霹靂(二)
金槌を持った男が、梯子の上から次々と指示を飛ばす。
「おい、釘をくれ」
たしかに自分にはきつそうな作業だ。しかしそんなことより、頭は疑問でいっぱいだった。
「物置の修理って、業者に頼んでやることよね……」
部屋で荷物を整理した
「聞こえてねぇのか。だから、そこの緑髪の奴、釘を渡せって言ってんだろ」
ぼーっとしていると、不機嫌そうな様子の男がこちらを睨んでくる。言われるがまま、天空は大きな釘を一本、男に差し出した。もぎ取るように受け取った釘を、男は屋根に打ち込んでいく。
打ち終えると、彼は右手をくいくいっと動かし、次を渡すよう無言で命令する。梯子の下に立つ天空は釘を渡す。かれこれ数十分近くこの状況が続いていたが、そろそろ我慢の限界だ。
「あのー、ここに住んでる人ですよね」
叫ぶように放つ。だが、男は話す気などさらさらないというように口をつぐんだままだ。雰囲気を醸し出していた。
「何とか言ったらどうですか! せめて名前くらい!」
「うるせぇ! こちとらただでさえストレス溜まってんだ!」
男も面倒くさそうに怒鳴るが、まったく迫力がなかった。幼い子供が小さく震え上がる、そんな程度だった。
さらに会話を試みようと口を開きかけるが、背後から軽く肩を叩かれた。
「話そうとするだけ無駄だよ。今のこの人は怒りゲージマックスだから」
振り返ると、青い髪をした青年が微笑を浮かべていた。年齢は恐らく、自分と同じくらいだろう。白いTシャツの上に、赤いチェック柄のジャケットを羽織っていた。顔立ちは整っていてどこか物悲し気だが、同時にへらへらしているようにも感じられる。
「君、新しく入寮する子だろう? 名前は?」
彼は水のような透明な声で訊ねた。
「あっ、はい。
「ふーん、天空。キラキラした名前だねぇ」
意味のよく分からないことを呟きながら、彼は天空の顔をじっくりと観察する。
「僕は
海人は右手を差し出す。握手しようという意図なのだろうが、上から降ってくる怒号がうるさかった。
「海人! いつまでさぼってんだ! お前も手伝え!」
「さっきからやっているじゃないか。君の邪魔にならないように、物置から離れて隅に寄っていただろ、雷鳥さん」
「誰が雷鳥だ。俺はあんな綿みたいな白い鳥じゃねぇ! それから嘘つくな! 木陰で寝てただろ。せめてこの緑色を見習え!」
「緑色じゃなくて天空です!」
海人が言い返す前に訂正しておく。
「おいおい、屋根工事は業者である君の仕事だろう。僕が手伝う義務はないんじゃないかな」
「え、業者さんなんですか?」
とぼけた台詞に違和感を覚えて、天空は会話の流れを止めて男に話しかけた。男はため息を漏らし、こう言い放った。
「ああそうだよ、俺が業者だよ!」
「はぁ?」
「俺が働いてる工場は金属加工専門だけど、屋根用のトタンとかも製造してるんだ。それを設置するのも、工場が請け負ってるんだよ。俺の本業は溶接なのに……」
「で、住人だからって理由で寮母さんに屋根修理を依頼されたわけさ。それもタダで」
男の説明に海人が補足する。男のオレンジ色の目からは苦悩と疲労が漏れ出ていた。
「話を戻すけどな、そもそも俺の名前が
「おいおい、そんなに怒ると老けるぜ。ただでさえ実年齢プラス十歳くらいに見えるのに、髪が抜けたらモテなくなるよ」
「余計なお世話だ!」
ますます燃え上がる雷破だが、どこか海人は楽しそうだった。ぱっと見は性格のいい美男子といった印象だが、やはり外見よりも意地悪な人物なのだろうか?
「漫才は他所でやれ」
と、涼やかな少女の一声が場を制した。
「お、
海人に冥と呼ばれた少女は、自分とほぼ同い年と見受けられた。海人とよく似た容姿だったが、心臓の絵がプリントされた趣味の悪そうな黒いシャツを着ている。女性にしては背が高く、これまた容姿端麗だが、全身から人を寄せつけまいとする空気が漂っている。
「冥、お前も手伝わずにどこ行ってたんだよ」
「喉が渇いたから食堂で水を飲んでいた。それより雷破、さっきからギャーギャーうるさいぞ。鳥か」
油を注がれた雷破は食って掛かりそうなほどに顔を歪ませたが、疲れたのか舌打ちをするだけに止めた。
「海人もやめろ。これ以上灯油タンクを投げ入れてどうする」
「たしかにその通りだけど、思いっきりブーメランだよね?」
彼女は突っ込みにも一切動じず、圧をかける視線で海人を射貫く。この冥って人、凄くきつそうだなぁ、などと思っていると、急に向きを変えた彼女に天空は射貫かれた。
「お前が天空だな」
「は、はい。そうですけど」
氷の矢。雷破よりもよっぽど恐ろしそうだ。何をされるのだろうと怯えていると、
「すまないな。ここは結構うるさい奴が多いから、迷惑に感じることもあると思うが、どうか許してやってくれ」
「は、はい」
硬い表情のまま謝罪され、天空は気勢を削がれた。
「はぁ……じゃ、続きやるぞ」
先程までの態度が嘘だったかのように、雷破は梯子を上って屋根に上がる。
「だったら僕、向こうに戻ってるから」
「お前もやるんだよ! 天空、こいつ見張ってろ」
とっさに海人の腕をがっちり掴む。
「えー、面倒くさい。離してちょーだい」
「離しません」
これ以上面倒なことになるのはごめんだ……。
「だいたいな、こういうのは協力してやるもんなんだぞ。一人だけ非協力的な人物がいれば、作業が円滑に進まなくなる」
雷破は作業しながら諭すように言った。
――ん?
ふと、天空の視界が、ぐらりと揺らいだ。
――その台詞って……。
最初はゆったりした座席で、映画を観賞している。そして荒々しい映像からノイズは消え、映画に吸い込まれた自分は、あの場所の景色を見る。
熱の籠もる森の中だった。大きな金属の物体が縄で括られ、クレーンで吊るされている。ぷらーん、ぷらーんと、黒い砲弾は時間を指し示す振り子のように左右に揺れていた。取り囲むのは、数人のラフな服装の男達。奥には、幅の大きな建物が鎮座している。だが辺りの路面は未舗装で、フィクションに登場する秘密基地が思い浮かんだ。
男達の表情は、興奮で引きつっていた。期待と、不安感。
そして、恍惚感に歪んだ口元。
きっと、彼らがこれを創ったんだ。直感でなく、天空はそう思った。
あの砲弾も、彼らのことも、自分のように理解出来る。
ここは、自分が居る町とかけ離れた場所じゃない。
天空の脳内に刷り込まれた、ずっと見続けてきた、記憶だ。
「ねえ誰か、頼みたいんだけど」
と、よく間延びする声に我に返った。布でくるまれた物を抱え、屋内から阿窟が駆けて来る。
「
阿窟は包みの結び目を持ち、四人の前に掲げた。
「石橋君?」
「ここの住人だよ。職業は研究員だけど、あんまり科学者っぽくはないかな」
海人が苦笑いで答えた。
「あっ、そうだわ!」
阿窟は首を傾げて何やら考えていたが、しばらくして弾けるように手を打ち鳴らした。
「天空ちゃんにお願いするわね」
「はい?」
突然の指名に天空は目を丸くした。石橋という人物はここに住んでいるらしいし、挨拶なら彼(君付けだし男性か?)が帰ってからでもいいと思うのだが……。
「ちょうどいい機会だもの。研究所に行ってみなさい」
阿窟は戸惑う天空を気にせず、
「案内はあなたにお願いね。気分転換に散歩に行くつもりで」
と、自分より高い位置にある雷破の肩を、背伸びして叩いたのだった。
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