霹靂(四)

 今度は、広くて乾燥した大地だった。草がちらほら生え、見たところそれ以外に生物はいない。明るい昼の空。

 彼方に地平線が確かめられ、幽かに揺らめいている。あそこが世界の果てであるかのように錯覚しても、本当の果てはあそこではない。まだ、大地はどこかへ広がっているはずなのだ。

 そして、驚天動地の瞬間が訪れる。天空を支えていた土台が崩れんばかりに、世界が轟いたのだ。彼方の空で、昼の光は星空を消し去った電灯よりも明るい、熱そのものと化した。違う、さらに強大な熱に呑まれたのだ。地へ落ちる途中の種が、芽吹いたように。

 熱は天空の目を焼き、地面を焼き、空気を怪物の鳴き声ごと焦がす。熱は塊となって、逆ブラックホールとも言えようか、龍の如く黒煙を吐き出した。

 白飛びした視界でも、大空に生まれた熱の塊が急速収縮していき、余韻のキノコ雲が、まっすぐ上方へ立ち昇っていくのが分かった。




「――っ!」

 光を奪われたはずの目が、色を捉えた。次第に色が染み付いてくると、自分が立っているのは平原などではなく、狭苦しい部屋だというのが分かった。

「さて、用は済んだし帰るか。早く来い、置いてくぞ」

 雷破はいつの間にか、部屋の入り口前に移動していた。天空は、書類が散乱している室内を眺めるばかりだった。

「あっ、待ってくださいよ。お邪魔しました」

 天空はお辞儀をして、研究室を立ち去った。


 また、見ていた。


 寮で思い出した光景も、さっきの景色も、生きてきた中で一度も見たことはない。


 あの男達も、あの平原も、深い記憶の海の中でだけ存在する幻。繰り返し上映される古典映画だ。


 なのに、いつも怖くなるほどのリアルさがある。天空はあの場所を知らないし、あそこの空気を吸ってはいないというのに。


 廊下に出て一息つくと、ふいに雷破がこちらを振り向いた。

「天空、お前、」

 雷破は怪訝な眼差しで、天空を見つめた。彼の表情は、憤怒しているときの数倍は迫力があった。

「いや、やっぱり何でもない」

 何を言われるかとびくびくしたが、彼は頭を振ってそう言い、入口に行こうとした。




「ねえ、これいつまでやるの?」

 足がすくむ感覚にようやく少し慣れてきたが、心に余裕が生まれるかといえばそんなことはなく、思わず素の口調が出てしまう。

「あと少しだから我慢しろ、今日はこれで最後だ」

 こんな高所でも臆する様子のない雷破は、相も変わらず金槌を振り下ろしていく。

 天空と雷破が研究所から帰り、遅めの昼食をとると、四人で作業を再開した。海人と冥により物置の修理は終わっていたので(海人はちゃんと働いたらしい)、屋根の抜け落ちた箇所の修復を始めた。しかし、天空も海人も屋根板を押さえているだけで滑り落ちそうだ。

「落ちそうになったら教えてー。多分受け止められないけど」

 心許ない発言をする阿窟。冥はそんな彼女と一緒に下で様子を見ているだけで、こっちがどんな思いなのかを考えていない暢気な台詞を発している。

「そこはきちんと受け止めて欲しいな。にしても、屋根の上って熱いね」

 海人が生気のない声色で言った。昼間の光を吸収した金属は、ホットプレートと同じだった。

「私、小さい頃にガラス工房を見学したしたんですけど、冷えてないガラスに触って大火傷したことあります」

 現実から目を背けたくなり、昔の記憶を思い出す。

「僕は昔、理科の実験で目玉焼きを作ったんだ。レンズで鉄板に日光を集めて、その上で」

「焼けたんですか」

「うん、美味しかったよ。原始的だろ」

 気を紛らわすために世間話に興じることにする。

「うちの工場も毎日これだけの熱気だぜ。なんなら今度、料理でもやってみるかな」

 雷破が会話に加わった。彼は町工場で働いていると言っていたが、たしかに暑そうな職場だ。

「そんなことしたら、即日クビになるだろうね」

 午前中とは打って変わり、彼らの会話は穏やかに進んでいく。ところが、


「……」


 唐突に、雷破の顔から表情が消える。


「雷破さん?」

 声をかけたが、彼の瞳孔は虚ろで、ありもしない現実を目撃しているようだ。

 もしかして、動き過ぎで熱中症に? 天空がそう思ったとき、自分より高い位置にいた雷破が、身体に電流が走ったように立ち上がり、右腕を伸ばし、誰かを追いかけるため地を駆け出そうと――し損ねた。


 天空がこの後の展開を予想するより早く、雷破は足を滑らせて、傾斜の上に倒れ込む。


「雷破!」

 海人が叫んだが、もはやどうにもならなかった。加速度運動を開始した雷破は、屋根の端まで達すると今度は自由落下する。

――どさっ。

「雷破さん!」

 鈍い音がして、そっと下を覗いた。そこでは――。


「ふう。危なかったですね」


 眼鏡を掛けた男性が、屋根から落ちた雷破をしっかり受け止めていたのだった。

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