第3話 2014年4月28日 山梨県武田富士吉田市大富町 倉富名画座 「チップス先生さようなら」
月曜の午後、大富町の大半の労働者は集中した午前の仕事も終え憩いの時間へと入る
大富町のやっとの繁華辻をやや北に進んだ先には、一世紀前のモダンな趣きの名残りが余り有る倉富名画座の入口には3本の赤いのぼり旗がはためく
倉富名画座のエントランス及び発券場及びもぎりでは、若き二人の女性が駆け引きのままに
倉富名画座の客分いや成り行きのままの支配人たる濃紺のお澄まし制服姿の塚原里恩は、押し問答にただ呆れ果て
「だからね、奈々未、大富町の鉄則、幾ら棘人の赤いのぼり旗を掲げてもね、奈々未一人だと興行の張り合いが無いの、そのあれだよ、連れがいないなら、後日仲良く来て欲しいのだけど、ここどうなの、ねえ、」
豊かなロングヘアに高い鼻の美貌そのままの飯富奈々未、一歩も譲らずのまま
「里恩さん、一人でもお客さんがいるのなら、名作映画「チップス先生さようなら」を見せるのが倉富名画座の責務の筈です、発券拒否はそれこそ大富町の鉄則に反しますよ、と、そんな固い事言ったら三日間の営業停止になって、私こそが迷惑になります、」
「ふう、むしろそれで良いよ、毎回奈々未一人の為に上映貸切りなんて、それで倉富名画座の生業な成り立つなんて、どういう事なんだよ、と言うべきか、児童養育週間は5月1日から一週間本当忙しいよな、うう、休日週間と学校休みには大いに賑わうけど、倉富名画座がどういう帳簿の収支になってるか賛逸に問い質したいよ、全くさ、」
奈々未、忽ち満面の笑みで
「全て良いじゃないですか、里恩さんを寄宿させる程、倉富名画座は儲けていると言う事ですよ、そう、押し問答なら賛逸さん、ここに呼んで来て下さいよ、」
「はあ、まあ、奈々未はそこね、察して上げるよ、でもね、映画は皆で賑やかに楽しむもの、一人でこの厳かな館内で観賞したら寂しいでしょう、ねえさ、」
「里恩さん、倉富名画座の厳かな佇まいはそれはもうです、一人でも堪能出来ます、それにお仲間を誘おうにも「チップス先生さようなら」は軽く七巡はしてますからね、ちょっとの期間を開けて行かないと、飽きちゃいますよ、」
「言ったね、奈々未、今言ったよね、本当は飽きてるよね、何故に何度も何度も「チップス先生さようなら」を観賞に来るのねえ、」
「そこは、ピーター・オトゥールのやや不器用なチップス先生が恋にときめく件に、感涙しか無い訳なのですよ、男性の実直さ、良いですよね、」
「ごめん、そこちょっと待ってね、非常に日々見知ってる誰かとかなり重なってる、ねえ勘違いかも知れないけど、察し過ぎても敢えて聞いちゃうけど、賛逸じゃないよね、頼むから違って、あいつは知る程に駄目駄目方面だよ、そうだよね、」
奈々未、頬笑み絶えず
「それを答えようにも、里恩さん、倉富名画座に寄宿のご身分なら、賛逸さんの性格はよりご存知な筈です、何故必死の否定なんです、」
「そこもね、棘人たる飯富主家が、末端の倉富家に懸想しようものなら、奈々未の保憲家父長と険悪になるでしょう、そういう釣り合いは、もう直大人の奈々未なら分かるよね、」
「里恩さん、お父さんとの疎遠は今に始まった事では無いですよ、長女だからと言って飯富家の重責を担わなく行けない時代なのですか、この京和の御世にですよ、」
「あのね奈々未、この大富町はただしきたりを重んじる、非常に義理堅い土地柄だよ、そこに聞きかじりの都会風を入れるのは、私でも弁護出来ないよ、」
「それは飯富主家の長女の私がこの有様ですから、次女の飛鳥に期待して下さい、飛鳥は母に死んだ似て非常に奥ゆかしいですよ、」
里恩、ただ髪の毛をくしゃりと
「これだ、奈々未、飛鳥を持ち上げ過ぎだよ、それだからさ、常日頃から飯富家、いや大富町を守ろうと、飛鳥は見るからに気合いが入り過ぎだよ、学生さんにそういうの背負わせて良い訳無いでしょう、」
「ここ、飛鳥の話題になると長いですよ、塚原里恩支配人、どうしても発券を断るのであれば、株式会社倉富名画座倉富賛逸社長をここにお呼び下さい、今後の方針の為にも直談判します、」
「ふん、まっぴらごめんだね、一切話を始めようともしない飛鳥の事を蔑ろにして、君達のじれったい漫談見てられるか、ここは手合わせする、それで諦めて帰りな、奈々未、分かった、」咄嗟に背後の刀立て探ろうも感触すら無く「やれ、」
里恩の背後にはいつの間にか、太刀を持った長髪の三十路後半の贔屓目無しの好男子倉富賛逸が寄り添う
「里恩さ、穏やかな月曜の午後に手合わせは無いだろう、」
「賛逸、お前が甘やかすから、奈々未がただの怪物になってしまう、良いから手合わせさせろ、」
「里恩、駄目だって、どうせ一瞬で終るだろうが、白昼堂々と倉富名画座の前で手合わせするんだろ、良いか、もう14時だ各商いが棘人の為に赤い暖簾に赤いのぼり旗立てようが、辻の大通りには任人が往来してるんだよ、奴らに仕留め方を教示させるな、」
奈々未、噛み締めては
「賛逸さん、今の私は遅れを取りません、」
「奈々未、良く言った、その野獣並みの嗅覚で、沙友理を救出した事は賞賛に値する、しかし、勝利の味を知った若い輩程慢心になり、根拠の無い次の勝利も確信する、大怪我する前に両腕の腱を奪うから心しろ、」賛逸に再び向き直り「賛逸、名刀来国俊を寄越せ、」
「嫌だね、「チップス先生さようなら」の上映時間が10分前だ、奈々未に発券して、売店でポップコーンと三ツ矢サイダー売って上げなって、そこが普段と変わらぬ落とし所だって、」
里恩、一際声を張り
「ああもう、全く、賛逸の甘やかしは、私だって本気の本気で怒るぞ、大体だな、まあ、そうか、あれか、飛鳥を慮ってぶち切れた私もあれだが、でもな、でもだよ、」
「里恩さ、でもは無い、奈々未は飯富主家の長女、武田家の藤花姫の血を引くものだ、俺が全力で守る、」
奈々未、瞬時に深くお辞儀しては
「剣聖塚原里恩さんに対して、数々のご無礼を申しました、申し訳有りません、今後は飛鳥を深く重んじ、身を律します、」尚も深々と「塚原里恩さん、この御三方は決して袂を分かつ訳にいきません、何卒太刀を収め、今日はここ迄でお願いします、」倉富名画座のフロアに落涙が一つ二つと
里恩察する程に、手招きのままに
「ああと、そうじゃないよ、そこまでじゃないよ奈々未、ここで泣いたままだと、「チップス先生さようなら」の感動場面で泣けないだろ、もう良いから、成人2000円で中に入りな、」
奈々未、ようやく表を上げては、涙ながらも満面の笑みで
「はい、ありがとうございます、」
賛逸、不意に太刀を刀立てに置いては
「やはり、剣聖塚原里恩の本気、泣く程怖いよな、ああ、怖っつ、映写室行こう、」足早に後にする
里恩怒りの脛蹴りを飛ばそうにもいみじくも
「あいつ、賛逸は、」そのままカウンターにしがみつくままに「なあ、奈々未、賛逸はこの通りだ、本当に溢れる程の真心を言っても通じるか通じない奴だからな、良いのかな、君達の先々はね、」
奈々未、ハンカチで涙袋を拭いながらも未だ満面の笑みで
「泣いたのに、おかしいです、」
発券そして半券を慇懃に手渡しては、女性二人和気藹々のままに、倉富映画座の待合い室に進んでは上映迄の談笑の程に
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