マトリ【魔取】!ー法務省 特殊法務局 魔法取締官の事件簿ー

風庭悠

プロローグ: 三十路に足を踏み入れた俺の末路について


爽至そうしへ。お誕生日おめでとう。あなたもとうとう30歳ですね。香耶かやちゃん、結婚したんですってね。あなたもいい加減失恋を引きずってないで、心機一転、新しい恋を見つけてください。たまには家にも寄ってください。」


母親おふくろからのメールだ。そう、俺は今日、晴れて30歳になった。童貞ならいわゆる魔法使いになれる歳だ。だが放っておいてほしい。俺はスマホをしまうと再びカウンターに突っ伏した。今日は随分と酒の廻りが速い。


「エノさん、エノさん。」

女性店員スタッフが俺の肩を揺する。柔らかな手の感触。

「んあ?香耶?」

俺が顔をあげると面長な香耶とはまるで違う、愛嬌たっぷりの丸顔に浮かべた笑顔。この居酒屋の主人の娘、胡桃くるみちゃんだ。


「もう、香耶さんじゃないですよう。ねえ、そういえばどうして今日は香耶さんと一緒じゃないんですか?」

胡桃ちゃんは全ての顛末を知った上で意地悪な質問をする。


「香耶とは別れた。とっくにな。」

俺が吐き捨てるように言うと、さも初めて聞いたかのようなわざとらしいリアクションを取る。

「えええええ!エノさん、香耶さんと別れちゃったんですかあ?いつ?ねえ、いつ?」

俺はそっぽをむいて再び突っ伏す。そんな問いに答える気も起きない。だいたいもう半年も前の話だからだ。


「エノさん。ちょっと、気になるお客さんがいるんです。」

胡桃ちゃんは、俺に小声で耳打ちをする。


俺は胡桃ちゃんに目を向けた。

「ああ。魔法の臭いがするな。結構やばいやつだ。あの隅のテーブルにいる青いチェックのネクタイをしてるやつだろ?」


その男はおもむろに胸ポケットからタバコを出す。タバコと言っても昔みたいな「紙巻きタバコ」じゃない。今のタバコは魔法陣を描いた紙を巻いてそれを吸う。魔法陣から召喚された魔法が心を落ち着かせ、頭を冴えさせ、疲労感を拭い去る。軽い快楽魔法と回復至法が仕込まれたものだ。


ただ、そいつが吸っているのは違法な魔法陣が書かれているいわゆる「麻法ドラッグ」だ。強烈な快楽魔法に加え、攻撃系か強化系の魔法が仕込まれているはずだ。人間が攻撃魔法や変化魔法を行使すると、向精神魔法、つまり麻薬と同じ効果を得られることがある。そしてそれを麻薬のように使用することは法律によって禁じられているのだ。いや、麻薬よりも悪質だ。なにしろ一時的に殺傷能力の高い攻撃魔法を使える状態になるからだ。


やばいな、こんな狭いところで暴れられたら厄介だぞ。俺は自分の出番が回ってこないことを祈った。

すると突然、俺の背中合わせのテーブル席の男が立ち上がった。ガタン、と大きな音がして俺の椅子にその椅子がぶつかる。


「グエエ。」

おれは椅子とカウンターに腹を挟まれ、だらしなく呻き声をあげた。俺にダメージを与えた男は胸から手帳をスマートに出すとタバコを吸う男に見せた。その手帳の表紙には「五三桐」の紋章エンブレムがついていた。


「マトリだ。間島典明まじまのりあき、あなたを違法魔法行使の現行犯で逮捕する!」

男が宣告する。「マトリ」、法務省所轄の「魔法取締官」の通称である。年寄りは「魔法Gメン」とか呼んでいるが、ホンモノを見た、いや腹に感じたのは初めてだ。


だが、逮捕を宣告された男は慌てる様子がない。いや、正確には慌てる必要がないのだ。男は背広の上着を脱ぐとすぐにその上半身が膨張を始めた。男がワイシャツを引き裂くように脱ぎ捨てると、たちまちその胸板は厚くなり、その身体に狼のような毛が生える。有り体に言えば「人狼ウエアウルフ」に変化へんげしたのだ。


人狼はジャンプしてマトリに拳の一撃を加える。マトリはおそらく至法で硬化された左腕で防ぐと右手で胸のホルスターから拳銃を取り出すと発砲する。


パンパンパン、と乾いた音がして銃弾が放たれる。マトリは警察と違って連射可能な半自動銃セミオートの携行が許されているのだ。間も無く銃声に気づいた客で店内が大騒ぎになった。人狼はそのままテーブルを蹴って跳躍すると店のドアの前に着地。をそのまま店から飛び出した。

「逃すか!」

店の外に応援がいたのだろう。待て、という怒号が響く。男も店を飛び出して行った。


「ちょっと!」

飲み逃げされた胡桃ちゃんが怒りの声を上げる。とうとう「用心棒」の俺に出番が回ってきてしまった。弾丸がかすめて人狼を傷つけたのだろう。血が床についていた。俺はそれを手で掬う。


探査サーチ。」

探索魔法を発動させると血の主のいる方向が俺の脳裏に浮かぶ。

「エノさん、ずいぶん酔ってるけど大丈夫なの?」

胡桃ちゃんの心配そうな表情に俺は苦笑する。俺は親指を立てた。

「ああ、魔力を使えばアルコールが飛ぶんでね。問題ないよ。」


俺は店を出る。金曜日の晩はこの新橋の街には休日を前に羽を伸ばすサラリーマンたちでごった返していた。じゃあ俺もたまには羽を伸ばすとするか。

翼よウイング!」


俺の背中から一対の翼が生え、宙を舞う。気配を追うと瞬く間に人狼とその追っ手に追いついた。


どうやら「マトリ」は路地に人狼を追い込んだのはいいが、間を詰められて格闘戦に持ち込まれてしまったようだ。近接戦闘に銃は不向きだ。ナイフも持っているようだが、パワーの差がありすぎる。


「くそ、こんなに強いなんて情報ネタはなかったぞ。釼持のヤツ、使えねえ。」

マトリは吐き捨てるように言う。彼は苦戦を余儀なくされていた。人獣系に効果の高い銀弾シルバー・バレットもこの戦況では宝の持ち腐れだ。


「そりゃ兄ちゃん、今夜は満月だからですよ。」

俺が後ろから声をかけるとマトリはギョッとしたようにこちらを見た。なぜこんなところに一般人が、と言わんばかりの表情だ。だが言ってることは間違いじゃない。人狼は満月の夜にはその力は倍増するのだ。


そして、よそ見をするなと言わんばかりに人狼が腕を振り下ろす。

「グエエ。」

今度はマトリが見っともない声を上げて吹っ飛ばされる。俺の足元に転がってきた彼が恨めしそうに俺を見上げる。


「逃げ⋯⋯ろ。」

そう口が動く。俺は右手を前に出した。手でピストルの形を作った。人狼が笑ったように見えた。

銀弾シルバー・バレット!」

だが、俺の指から光の線が出て人狼の肩に穴を穿つ。俺を殴り飛ばすために振り上げようとした人狼の腕から血が噴き出しだらりと下がった。


俺は間髪を開けず、人狼のもう片方の肩と両膝に「魔弾」を撃ち込む。人狼はそのままうつ伏せに突っ伏した。


 これが魔弾。俺の持つ「カリスマ」。魔力を研ぎ澄まし、弾丸のように敵に撃ち込む。

「あんた、なにもんだよ⋯⋯。」

マトリがゆっくりと起き上がろうとした。

「新橋飲食店組合自警団の『バイト』ですよ。」

俺が簡単な自己紹介をするとマトリは再び倒れこむ。

「バイト⋯⋯かよ。」


悪いかよ、30歳でバイトでよ。俺は気を悪くした。


しかし、その次の展開はもっとびっくりだった。

計ったように大人数の男たちが殺到してきたのだ。彼らは逮捕令状を大上段に掲げる。

「警視庁組対6課だ。間島典明、違法魔法行使の現行犯で逮捕する。」

宣告もそこそこに人狼を連れ去ろうとする。


「すんません。その人からお代を頂いてないんですよ。先にお代をいただきたいんですがね。」

抗議する俺を軽く押しのけて男たちは去っていったのだ。


「畜生 !6課の奴ら。また上前だけ跳ねやがって!」

マトリさんが悔しそうに地面をたたく。


俺はとりあえず自販機で缶コーヒーを買うとマトリさんに渡す。

時塚綾介ときづかりょうすけ」それが彼の名であった。彼はひとしきり愚痴を零す。

魔法犯罪を取り締まる二重行政。それが法務省魔法取締部、そして警視庁組織犯罪対策部6課である。それぞれ「マトリ」、「組対6課」と呼ばれている魔法犯罪の取締機関である。両者はライバル関係にあり、仲が悪いのだ。


時塚は俺の目を見て言った。

「あんた、『天使憑き』なんだろ?……俺と組まないか?」

「⋯⋯え?」

 俺は家族以外に誰にも明かしたことのない秘密を看破されてたじろいだ。そう、俺が今、こんな場末でバイト生活を余儀なくされている真の理由。


「⋯⋯キミに協力して欲しいんだ。ちゃんと報酬は出す。そしてコトが済んだら然るべき役所に推薦してもいい。どうだ?国家公務員てのは?親御さんも安心すると思うぞ、フリーターよりはね。」

俺はものすごく動揺した。「国家公務員」⋯⋯。無職で三十路に突入した俺にこれほど甘美な魔法のような言葉があるとは!


俺は時塚の胸倉を掴んで言った。

「その話、もう少し詳しく⋯⋯。」



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