第5話 2014年5月9日 山梨県武田富士吉田市大富町 我富染物 繁忙

 大富町の中程郊外に当たる染工場帯の、我富染物の工場の一棟建ては町一番の生産拠点。江戸時代より織物名工の歴史を紡ぐ老舗は、中型小型高圧染色機が壮観にも居ならび蒸気に溢れる。その流れ作業場の先の大机で、主要職員がかなり神妙な面持ちのまま談義に入る。


 白工場頭巾を被った色彩主任たる飯富奈々未、ただ憤りを隠せず

「えって、夏の制服の原料染物終えたばかりですよね。午前と午後の2班体制の労働作業表を作って、何がどうなってるのですか」

 奈々未の生母の姉の親戚にして我富染物の社長我富果穂、エプロン姿も朗らかに

「夏服はお得意様の紹介から、夏の制服の新案入札が立て続けに取れちゃって、一から10校分どうか良しなにの追加なのよ。予備も含めて都合3600人分仕上げないといけないの、ここを何とか縫製と納品も含めて6月1日迄には仕上げないとね。ここは頑張りましょうよ。学生さんの笑顔って宝物でしょう」

 白工場頭巾を被った仕上げ主任の真田麻衣、にべもなく

「奈々未も、ここむきになってどうするの。午後の作業延長が3駒増えたとしても、染物の納期ぎりぎりとして5月16日位でしょう。倉富名画座は佇まいそのまま逃げないから、辛抱しなさいよ。その後にきっちり一緒にはっちゃけて上げるから、まずは頑張りましょう」

 白工場頭巾を被った色彩副主任の山県里奈、ただ宥めては

「そうそう、奈々未、お仕事頑張ってくれたら、もう思う存分お付き合いして上げますから、ここはぐっと呑みましょうよ、ねえ」

 奈々未、ただ不機嫌なまま

「それ、明日からの倉富名画座でラ・ブーム5部作が1週間上映されるのよ。巡回フィルムで中学生の頃の期間上映だから、今度はいつになるやら、はあ、映画と別にかなり切ない」

 果穂、いみじくも

「もう、日曜日は礼拝であれだから、明日土曜日一日は何とか調整して空けるから、それで勘弁してくれないかしら、ねえ奈々未」

 奈々未、憮然と

「嫌です。倉富名画座は最低でも三日おきに通うのが私の決まりです。大体ですよ、そんなに出荷が間に合いそうに無いなら、河口湖周辺町跨いで上の郡内町の庄司紡績に迄、お願いしたらどうですか」

 果穂、淡々と

「それも如何かしらね。郡内織物と富家織物の仕上がりは、悪いけど2つ程抜き出てるわ。ねえ奈々未、これはあなたが良く分かるでしょう、加工の香りに人肌に煮沸音、これは棘人の繊細な感覚で無いと望んだ以上の仕上がりは出来ないのよ。もっと付け加えるならば、富家筋の生まれつきの才で無いと、ここ迄大富町を支える事は出来ないわ。まあ、そんなにうちの我富染物にお愛想が尽きたのならば、保憲さんの飯富洋装に送り返しても良いのよ。いや、それもその時期よね。これを機会に親子仲良くしなさいよ」

 奈々未、苛立ちも激しく

「それはもっと嫌です、後添いに入りそうな由美子さんを、お母さんとどうしても呼べません。果穂さんは本当意地悪な社長ですね」

 果穂、神妙にも

「お家と仕事は、どうしても分けたいけど、一族経営が盤石だからこその大富町の富家織物でしょう。ここどうにか分かって欲しいわ。何より学生さんが愛おしく日々着てくれる制服なのよ、ここにもやり甲斐を感じて欲しいわ」

 奈々未、憮然と

「果穂さんは、そういうご機嫌な飛び込みを受けてしまうから、収拾つかないのですよ。そもそもの飛び込みならば、納期が1週間位後倒しになった方が、関係組織全て、お仕事の勉強になりません」

 麻衣、苛立ちも激しく

「全く、奈々未は。良いかしら、ここで1週間先延ばしにしたら、どうなると思ってるの、棘刀式一切の布地はまだ着手してないのよ、連綿と続いて来た棘刀式を滞らせられると思ってるの。仮に棘刀式の体裁が八分として、その後の布地賜与でごめんなさい今製作中ですって、がっかりさせられないでしょう。棘刀式が9月初めだからといって全然余裕無いわよ。もっともその厳しさは奈々未が身に沁みてる筈でしょう。生地全ての色彩が揃わないから、やり直しなんて、都度都度でしょう。ねえ飯富奈々未色彩主任さん」

 奈々未、唇を軽く噛み締めては

「麻衣、私だって、日々進化してるわ、今度はもっと上手く仕上げて、最高の棘刀式にしてみせるわ。その為の古今東西の映画鑑賞でしょう」


 一同、一瞬宙を仰ぐも首を振り起し


 果穂、ただお手上げに

「こう言えば、こう来て、保憲さんは根気強いと言うべきか。兎に角分かりました。奈々未の明日は有給確定、倉富名画座でラ・ブーム5部作見ては気持ちを切り替えて」

 里奈、深い安堵で

「ほっつ、」

 奈々未、訝しげに

「里奈は何で、ほっつなのよ」

 麻衣、くしゃりと

「奈々未も、それはそうでしょう。うちらの特殊工はお給金は高いと言え、奈々未の様に全てを娯楽につぎ込む分けには行かないの。毎度毎度、映画鑑賞だからと言って、私達を連れ回さないで貰えるかしら」

 奈々未、不意に潤み

「そうか、もう義務に近いよね、ごめんね、皆、適度にする」

 里奈、慌てふためき

「あっと奈々未、そこじゃ無いよ、義務じゃないから。そう映画鑑賞も勉強、色彩探求、私も順調に出世したいから、可能な限り付き合うから、ねっつ、ここは機嫌を直して」

 麻衣、一笑に付しては

「里奈、ここは奈々未の思うつぼでしょう。安易に絆されないの、でもまあ奈々未だしね」

 奈々未、軽く涙袋を軽く拭っては

「ありがとう、こう言うの、友情って、いうのよね、ずっとずっと覚えておくね」

 果穂、ただ大手に降っては

「何か、どうしても美しいわね。それならば要職の皆さんは、この労働作業表の皆の説得に入って貰えるかしら、ここ私の朝礼だと命令でしょう。そう延長作業料金は2割5分増しにするから、どうかお願いね」素早く労働作業表を手直しては整える

 奈々未、麻衣、里奈、隙間無い労働作業表を見ては愕然と

「鬼だ、鬼だわ、おおー」

 果穂、きつい表情のままに

「こら、私達が真っ先に鬼って言っちゃいけないの、ねえ、」

 一同、手持ち無沙汰に髪の毛に触れては、ただ深くもどかしいままに。

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