第32話 約束
元旦、彼は実家の前にいた。
新年の挨拶などしたことがないためどんな顔をして中に入ればいいかわからなかった。
普段通りいくか、それとも爽やかにいってみるか。
「おはよう」
「うわぁああ!!」
気配に敏感な正人でも全く感じ取れない人物、それが猫宮真夏。
「明けましておめでとう」
「あ…あぁ、おめでとう」
全然新年を感じさせない真夏はいつも通りスーツ姿だった。
「いやその格好おかしいだろ」
「そう?」
「おかしいのは頭の方か…」
「ひどいわ」
彼女に常識が理解できるはずがなかった。
「…」
「…」
「…」
扉を開けるとエプロン姿のヤンキー女が立っていた。
金髪でタバコを咥えたこの女は誰でもない、彼の母親だ。
「豹華さん、おめでとうございます」
「おめでたなのか!」
「お前の頭がなっ!」
それが柏木家の新年の挨拶だった。
テーブルの上には豪華なおせちが並べられていて、間違いなく三人分はあった。
真夏の格好は正月気分を台無しにしてしまうため先ほど豹華に奥の部屋に連れていかれた。
朝早くから頑張って作ったのだろう食事と片付いた部屋、今日という日を楽しみにし、とても気合いを入れていたのが見てわかる。
豹華と真夏が戻ってきたのは30分ほど経ってから。
遅すぎて文句を言ってやろうとしたが真夏の姿を見て言葉を失ってしまった。
「変かしら」
「…いや」
真夏の着物姿、いろいろ問題が多い彼女だが素はいいため冗談抜きで目を奪われてしまう。
そもそもこんな物母親が持っていたことに驚きである。
「どうよ美女二人の着物姿は」
「ああ、正直驚いた」
「テメェ一度もこっち見てねぇよな」
彼女は大人なんだと改めて実感した。
「にしてもお前作りすぎだろ」
「残念だがミートボールはないぞ」
「…いつ俺がミートボール好きだと言った」
たった一人で彼を育てた豹華の料理の腕前は本物だ。
無表情でわかりづらいが真夏の箸を持った手が止まる様子がないところを見ると相当おいしいのだろう。
嫌気が差すほどの寒さ、できることなら外には出ずに家のコタツの中でじっとしていたかった。
前方では真夏と豹華が会話をしている、もちろん彼の母親が一方的に喋っているだけ。
あの無感情の真夏にどんな話題を振っているのか聞き耳を立ててみる。
「真夏ちゃんはどんな下着履いてるの?」
「おいババア、とりあえず話題を変えろ!」
「黒です」
「おいバカ、とりあえず答えるな!」
「実はお母さんさっき見たのだよ」
「だろうね!着替え手伝ってたもんな!」
ツッコミ役になってしまっている彼はすでに疲れ始めていた。
騒がしい母親に無口な元担任、真逆だが実は相性抜群なのではないだろうか。
「あら豹華さん、明けましておめでとう」
「ども~おめでとう!」
子供連れの主婦が豹華に新年の挨拶をする。
「そちらは…」
目つきの悪い彼と無表情で頭を下げる真夏を見て不思議そうにしていた。
「えっとコイツらは」
「…」
「…」
一度彼らを見て豹華は答えた。
「アタシの息子と義理の娘です」
「それはわざと言ったのか、説明が面倒だったのかどっちだ」
「…」
「アンタはアンタで何か発言しろ」
頭が痛くなる一方である。
実家の近所にある神社は同じ目的で来た人たちで賑わっていた。
同級生がいないか心配になったがこれだけ人がいればわからないだろう。
彼は有名人で目立つ存在だがステルス能力には自信があった。
「柏木君」
「なんだ」
「何故か目立ってるわ」
「…」
着物姿のヤンキー女とロボットのような美女、彼がいくら存在感を消してもこの二人が目立ってしまっているので意味がなかった。
お賽銭というのはどうやるんだろうか、と彼は悩んでいた。
その前に何を思ってお賽銭をすればいいのか。
不良が平和など願うわけがないし勉学についてはもう必要ない、お決まりなご縁のために五円を投げ込むのが一番いいのだろうか。
「バカ息子」
「なんだ」
「1ドル札持ってないか?」
「…お前はどんな願いをするつもりだ」
そもそも持っているかどうか聞くこと自体おかしい。
「柏木君」
「今度は何だ」
「いくら投げたらいいのかしら」
真夏は大人びた財布の中身と睨めっこしながら彼に質問する。
「五円でいいんじゃないか?」
「それだけでいいの?」
「いや知らねぇがご縁がどうたらって言うだろ」
「…」
真夏の手が止まる、五円がないのだろうか。
「ほら、俺二枚持ってるから」
「いや、結構よ」
「…ん?」
彼女が財布から取り出したのはまさかの千円札だった。
「ご縁ならもう必要ないから」
「…」
彼女はお札を握り締めながら正人を見つめていた。
ではその千円は一体どういう意味が含まれているのか気になってしまった。
「…そか」
彼は手に持った五円を財布にしまい真夏と同じ金額をお賽銭箱に入れたのだった。
豹華は近所の奥さん方に呼ばれ彼らから離れて喋っていた。
先に帰るのもあれだったので残された二人は自販機で買った温かい飲み物を飲みながら待つことにした。
―――それにしても。
「本当に着物似合うな」
「ありがとう」
黒髪で真っ直ぐな姿勢、大和撫子感が半端ではない。
「柏木君も似合ってるわ」
「普段着だが」
「そうね、ごめんなさい」
一応気を使ってくれたのだろうがやはり下手くそである。
恋愛の仕方を知らない彼はときめくような言葉など言えない。
その前に真夏がときめいている姿なんて想像できない。
正人は彼女に恋をしているが発展させる方法がわからないのだ。
まだしばらくはこのままだろう、とそう思っていた。
「柏木君」
「なんだ?」
「恋人いるの?」
「ぶふぉっ!」
真夏の口からありえないワードが出てきたため彼は驚いて飲んでいたコーヒーを吹き出してしまった。
「い…いねぇよ、ゴホッ…」
「そう」
普通の言葉でも言わなそうな人が言うととてつもない破壊力である。
どうせ何の考えもなしで言ったのだろうがさすがに驚いた。
「好きな人はいるの?」
「ぶふぉっ!」
再度コーヒーが飛び出した。
「さっきから何言ってんだ…」
「ごめんなさい」
「いや…別に謝ることじゃねぇが…」
まるで修学旅行の夜のようなノリ、当然彼はそういうのには慣れていない。
好きな人、か―――。
「まぁ…いるよ」
「…んぐっ」
「…」
「そ、そう」
冷静に保っているようだが真夏の目は半端じゃなく泳いでいた。
初めて猫宮真夏が動揺している。
それを見た彼はここで止めるべきか続けた方がいいか悩んだ結果。
「誰…?」
真夏の質問の方が先だった。
「…そうだな」
告白の仕方もタイミングも知らない、だけど今じゃないことくらいはわかる。
「だめ、やっぱり…聞きたくない」
「…あ?」
「あれ、何…何これ…」
「お…おい先生?」
目を細めて胸元を押さえる真夏。
肩が上下するほどの胸の高鳴り、荒くなった呼吸。
彼女は正人と出会ってからいろんな感情を覚えた。
彼の前で初めて笑ったこと、彼のことを思って涙を流したこと、そしてこの今にも飛び出しそうな心臓。
嬉しかったから笑った。
悲しかったから泣いた。
―――じゃあこれは…。
「…私は」
柏木正人が好きなんだ―――。
「なぁ先生」
「だ…大丈夫よ、無理して言わなくても」
今彼の口から好きな人の名前を聞いたら悲しくなって泣いてしまうかもしれない。
「いつか…聞いてくれるか?」
「…え?」
真夏は動揺しながら彼の目を見る。
「俺がちゃんとした大人になるまで」
「…」
正人は真っ直ぐ彼女の瞳を見つめていた。
告白じゃない告白、いくら鈍感な真夏でもその目を見れば理解できた。
「…待ってるわ」
「ああ」
彼はまだ働き始めたばかりの子供、何もかもが安定していない。
いつになるかわからない、何が起こるかわからない、長い時間を必要とするかもしれない。
彼の精一杯の勇気。
真夏は胸から手を下ろして彼の方へ身体を向ける。
「待ってるから」
その表情は不自然さを感じさせない本当の笑顔だった。
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