第36話 幼馴染の決意
まだ夜というのには早い時間。
だが夏と違ってすでに外は真っ暗だった。
彼は冷蔵庫から晩飯に必要な食材を取り出して準備に取り掛かる、もちろんレシピは頭の中に入っている。
手を洗い、まな板を出そうとした時チャイムが鳴り響いた。
「アタシが出るよ」
「うるせぇ、お前は座ってろ」
「座ってるじゃねぇか!」
「車椅子だろうが!」
ご近所でも有名な柏木家のやりとり。
彼の母、豹華が目を覚ましてから時間が経ち、寒い季節がやってきていた。
医師が言っていた通り彼女の足は治らず、歩くことができないため家の中でも車椅子で過ごしている。
「ふ、例え足が使えなくてもな…」
「…あ?」
「きっとその内背中に翼が生えるんだよ!」
「恥ずかしいからそんなメルヘンな夢見ないでっ!」
今現在正人は無職、週2,3ほど日雇いのバイトをしながら母親の面倒を見ていた。
息子の足を引っ張りたくなかった豹華を説得するのにはかなり時間がかかった。
それでもやはり今でも彼女は辛そうな表情をする時がある。
「アタシはな、あの大空に翼を広げ」
「飛んでいきた、やかましいわ!」
「相変わらずやってますね…」
「おや、冬子ちゃん、いらっしゃい!」
冬子はチャイムを鳴らしてもなかなか開けてもらえなかったので勝手に入ってきた。
「こんばんは、これお母さんからです」
「な…これは食べたら泳げなくなるという悪魔の」
「ただのミカンです」
「…もう黙ってろババア」
近所の人から大量にミカンをもらったためおすそ分けに来た冬子、豹華のバカなノリにも慣れてしまっていた。
「悪いな、犬塚」
「アンタのエプロン姿だけは慣れないわね…」
「…うるせぇよ」
柏木家の台所は正人が全てまかされている。
「お前も食ってくか、晩飯」
「え、いいの?」
「ミカンのお礼だ、食ってけ」
「そ…それじゃあ」
すぐさま家に連絡する冬子、普通なら遠慮するところなのだが正直彼の作った食事を食べてみたかった。
「晩飯のメニューは何だ、アタシは大人っぽい洒落たものしか食わんぞ」
「ハンバーグだ」
「最高じゃねぇか」
「子供じゃねぇか」
いつものようでそうではない。
冬子にはどうしてもいつも通りを装っているだけのように見えてしまう。
「…驚いたわ」
「あ?」
「アンタがあんなおいしいもの作れるなんて…」
食事後、洗い物を終えた正人は彼女を家まで送っていた。
「ま、それしかやることねぇからな」
あんなことを言っていた豹華だが、彼の作ったものは何でも食べる。
調べながら毎日別のものを作っている内に料理が得意になっていた。
「ねぇ、柏木」
「あ?」
「まだ連絡…取れないの?」
「…」
誰かとは言わない冬子、言わなくても一人しかいない。
「ババアがたまにかけてるらしいが、電源入ってなくて連絡取れないんだとよ」
真夏の携帯は解約はされていないが、あれからずっと繋がらないようにしてある。
「アンタはかけてないの?」
「かけるかよ、めんどくせぇ」
「…そう」
―――だったら何でそんな辛そうな目、してるの?
「お前もう時期卒業だろ?人の心配なんてしてんじゃねぇよ」
「わかってるわよ」
―――だったら話をそらさないでよ。
「あ、ここでいい」
「ん、じゃあな」
「…柏木」
「あ?」
彼女は帰ろうとする正人を呼び止める。
会うたびに言おうとして口から出てこない言葉、ズルズル引きずりすぎて気がつけば余計に言いづらくなっていた。
ただの一言、元気を出してという台詞。
「…その」
「…ったく」
「え?」
「ババアもいるし、前を向かなきゃいけねぇからな」
「…そっか」
前を向いていても先へ進もうとしないことを彼女は知っていた。
「じゃあな」
「うん、ごちそうさま」
「おう、また来い」
必死で普段通りを演じている彼を見ているのが辛かった。
今の彼女にはあの有名だった柏木正人の後姿がとても小さく見える。
元に戻すことなんてできない。
「うぐ…っ」
何もしてやれないことがとても苦しかった。
それは自分じゃダメなんだと気づいているから。
自分じゃ―――。
「…違う」
自分だからこそしてやれることがある。
猫宮真夏も合田良樹でもないものを持っていることに気がついた。
「私はアイツの幼馴染だ…っ」
そして彼女は自分の頬を叩いて家に入った。
驚くべき田舎、間違えていないかもう一度駅名を確認する。
マンションが一つも見当たらない。
「こんにちはお嬢さん」
「あ…、どもっこんにちは!」
通りすがりの年寄りに挨拶をされる冬子。
都会では考えられない優しくて穏やかな町。
少し歩くとちゃんとコンビニもスーパーもある、とても住みやすそうな場所だった。
『猫宮先生のご実家の住所を教えてください』
それが冬子がここにいる理由。
元生徒会長のお願いだけあって聞き出すのは簡単だった。
タクシーの運転手に住所を見せるとすぐに近くまで案内してくれた。
車を降り、辺りをキョロキョロしていると彼女は小さな喫茶店を見つけた。
この店の人なら猫宮家がどこか知っているかもしれないと近寄ってみるが、閉店の札がぶら下がっていた。
近所であることは間違いない、地道に探そうと彼女は振り返った時、とてもきれいな女性が冬子をジッと見つめていた。
「ごめんね、今店閉めてるのよ」
「ね…猫宮先生?」
「あら、君お姉ちゃんが勤めてた学校の子?」
「お…お姉ちゃんっ!?」
目的の人かと思いきや、よく見ると雰囲気が全く違う。
「妹の美春よ、よろしくねっ」
「あ…犬塚…冬子です」
真夏と同じ顔に笑顔を向けられる違和感、どう間違ってあの元教師はあんな風になってしまったのだろうか。
「あの…それで猫宮先生は?」
「…」
「えっと…美春さん?」
「冬子ちゃんは何故ここに来たの?」
質問を質問で返す美春。
「それは…」
「自分のため?お姉ちゃんのため?」
「…」
「それとも正人君のため?」
「…なっ」
冬子は人の心が読む力が彼女にあるのではないかと思ってしまった。
「彼には優しくて面倒見のいい幼馴染がいる、お姉ちゃんから聞いたことあるわ」
「…」
いつも敵視していた女性は冬子のことを褒めていた。
「おせっかいだと思わない?」
ズバリ言う美春、ここのところは姉とよく似ている。
冬子には最初からそんなこと理解している、だからこれまで苦労して悩んだのだ。
でももう今の彼女は答えを見つけている。
「おせっかいができるのは幼馴染だけの特権ですから」
「…ふふ」
いい言葉が返ってきたことに喜びを隠せない美春。
「お姉ちゃんに会ってどうするの?」
「一発引っ叩きます!」
「あはは!君最高だね!」
さすがは柏木正人の幼馴染―――。
笑いながら美春は実家の店を指差した。
窓から見える中の様子、閉店中なのに人の気配がした。
「…え」
『実家では一度も台所に立たせてもらえなかった』
去年のバレンタインの日に真夏が言っていた言葉。
料理もできない不器用な彼女が必死に何かを作っていた。
「まだ店を開ける状態じゃないんだけどね」
「猫宮…先生」
真夏は歳をとり営業できなくなった親の代わりに店を継ごうとしていた。
「本当はね、この店誰も継がないはずだったのよ」
「じゃあ…なんで」
その先を美春は口にしなかった。
真夏は学校を辞めてからずっとこの店を開けるように努力をしていた。
「会っていく?」
「いえ…帰ります」
何もしていない、何もできていないのに何故かやり遂げた気分だった。
「冬子ちゃん」
「はい?」
車で冬子を駅まで送った美春は彼女を呼び止める。
「大学行くのよね、夢はある?」
「…え?」
「やりたいこと、目指しているもの」
成績がよく、誰からも信頼されている冬子、だが美春には彼女がフラフラしているように見えていた。
「なんとなくで進んでいるなら一度立ち止まりなさい」
「…」
「そして、ちゃんと見渡しなさい」
美春の真剣な表情、まるで猫宮真夏に言われているようだった。
「そしたら夢が見つかりそうな道がきっとあるから」
「…ありがとうございます」
「うんっ、それじゃ~ねっ」
意味がわからないがとても心に響いた言葉だった。
ここに来て出た答え、冬子のやるべきことはない。
正人を前進させることができないことを知った。
彼女は彼の友人でも恋人でもない。
「私は幼馴染だ」
彼が逃げ出そうとした時に引っ叩いてやれるように。
せめて【その時】がくるまで―――。
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