第34話 再び

 一昨日は野球、昨日はサッカー、そして今日はゲートボール。

 商店街での付き合いとはいえ、仕事の後に仕事をしている気分だった。


「安田さんとこの子、ありがとうね」

「気にするな」

 ぶっちゃけ少しは気にしてほしかったが、年寄り相手にそんなこと言えるはずがない。

 気がつけば安田さんとこの柏木君として知れ渡っていた。

 一番驚いたのは彼の母親はもっと有名人だったこと、何かをやる度に【さすがは豹華さんの息子さんだ】と言われている気がする。



 日も落ち年寄り達が帰って行く中、彼は公園のベンチに座り身体を休ませる。

 汗が出るほど運動したわけではないが、風の冷たさが少し心地よく感じた。


 星一つない空を見上げる。


 考えてみれば1年も経っていないのだ。


 大学を目指したこと、高校を退学になったこと、社会人になったこと。

 そして恋をしたこと―――。


 様々で散々な思いをたくさんしてきた。

 それを乗り越えて今の彼がいる。



「柏木君だ!」

「あ?」

 突然声をかけてきたのは彼が高校にいた時に同じクラスだった渡辺、須藤、山下の仲良し三人組。


「久しぶりだね!」

「ああそうだな、皆元気でやってるか?」

「元気だよっ」

 それを聞いて安心する彼は本当に変わった。


「今度皆でどっか行こうって話してるんだけどさ」

「柏木君も誘おうってことになってたのよっ」

「もう少ししたらクラス替えだから」

 うまいこと順番に口を開く女子達、彼女の仲の良さがよくわかる。




「それじゃまた連絡するからっ」

「ああ、気を付けて帰れよ」


 そうこれも全てこの1年で手に入れたもの。

 失うことのない絆。





 幸せなんてものはわからない。

 だけどこの居心地の良さはそういうことなのだろうか。


――――否。

 幸せだと思ってしまうのが怖いだけ。




「正人君!」

「店長、どしたんスか?」

 何かを手に入れる度に恐怖も一緒にやってくる。

 一度経験しているからだ。


「お母さんが事故にあったって連絡があって…っ」

「…え…」


 希望なんてものはすぐに絶望に変わってしまう。







 辛さや悲しみはなかった。

 ただ何も感じない無。

 椅子に座り、無表情で【手術中】の文字を何時間も見つめていた。


「柏木っ!」

「柏木君」

 息を切らせてやってきたのは冬子と真夏、彼の様子を見てまだ手術が終わっていないことを察した。


「飲酒運転の車に跳ねられたんだとよ」

「…そんな」

 すでに目を真っ赤にさせている冬子、真夏は無言でじっと彼の目を見ていた。



 1分1秒がとてつもなく長く感じた。

 もうどれくらい時間が経ったのかすらわからない。


 彼の見つめているものの電気が消えたのは日付が変わってからだった。




「…」

 あれだけ騒がしかった母親が目を閉じて静かに呼吸をしていた。


「いつ目を覚ますかわかりません」

「…」

「それと…」

「…」

「もう歩くことは不可能でしょう」


 それを聞いた冬子は両手で顔を隠しながら泣き崩れた。

 真夏は瞼を大きく開いて横たわる豹華を見ていた。


「遅いから二人はもう帰れ」

「な…に、言ってるの?」

「…柏木君?」

 彼はそれ以上続けることはなかった。

 真夏は冬子を支え、二人は音を立てずに病室を出て行った。





「何やってんだよババア」

 いくら言ってもいつもの罵声と怒声は返ってこない。


 悪いのは間違いなく加害者、だけど彼の頭の中では違う考えが過ぎっていた。

 自分がいろいろと手に入れすぎたせいでこうなってしまったのだ、と。


 15歳で正人を産んで、いろんな壁にぶち当たりながらも彼女は一人で彼を育てた。

 全てを捨て全てを彼に託した。


 子の幸せが親の幸せだというのなら彼女は一生そんなもの手に入れることはできない。


「なに…やってんだよ…母さん」

 こんな疫病神さえ産まなければとっくに見つけていたはずだろうに。


「何で俺なんか産んだんだよ!」


 どれだけ叫んでも豹華の表情は変わらなかった。









「お疲れ様でした」

 もう今日が何日で何曜日かわからなかった。


 働いて、その帰りに母親の様子を見に行く日々。

 豹華が事故にあってから毎日のように冬子から連絡が入るが全て無視している。

 真夏もちょくちょく豹華の様子を見に行っているようだった。



「よう相棒」

「良樹か」

 帰り道、彼を待っていたのは友人の合田良樹。


「お前少し痩せたか?」

「どうだろうな」

 事情を知っている彼はあえて母のことは触れなかった。


「まぁいいや、どっか遊びに行こうぜ」

「そんな気分じゃねぇよ」

「…」


 良樹は嫌な懐かしさを感じた。

 まるで正人と出会った時にタイムスリップしてしまったかのような感覚。


「またな」

「…じゃあ」

「あ?」

「俺と喧嘩しようぜ、正人」

「…」

 だったらあの頃のように―――。


「ふざけんな、そんなくだらないこ…」

「…っ!」

 視界が回り、一瞬にして正人は大の字になって倒れていた。


「い…、良樹…テメェ」

「自分はくだらない人間じゃないって言いたいのかよ」

「あぁ…?」

「俺が殴ったのはな、正人」

 倒れている正人の胸倉を掴む良樹。


「お前がくだらない顔に戻ってたからだよ!」

「…」

 説得して納得するような男ではないと知っているからこそ良樹は手を出した。


「…俺は」

 やっと少し彼の感情が動き始めた。


「怖いんだよ」

「…」

「失うだけじゃない、巻き込んでしまうんだよ」

 自分だけが失うだけならまだいい、だけど現実はそうではない。


「…正人」

「大丈夫だ、ただ少し…怯えてるだけだ」

 良樹は正直に話す正人の服を払って起き上がらせる。


「心配すんな相棒、俺は巻き込まれても大丈夫だからよ」

「ああ、それ以上ブサイクにはなりようがないもんな」

「何の話してるのっ!」

 恥ずかしい気持ちはあったが、正直に話してよかった。


「全部捨てたわけじゃないさ」

「…?」

「…今は距離を置かせてくれ」

 これまでに手に入れたものと向き合うとまた落ちてしまう気がするから。

 だから今は気持ちを落ち着かせるために距離を取るのが一番いい方法。



「ああ…、そうだな」



 いつまでも落ちた表情をしていたら、豹華が目を覚ました時にきっと良樹よりも強い拳が飛んでくるに違いない。

 前を向くために今は立ち止まるしかない。




 だけど―――。

 神は必死で前を向こうとする彼に絶望を与えることをやめなかった。

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