第2話 こちら厚労省健康局健康推進課

ラーメン禁止法


第一章 総則


第一条 この法律は、我が国における急速な高齢化の進展及び疾病構造の変化に伴い、国民の健康の増進の重要性が著しく増大していることに鑑み、国民の健康を害する恐れの大きいラーメンに関し基本的な事項を定めるとともに、国民の健康を疾病から守るための措置を講じ、もって国民保健の向上を図ることを目的とする。


第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。

 一 ラーメン 中華麺とスープを主とし、様々な具(チャーシュー、メンマ、味付け玉子、刻み葱、海苔など)を組み合わせた麺料理。


(中略)


第六章 ラーメン免許


第八十四条 

 一 ラーメンを食する者は、都道府県知事の第一種ラーメン免許(以下「第一種免許」という。)を受けなければならない。

 二 ラーメン調理の業務に従事する者は、都道府県知事の第二種ラーメン免許(以下「第二種免許」という。)を受けなければならない。


(後略)



 翌朝の新聞はどれもラーメン禁止法に関する記事を一面で取り扱っていた。

 それはそうだろう、と小池は考える。国民食であるラーメンの危機なのだ。

 しかし小池にとって腑に落ちないのは、この法案はいつの間に作成されたのだろう、ということだった。

 国会に提出する法案は所管する省庁内で原案が作成される。それから審議会や意見聴取などを経て再度法文化した後、さらに内閣法制局に送られ、そこで憲法や他の現行の法令と齟齬がないか、法的妥当性はあるか等の審議を経て、ようやく国会に提出するための閣議に移る。

 自分が知らぬ間に、所管する法案が幾重ものプロセスをくぐり抜けて閣議に上がるというのは本来起こりえない事態のはずだ。

 いくら考えても答えは出ない。小池はいつになく重い足取りで、霞ヶ関にある中央合同庁舎第5号館の扉をくぐった。

 厚生労働省健康局健康推進課。

 舌を何度も噛んだ部署名だが、そこが小池の職場であり、その性格上、ラーメン禁止法の文書化を担当するはずだった部署である。


「お前、今度の法案のこと知っていたか?」

 同じ疑問を抱いたのだろう、同僚の出原ではら仙太郎せんたろうが小池を問い質した。

「いいや。知っていたら反対していたさ」

「だよな。お前はそういう奴だ」

 小池のラーメン好きは課内の全員が知るところだ。一日三食ラーメンでいいと公言している。

「そう言うお前はどうなんだ? 知っていたのか」

「いいや。寝耳に水だったよ。そんな議論が国会で起こっていたことすら聞かされていない。……直近の議事録にも書いてなかったよな?」

「一体誰がいつの間に草案をまとめたんだろう?」

「分からん。……今晩時間は取れるか? 話がある」


 青龍軒は昭和四十年代に創業した個人経営のラーメン屋だ。店主は青島あおしま隆志たかし、五年前に父親である創業者の青島辰雄たつおから暖簾のれんを引き継いだ。小池や出原は学生の頃からこの店の常連で、特に小池は自宅以上に居心地の良さを感じている。

「らっしぇーい」

 暖簾をくぐった二人を愛想のない、それでいてよく通る声が出迎えた。

「味噌とライス小」

「中華そばに煮卵、大盛りで」

 店内に入ると同時に注文を済ませた二人は、テーブル席に鞄を置いて確保すると、小池はお冷やを二人分汲み、出原は冷蔵庫から瓶ビールとグラスをふたつ取り出して席に戻った。

「隆志さん、瓶もらいます」

「あいよ」

 上着を脱ぎ、ネクタイを外した二人は「とりあえずお疲れ」と乾杯する。

「一日考えていたんだが」

 グラスを呷った出原が切り出した。

「ラーメンを禁止して誰が利益を得るのか、さっぱり分からん」

 出原は今回の件について、何者かの利権争いが根底にあると考えているらしい。空になったグラスにビールを注いでやりながら小池は次の言葉を待った。

「味噌とライス、煮卵中華そば大盛り、お待ち」

 ちょうどそのタイミングで隆志の声がして、二人は席を立ってカウンターまでラーメンを取りに行く。青龍軒は配膳サービスを一切やらない。自分は美味いラーメンを作るだけ、嫌なら他所へ行け、というスタイルを貫いている。

 二人は暫く無言でラーメンを食べた。人間、本当に美味いものを食べている時は無口になるものだ。


「小池、お前はどう思う? 誰が得をするか」

 味噌ラーメンを食べ終えた出原はビールを飲みながら話を続けた。小池の方も中華そばをほぼ食べ尽くし、残るはスープと煮卵だけである。

「他の飲食業者かな? ハンバーガー屋とかさ」

「お前、ラーメン屋が無くなったからってハンバーガー屋に通うか?」

「絶対行かない」

 出原は頷きつつも苦笑した。

「まあ、そうは言っても、人間何かしら食べなきゃ生きてられないよな。胃袋の数がパイの数と言うし、ラーメン屋が無くなった分、他の飲食に流れるのは間違いない。でも、それで法改正というのは流石に飛躍しすぎだと俺は思う」

「ラーメン食えなきゃ死んだ方がましだよ」

「おいおい、そこまで言うか」

 出原は手酌で自分のビールを注いだ。グラスに半分注いだところで瓶が空になる。小池は席を立ち、冷蔵庫のビールを取り出した。

「隆志さん、三本目ね」

「おう」


「誰が得するかは一旦横に置いといてさ、内部の人間でそういうのに手を貸す人間は誰だと思う?」

「人間性はともかく、トップが知らないってのは流石にないと思うから、局長はクロなんじゃないか?」

「俺もそう思う。じゃあ、局長に指示できる立場の人間が裏で手を引いてるってことだよな」

「……永田町ながたちょうの魔物ってやつかな?」

 永田町──国会議事堂には魔物が棲む。人間の野心と欲望を喰らい、影から政局を操るというその存在はこの国最大の禁忌とされる。

「魔物だかなんだか知らんが、これは法治国家への冒涜だ!」

 出原は急に立ち上がった。固く握った右拳が震えている。

「落ち着けよ。酔ってるのか?」

「これが落ち着いていられるか! 小池、お前はそれで良いのか? ラーメンが食べられなくなるんだぞ」

「まだ衆院で可決されただけだ、参院が残ってる」

 そう返しながらも、小池は明日の参院議会でラーメン禁止法案が可決されるだろうと考えていた。

 これは完璧な奇襲だ。本能寺で明智光秀に夜襲を受けた織田信長のようなものだ。国会で可決されるまで、自分たちは法案の存在すら知らなかった。これだけの周到さを備えた相手が詰めを誤るとは思えない。


「損得じゃないのかもな」

「え?」

 ふと漏らした小池の呟きに出原が反応する。

「ラーメンを禁止する動機だよ。俺はラーメンが大好きだ。ラーメンが食えなきゃ死んだ方がましと考えている。でも、これは損得勘定が前提だと成り立たない」

「そうだな。普通の人間はそんなこと考えない」

「そうか? 『NO MUSIC,NO LIFE』って言うだろ。『NO RAMEN,NO LIFE』もありじゃないか?」

「いや、ないから」

 出原のツッコミを無視して小池は続けた。

「だから、俺と真逆の人間がもしいたとしたら、そいつは世界中のラーメンを消し去ろうとするんじゃないか?」

「お前と真逆とは?」

「……ラーメンに恨みがあるとか?」

「……どんな恨みだ? いや、どんな人生を歩んだらラーメンを恨むとかいう思考に至るんだ? 俺には理解できん」

「まあ、思いつきで言ってみただけだよ」

 小池はそう言ったが、あながち的外れではないように思えた。姿を見せない魔物の輪郭が、薄ぼんやりとだが見えた気がした。

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