第33話 2月14日

 タイヤのチューブを取り出し水を入れたバケツの中に突っ込んで、どこに穴が開いているか確認する。

 少し大きめの針の跡、おそらく釘でも踏んだのだろう。

 確認が取れた彼は工具箱を開け修理に取り掛かる。


「お兄ちゃん…直りそう?」

「安心しろ、このくらいならすぐ終わる」

 小学生くらいの少女は心配そうに彼の作業を見つめていた。

 学校帰りに友達と自転車に乗って遊んでいた時にパンクをしたらしくこのまま帰れば親に怒られてしまうかもしれないと彼に助けを求めた。



「ほらよ」

「わぁありがとう!」

 15分で終え、少女は嬉しそうに自分の自転車を見つめていた。


「それでね…お兄ちゃん」

 言いにくそうに身体をモジモジさせ始める少女。


「母ちゃんにはパンクしたこと内緒にしといてやるから」

「…え?」

「タダで直したこと、内緒にしといてくれよ」

「あ…うん!ありがとう!」

 自転車のパンクの修理代金は軽いもので千円、小学生にとっては大金だ。

 泣きながらやってきた少女からはお金を取る気など始めからなかった。


「それよりもお兄ちゃん」

「うん?」

 ずっと気になっていたのか、少女は扉の方を指差して彼に質問する。


「あれは…何?」


「だから何で猫宮先生がここにいるんですかっ」

「犬塚さんこそどうしてここに」

 できる限り見ないようにはしていたが、この光景を初めて目にする少女はずっと気になっていたようだ。


「犬と猫の喧嘩だ、気にするな」

「う…うん」





 使用した工具を直し、洗面所で手を洗って戻ってきてもその喧嘩は続いていた。

 閉店の準備がしたいのだが邪魔でしかたがない。

 落ち着くまで待つしかないと判断した彼は椅子に座ってスマホをいじりだした。


「柏木君にメッセージを送ったわ」

「…うぐ、成長しましたね猫宮先生…」

「ちゃんと10分前行動したわ」

「…使いどころ間違えてるからな」

 画面を開くと【10分ほどで着きます】という真夏からのメッセージが届いていた。

 来るのなら事前連絡をしろと言っていたのだが少し意味を勘違いしているようだ。



「か…柏木、今日が何の日か知ってる?」

「バレンタインだろ?」

「…とぼけないあたりアンタらしいわね」

「いや、手に持った紙袋に書いてんだろ」

 それが視界に入るまでは気がつかなかったが、二人の持つ紙袋にはちゃんとわかるように文字で書かれていた。



「猫宮先生は手作りですか?」

「いえ、駅前の店で買ったわ」

「それ言っちゃだめなんじゃないか?」

「あ…、聞かなかったことにして」

 相変わらず正直すぎる。

 しかしあの辺のスイーツ屋はおいしいが結構値が張ると言われている。

 さすがは大人の社会人、学生では真似できない。


 だが―――。


「へぇ、猫宮先生は購入したチョコなんですか」

「そうよ」

「…ふっ」

 勝ち誇った笑みを浮かべた冬子は自ら持ってきた紙袋の中を取り出して彼に差し出した。


「はい柏木、私のはて・づ・く・り・だから」

「…お、おう、サンキュー」

「…」

 綺麗に包装紙で包まれたバレンタインチョコ、冬子は昔から器用でお菓子作りが得意なのだ。

 真夏は表情を変えずカバンからスマホを取り出した。


「…」

 無言で画面を操作している。


「…っ」

 何かに気がついた様子。


「柏木君」

「…なんだ」

「一度帰るわ」

「いや、作りに帰ろうとしてんだろ」

「ええ」

 恋愛経験のない真夏は購入したものと手作り、どちらの方が喜ばれるかを調べていたようだ。


「そこまで気を使わなくていいから」

「そ…そう?」

「ああ」

 真夏の顔が一瞬赤くなったような気がするが、見間違いだろう。


「…」

「…犬塚、どうした?」

「ううん、なんでもない」


 冬子は自分の見たものが気のせいだと思いたかった。

 少しだけ正人と真夏の距離が近くなっているような気がしていた。


「まぁ先生も料理くらいはできるだろ、大人で実家は喫茶店だしな」

「…」

 真夏は無表情のまま目をそらした。


「できないのかよっ!」

「実家では一度も台所に立たせてもらえなかった」

「マジか…」

「この前カップ麺で失敗したわ」

「逆に器用だな…」

 お湯を入れて3分の商品をどこで失敗したのだろうか。


「でも私の方が心がこもってますよ」

「私も悩んで買ったわ」

「料理できないと結婚できませんよ」

「…」

 再び始まる犬と猫の争い。

 もう勝手にやっててくれという気持ちでいっぱいだった。



 二人は放っておいて店の片づけをし始める正人。

 マナーモードにしていたスマホがさっきからポケットの中で震えている。

 いい加減帰りたかったがあまりにもしつこいので出ることにした。


『誰だ』

「…何でかけてきた方が質問してんだババア」

 高校を辞めてから母親と接触する回数が増えている気がする。


『んだよ、犬か猫にでも噛まれたか?』

「両方に噛まれた」

『は?』

「…なんでもねぇよ」

 あながち間違いではない、はず。


「んで何の用だ」

『今年もチョコもらえてないんだろ』

「今もらったが」

『んだとっ、どこの女だ!菓子折り持って挨拶しに来い!』

「怒ってんのか紹介してほしいのかどっちだ」

 そもそも何で毎年もらえてないことをこの女は知っているのか。


『しょうがない、アタシがお前に愛のこもったチョ』

 最後まで言わさずに通話を切っておいた。

 大きくため息をついて閉める準備を始める、が…。


「…なんだ」

『しかたがないから物ではなく母親の愛をや』

 すぐに通話を切り、手を動かす。

 一体なんなんだ、この母親は。



「だからなんだ」

『愛をくれよ!』

「俺がやるのか!」

 豹華はただ寂しくて息子と喋りたかっただけだった。





 真夏と冬子が帰った後ようやく閉店することができた。

 手には二人からもらったチョコ。

 最後にもらったのは小学生の頃だっただろうか、それくらい昔の話。



「…さむ」

 白い息がより寒さを感じさせる。

 冷蔵庫の中が空っぽだったことを思い出し、彼はスーパーに行くかコンビニで済ますかで悩んだ。

 スマホを取り出して時刻を確認する。



 用意をするのがめんどうなだけだからな―――。

 彼は心の中で呟いて実家の方へと足を動かした。

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