拉麺戦争

@shibachu

第1話 ラーメン禁止法

「……本日の午後、国民の健康を守るための法案、ラーメン禁止法が強行採決されました。これを受けて、有識者の間では数多くの意見が噴出しております。そこで番組を一部変更し、急遽特別番組を放送することになりました」


 そのとき小池こいけ伸一しんいちの左手から滑り落ちたれんげは、厚切りのチャーシューの上に落ちたことで脂の浮いたスープの海に飛び込むのを免れた。箸を持った右手は、スープを絡めた中華麺が小池の口に入る寸前で静止している。

(今、一体なんと? ラーメン禁止法と聞こえたが……)

 小池は眼鏡越しに時代遅れのブラウン管テレビを睨みつけた。ティッシュペーパーでレンズを拭き、三度眼鏡をかけ直してもみたが、「緊急生特番! ラーメン禁止法に迫る!」と書かれたテロップが消えることはなかった。

 画面の中のスタジオでは、パネリストたちがラーメン禁止法なるものについて討論を交わしている。

「政府の言うラーメンとはどこまでを定義するのでしょうか? 弊社は即席麺を製造しておりますが、ラーメンとパッケージに書かれている商品はあっても、ラーメン屋で提供しているような中華麺とは厳密に言えば違います。商品名にラーメンの文言を使わなければ対象にならないでしょうか?」

 そう発言した男性の座席には『まんぷく食品 取締役』の名札が置かれている。まんぷく食品と言えば即席麺を世に生み出し、販売実績日本一を誇る企業だ。

 野党OBの元参議院議員がその問いに答える。

「与党によればラーメンの定義とはこうです。中華麺とスープを主とし、様々な具を組み合わせた麺料理。即席麺がラーメンに該当するかどうかは、法の専門家の解釈に委ねるところです」

「この法案、そもそも違憲ではないですか? 審査権を持つ最高裁はどういう見解を示すのでしょうか」

「今日採決に踏み切ったばかりなので、裁判所の見解はまだこれからといったところです」

「即席麺業界の市場規模が年間約六千億円、外食産業におけるラーメンの市場規模も同じく六千億ほどで、合計して一兆二千億円です。これだけの市場が停滞しますと、経済的に不況が加速すると思われますが、その点は如何お考えでしょうか?」

「ご指摘の通りで、返す言葉もございません。野党と致しましても抵抗を試みましたが、力及ばず、与党の横暴を許す結果になってしまいました。今度の選挙では更なる議席を獲得し、国民の皆様の期待に応えるべく、力を尽くします」

「ちょっといいですか? 一体なぜラーメンが健康に悪いと判断されたんでしょうか?」

 芝居がかった元議員の口上に横槍を入れた男は『ラーメンソムリエ協会 代表』とある。

「それはやっぱり、脂が多く肥満の原因になるからではないでしょうか」

「塩分が多いですし、カロリーも高いですよね」

「その印象は誤解があると思います。ラーメンは本来、健康的に食べることができるものなんですよ。我々の協会では、ラーメンに関する専門知識を学び、楽しく、おいしく、健康的なラーメンライフを送れるようサポートをしています」


「ここで、皆様に食べていただきたいラーメンを用意しました」

 番組進行役の金匁かなめじゅんのアップに切り替わったと思えば、コック姿の男がワゴンを押しながらスタジオに入って来た。ワゴンの上には湯気を立てるラーメン鉢が並べられている。

 黄金色のスープは澄み切っており、とぐろを巻く麺の様子がくっきりと見える。丼を横断する肉厚のチャーシュー二枚を土台に、メンマ、刻み葱、焼き海苔がバランスよく盛り付けられていた。

「瀬戸内のいりこをベースに、そばの技術である返しを使って作られた、特製スープの讃岐さぬきラーメンです」

「ほう、これはレベルが高い。これを不健康だと思う人はまずいないでしょう」

 ラーメンソムリエ協会の代表者が太鼓判を押す。

「そんなの、食べる前から分かるんですか?」

「香りでどんなスープか大体分かります。メインはいりこ、昆布、干し椎茸。魚介をベースに山の幸も取り入れた丁寧な仕事ですね」

「おいしそうですねえ」

 無邪気に笑うのはラーメン好きを公言している女性アイドルグループの一人。小池の推しでもある。ラーメン好きに悪い人間はいないはずだ。

 小池はようやく目の前のラーメンを口に運んだ。麺がすっかり伸びている。

 パネリストたちにラーメンが行き渡ると、皆一斉に麺を啜った。「ぞ、ぞぞぞ」と奏でられたハーモニーに同調して、小池も残りのラーメンを平らげる。

 スープまで飲み干した小池は、勘定を済ませると青龍軒せいりゅうけんを足早に立ち去った。

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