霹靂(三)

 二分咲きの桜並木を、天空あまぞら雷破らいはは進んでいく。花見シーズンは二週間先になるだろう。花見に行くわけでもないのに、自分の手には弁当箱。雷破の手には、何故か金槌。左手を作業着のポケットに入れて隣を歩く雷破が、より一層機嫌が悪そうに見える。花曇りの空の下では余計に。

めいさんと海人かいとさんって、双子なんですか?」

 正直言って、まだこの鳥居雷破という人物は得体が知れない。柄は悪そうだし、なにより怒りの琴線がどこまで張られているか分からない。彼がどんな人間か、さりげなく探りを入れてみることにした。

「違うぞ。仲のいい幼馴染みらしい」

 意外にも、彼はいたって普通に呼応した。

「双子以外でお揃いの服着てるって、恋人とかですかね」

「あいつらが? 馬鹿言うなよ。水と油だぜ」

 本人達とは面と向かって口に出来ないことを言ってみたが、雷破にあっさり否定された。やや調子の外れたやり取りを交わすくらいには親交がある様子だが、同年代の男友達がいない天空は、つい余計なことを考えてしまう。

 そんな心を読んだのか、雷破が一言、

「お前な、そういう変な想像をするんじゃない」

「はぁい」

 探りを入れるどころか、会話らしい会話はそれで打ち止めとなり、あとは彼の指示通りに道を曲がって、目的地まで歩んでいくだけだった。

「ここだ」

 辿り着いたのは、コンクリート造りの古い建物だ。全体は二階建てだが、中央の部分のみ三階建てで、頭でっかちになっている。建物の手前にはやけに広い空白地帯があり、さらにカラーコーンで仕切られた隅には段ボール箱が散らばり、退廃的な様相を呈していた。入り口近くの塀には「貝沢研究所」と彫られた石の表札がはめ込まれている。

「ここって昔、役場だったとこですよね」

「そうだ。役場が西の方に移転してから放置されたままだった廃墟を、物好きな資産家が買い取って研究所に仕立て上げたんだと」

 雷破はいそいそと建物に入る。後を追って天空も研究所に入ると、

「てめえ、いい加減にしやがれ!」

「お前こそ認めたらどうだ!」

 と、何やら争う声が廊下を反響した。

「んだよ、またやってるのか」

 苛立たしそうに頭を掻きながら、雷破が言った。

「また?」

「あいつらだ。第一研究室が音源だろう」

 また誰かが喧嘩しているのかと思いながら、天空は雷破について廊下を進み、「第一研究室」の表札があるドアをくぐった。

 室内は机が五つ置かれ、研究室というより事務室に近かった。そして雷破の予想通り、室内では喧嘩が勃発していた。白衣を身に付けた金髪の青年と水色の髪の青年が、お互いの服を引っ張り合っている。

「よう」

 そんな彼らに目もくれず雷破が片手を上げると、部屋にいる四人の内、争っていない二人が反応した。

「あら、雷破と……その子は?」

 天空の一番近くの机に向かっていた女性が言った。彼女は長い金髪を二つに分けて結び、土埃のついた白衣を羽織っている。

「今日から寮に入った、東濃とうの天空です」

 天空が応えると彼女は「ああ、光さんが言ってたか」と頷いて、こちらに近づく。

「ずいぶん可愛い子じゃない。何しに来たの?」

 いきなり可愛いという普段はされたことのない評価を下されて、急に沸騰しそうになった。

「あたしは七号室の高山たかやまつなぎ。よろしくね」

 つなぎは目が輝かせて頭を撫でてくる。すると、彼女より幾分年上と思われる女性がつなぎを制止した。

「つなぎ、困ってるだろ」

「でもハーン、この子可愛いわよね、ね」

 天空はハーンと呼ばれた男性の前に姿を見せられる。男性はおよそ三十代、呼び名の通り西洋人風の顔つきで、白衣の下はラフな格好をしていた。彼は顎に手をやり、何か思案してから、

「オットー・フレデリック・ハーン、ハーンでいい。出身はアメリカ、外来人だ」

 と、天空の手を取り握手した。

「アメリカって、そんな遠くから町に?」

 かなり流暢な日本語で話す彼に驚きながら、天空は言った。

「ああ、まさか出張中にあんな目に遭うなんて思わなかったが。ま、好きな事だけやってる今の方が、会社勤めの頃より楽しいが」

 ハーンは天気の話でもするかのように軽く言う。


 天空達が住むこの地の名は「すき間の町」。人口はせいぜい二万人弱、周囲を山に囲まれた盆地に位置する、どこにでもありそうな普通の町、ではなく、外部から隔たれた、知る者のいない町だ。いつの間にか外から取り残されたすき間には、あちらこちらで電子のやり取りをする精密機器も、大地や空を駆け巡る機械も存在しない。


 この町に迷い込んだ外の世界の人間を、外来人という。ほとんどは神隠しに遭ったように世界のすき間に放り込まれ、わけも分からずにももと居た場所へ帰ろうとする。しかし、外来人は二度と町の外へは出られない、らしい。無理に帰ろうとすれば、恐ろしいことになるとはもっぱらの噂だ――実際の結果は神のみぞ知るが。

 それは同時に、彼は一生、両親と抱擁を交わすことや、故郷の匂いを吸うことが叶わないということでもある。自分がいくら望んだとしても、ここ、すき間の町ではそれがルールなのである。

 それならば天空は、次に父親と会えるのはいつになるのだろう。

「科学者なんですよね。ハーンさんはどんな研究をしてるんですか?」

「うーん。俺は自分を科学者とは思っていないな。だが、君には言っても分からない分野に取り組んでいるとは言っておく」

 若干馬鹿にされている気がしなくも……。言葉を濁らせるハーンに天空は訊き返そうとしたが、次第にハーンの表情が険しいものになっていくのに気づいた。

「お前達、静かにしろ!」

 彼の一刺しで、荒ぶっていたバックヤードの二人が静止した。しかし、すぐに青い髪の方が、

「止めるなよハーン。こいつに神様はすごろく遊びなんてしないってことを教えてやるんだよ!」

 と、凄い剣幕で意味のとれない台詞を口走った。続けて金髪の方も、

「こっちだって、神様がどんなことをしようが決めつけるんじゃねぇってことを示そうとして――」

黙れShut up! 今すぐお互い謝るんだ! まずどうして本失くしただけでそんな壮大な話に発展するんだよ」

 ハーンは本場の流暢な英語を発して咎めるが、二人の怒気が治まる気配はない。

「こいつなんかに謝るもんか!」

 青髪の青年は、子供のように吐き捨てた。すると矢庭に、それまで沈黙を保っていた雷破が天空の手から弁当の包みを奪い取り、手近な机に置いた。

「いいのか? この大事な大事な弁当が、今まさにこの金槌で粉砕されるぞ」

 彼は金槌を持った右手を、頭の後ろに動かす。青髪の青年がこわばった。

「ってそれ、俺の弁当じゃないかよ!」

「三つ数える内に謝らなねぇなら、このハンマーを振り落とす。ひとーつ」

 とっさに跪いた青年は、両手を合わせて懇願した。

「いや待って頼むから、お願いだからそれだけはしないで! 財布も忘れたから買って食うのも無理なんだよ!」

「ふたーつ」

「謝る、謝るから! 争ってすんませんでした!」

 彼が両手と額を床に付けると、雷破は金槌を引っ込めた。

「雷破さん、もしかしてこの人が」

「そうだ。石橋一貴いしばしかずき、俺らは一貴って呼んでる。で、さっきまで馬鹿やってた相手が舛居由尚ますいよしひさだ。こっちは寮には住んでない」

 馬鹿と言われた舛居は、勝ち誇ったような笑みを崩した。

「おい、いつまで下向いてる気だ。こいつが天空、寮に入ったやつだ」

 雷破はしゃがみ込んで、一貴の前の床を金槌で叩いた。重々しく頭を上げる一貴に、天空は「どうも」と会釈したが、彼はただ唸るのみで、

「……だから舛居ぃ、あの本どこにやったんだよ……」

 と、奈落に墜ちた者のような声を響かせた。

「これ? 机の上にあるけど」

 舛居の代わりに、つなぎは書類の山の中腹あたりから、年季の入った本を引っ張り出した。背表紙には「元素事典」と記されていた。

「ああっ! よかったぁ…」

「何だよ、結局お前の机にあったのかよ」

 またうなだれる一貴に、舛居は呆れ顔で言った。

「でも、二人って毎日喧嘩するけど、どうしてそんなに仲悪いのかしら。大分キャラ被ってると思うけど」

 つなぎが疑問を口にする。

「「全然似てない!」」

 一貴と舛居の声が重なった。

「一応、お前達は共同研究者なんだぞ。もっと仲良く協力したらどうだ」

 ハーンはそう言った。さながら水と油、いや、空と海といった具合に決して混ざらなさそうな彼らだが、同じものを研究しているとは思えなかった。

「俺だって分かんねーよ。こう、性格とか考え方が合わないっつーか……」

「……癪に障る、ってとこか」

「そうそれだよ」

 一貴の言葉を舛居が引き継ぎ、互いに同意する。そこは意見が一致するのか。

「はあ。何でもいいがな、きちんと研究計画の通りに進めてるのか? この閉鎖された町だから競争相手がないとはいえ、進めてもらわなきゃ困るぞ」

 ため息をつくハーンは二人に問う。だがその問いは一貴にも舛居にも届かず、まったく関係のない天空にしか届かなかった。

「計画……?」

 ぼそりと呟く。頭の中に火が点った気がした——。

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