皆俺と変わらない歳なんだろうが、顔には自信が漲っているように見える。時塚の格好に驚いた様子もない。


 俺はだんだん緊張感が高まってくる。

通されたのは応接室であった。

「おはようございます。」

ソファに座っていたのは普段着のどこにでもいそうなオッさんであった。スマホを弄りながら大きなあくびをする。


「おはよう時塚。非番なのに悪いな。」

「いえ、私の方からお願いしたことですから。」


オッサンは俺をじろりと見た。捜査関係者特有の舐め回すような視線である。

「課長の久保だ。久保智明。あんたが『あの』榎本爽至えのもとそうしなんだってね。」


申し遅れたが俺の名は榎本爽至である。

「はい。」

俺は「天使登録証」を出した。久保はスマホを取り出すとチェックする。

「ほう、すごいステータスだな。」


 天使と契約した者は「福者」と呼ばれる正規契約者と、俺のように「天使憑き」とよばれる非正規契約者イレギュラーにわかれる。その違いはいろいろありすぎて説明しづらいのだが、例えれば「福者」が「戦略核兵器」で「天使憑き」は「戦車」と言ったところか。


 魔法を習得した惑星に創造主から強制的に派遣される「安全装置」みたいなものである。「天使憑き」には固有の攻撃魔法が付与されており、それを「賜物カリスマ」と呼ばれているのだ。


 「天使憑き」は政府に登録することが義務付けられている。いわば「銃刀法」に準ずる扱いなのだ。定期的にメンタルチェックや安全講習を受ける義務があり、かなりめんどくさい。ただ、その時に登録証のデータは更新されるので、不必要な詮索を受けずに済むのだ。


氏名/Name:榎本爽至 Enomoto Soushi

年齢/Age:30歳 30yo

契約/Testament:非正規 Irregular

契約主/Angel : マスティマ Mastema 

賜物/Charisma:魔弾 Magic Bullet


カードに記載されているのはこのほかは俺の現住所だけだが、閲覧資格者であればICチップにアクセスして俺の能力についてより詳細な情報を知ることができる。


「職歴はだいたい用心棒か。いいだろう。採用だ。」

久保は俺に握手を求めた。

「俺が総務(人事)に話を通しておく。手帖は今週中に用意するよ。いろいろ手続きがいるし、講習やらなんやら多いから、今月いっぱいはこっちに通ってくれ。」


 俺は廊下のベンチに腰掛けると、ネクタイを緩めて大きく息を吐いた。なんとか無職ではなくなった。


「とりあえず就職おめでとうございます。」

時塚が缶コーヒーを俺に手渡す。礼を言ってから一気に飲む。時塚は俺の隣に座った。


「これで俺も公務員か……。」

俺はしみじみと言ったが、時塚は間髪を入れずに否定する。

「違いますよ。」

「え?」

「臨時職員ですから。エノさんは公務員『でも』非正規ですね。」

「だれがうまいことを言えと。」

話が違うじゃないか。

「大丈夫ですよ。真面目にやってれば、そのうちに本職員にも登用されますかもって。『天使憑き』なんて勉強ができたくらいで取れるもんじゃないんですから。僕は普通にうらやましいですよ。」

 

 マトリが取り締まる魔法は「麻薬性魔法及び向精神魔法取締法」で定められた魔法、通称「麻法」である。「魔」と「麻」の違いから「無し」とも呼ばれている。 

 

 たいていは回復至法と攻撃系や強化系魔法を合わせたものである。その魔法を封じ込めた粉末や錠剤、魔法陣の形で密売されているのが現状だ。たばこと同じように紙を巻いて吸うタイプから錠剤のように飲むもの、粉末は口腔や鼻腔あるいは生殖器といった粘膜から摂取するタイプがほとんどである。


 攻撃系や強化系魔法は発動する際に脳内に快楽物質を分泌するため、魔法回路をもたない人間が使用すると覚醒感や多幸感、リラックス感などを感じるため惑溺性が高い。


 暴力団やテロリストの資金源になっていて、密売人の多くは魔法で武装している。

だからそれを取り締まるマトリも警察と同じ「司法警察員」として武装が許可されているのだ。


俺は「天使憑き」のため本省で面接やら講習を受けるという特別待遇だったそうである。普段の事務所は九段というもっと地味な街にあるという。


 その後、ひと月ほど本省に通って小難しい法律やら職務倫理についてのお勉強が続いた。これも聞いていなかった。話が違うじゃないか。一日座学が7時間、そして近くの警察署で逮捕術や柔道などの術科訓練が1時間。心が折れそうだったが、マンツーマンでレッスンしてくれた講師役の女の子が可愛かったのでなんとか耐えられた。


 甘糟莉奈ちゃん。26歳。東大卒のキャリア組で司法試験も合格しててしかも可愛くて性格もいい。あまりにすごいんで俺にとっては高嶺の花なんてもんじゃない。


 ちなみに彼女はマトリじゃなくて本省の人事課にお勤めなのだ。そして、研修終わりになんと彼女の方から打ち上げの飲みのお誘いを受けたのだ。なんだか今日はいけそうな気がする。


 はやる気持ちを押さえつけながら待ち合わせ場所に向かうと、そこには莉奈ちゃんが……。と、もう一人。

「時塚くん?」

そこにはなぜか時塚綾介の姿があったのだ。


「エノさん、紹介しますね。わたしの婚約者フィアンセの時塚綾介です。」

話が違うじゃないか。


飲む前からすっかり覚めきってしまった俺はどうしたものかと思ったが、タクシーを捕まえると行き先を告げた。

「新橋で。駅の方ね。」







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