第31話 一年の終わりに

 彼の職業は自転車屋である。


 商店街にある飲食店の水漏れを直すため彼は工具を使って修理していた。

 もう一度言おう、彼の職業は自転車屋である。



「とりあえず直ったぞ」

「おー!助かったよ!」

「一時的なもんだから、一応修理屋に頼めよ」

 職場の店長が頼まれて直せなかったのを彼がやっただけのこと。


「さすがは柏木さんとこの息子さんだ!」

「…あ?」

「いやぁこの前君のお母さんにテレビ直してもらったんだよ」

「何やってんだあのババア…」

 親子して便利屋扱いだった。


 実はここの商店街では柏木豹華は有名人だった。

 困った人がいると無償で手を差し伸べるスーパーウーマン、そして子供達にも大人気。

 彼からすればそんな便利屋冗談じゃない。


「そうだ、石田さんとこの風呂が壊れてるみたいなんだ」

「…明日空いた時間に行くって伝えといてくれ」

「わかった!」


 正人は父親のことは全く知らないが、間違いなく母親似だろう。




「さみ…」

 作業着の上に何か羽織ってこればよかったと思うくらい外は寒かった。

 今気がついたが、店長から今日はもうやることがないから直帰してもらってもいいというメッセージが届いていた。

 時刻はまだ4時、帰るにしては早すぎる時間。


「よう相棒」

「誰だお前」

「この台詞を言える人物は一人しかいないよねっ!」

 少し歩いた先で彼に声をかけてきたのは私服姿の合田良樹だった。


「いや、あまりにも久しぶりだったからな…」

「登場はね!でも期間的にそんな久しぶりでもないからね!」

 最後に良樹と会話をしたのは妹といる時、しかもそれは電話越し。


「お前の顔見て思い出した、もうじき正月だな」

「おめでたい顔って言いたいのかなお前は!」

 正人が社会人になってもこの関係は変わらないようだ。 





「そういやさ」

 コンビニで立ち読みをしている二人、良樹は本から目を離さず口だけを動かした。


「すげぇ有名な道場がこの前潰れたんだが」

「へぇ」

「正人、お前だろ」

「知らねぇよ」

 決して良樹は妹から聞いたわけではない。

 一人の男が道場破りに入ったとだけは聞いていたが、合田良樹以外であそこの連中をまともに相手ができるのは正人しかいないと彼は思っていた。



「なぁ良樹」

「なんだ我が相棒」

「とりあえずエロ本読むのやめないか」

「わかった、買ってくる」

「そういうことじゃねぇ」

 もちろん冗談だ、そもそもまだ買える年齢ではない。


「なぁ良樹」

「なんだ我が細胞」

「身体の一部にすんじゃねぇよ」

 漫画のページをめくりながら正人は続ける。


「お前どっかとモメてんのか?」

「何でよ」

「何でもクソもねぇよ」

 ガラスの向こう、コンビニの外で大勢の不良達がこちら側をずっと睨んでいた。

 人の量とバイクの数からして暴走族だろう。



「手伝いは?」

「いると思うか?」

 質問に質問で返してくる良樹。

 先に読んでいた本を元の場所に戻した良樹は立ち読み中の正人の肩を一度叩く。


「んじゃな正人」

「ああ、きっとまた会おう」

「フラグ立てないで!」


 彼は合田良樹という存在をよく知っている、あれだけの数が相手でも決して負けることはない。

 いつもなら誘われるところだが、良樹は学生で正人は社会人、冬休みのない正人に気を使ったのだろう。




「よう坊主!これ余りもんだ、持ってけ!」

「サンキュー」

「正人さん、今度娘の自転車見てあげてよ」

「おう、いつでも来い」


 彼は少しずつ認められ始めていた。

 商店街の人たちも彼の悪い噂は聞いたことがあるはず、それでも普通に接してくれていた。


 うまくいっている生活に少し恐怖を感じる時がある。


 孤独でくだらない日々を送っていた高校生活、その中でやっと見つけた目標と友人達。

 どんなのものを作り上げても一瞬で崩れてしまうことを彼は知っている。



 孤独のままの方がいいのではないか、とどうしても思ってしまう。







 社会人にも正月休みというものはある。

 やることのない大晦日、彼はスマホを触りながら時間を潰していた。

 トイレに行こうと立ち上がりスマホをテーブルに置こうとした時、猫宮真夏から電話がかかってきた。


『柏木君』

「なんだ」

 まだ正月にはなっていない、おめでとうと言うには早すぎる。


『明日デートしましょう』

「…」

 確かに驚くべきことだ。

 あの冷血の猫と呼ばれた女がデートに誘ってきているのだから。

 だけど素直に受け取れない理由がある。


「誰の差し金だ」

 彼女は恋愛というものがどういうものか理解できていないからだ。


『豹華さんよ』

「なに人の母親にアドバイス受けてんだ…」

『ごめんなさい』

 歳の近い母親と真夏は交流があり、ちょくちょく連絡を取り合っているらしい。


『初詣に行きましょう』

「最初からそう言え」

『そうね』

 それもおそらくあの母親の差し金だろう。

 私服がスーツで、全く笑わず表情一つ変えれない真夏にそんな発想が出てくるはずがない。


『それじゃ明日の朝、柏木君の実家で』

「わか…いや何で俺の実家?」

『豹華さんに朝来るように言われたわ』

「…」

 何を考えているのだあの母親は。


「…八時でいいか」

『ええ』

 通話終了を押してスマホをテーブルに置く。


 初詣なんていつぶりだろうか。

 そもそも行った覚えがない。

 母親が真夏をうまく操作して動かされている気がしてならなかった。





『明けましておめでとう』

「…それ朝じゃだめだったのか」

『あ』

 日付が変わり、新しい一年が始まったところで再度真夏からの電話。


『柏木君』

「…なんだ」

『夜更かしはだめよ』

「初詣行く前に脳検査行って来い」

『ひどいわ』


 本当は二人とも関わらなくていい関係。

 学生ではなくなった後でも真夏は彼のことを気にかけている。

 それは教え子だったからなのか、それとも別の感情からきているものなのか。


『柏木君』

「なんだ」

『こ…』

「どうした?」

 人の気持ちを全く考えない真夏が言葉を詰まらせるのはめずらしいことだった。


『こと…しも、よろしく…ね?』

「…」

 思わずスマホを離して今通話している相手が誰か確認してしまった。


「ああ…、こちらこそよろしく」

『…』

 電話の向こうから安堵したようなため息が聞こえてくる。


『それじゃまた』

「ああ」

 彼は耳から離さずに真夏が切るのを待った。


『…』

「…」

『…』

「…切らないのか」

 真夏も同じ事を考えていたようだ。


『それじゃ、せーので切りましょう』

「中学生カップルか」

 恋愛を知らない彼女は中学生以下だ。


『せー』

 最後まで聞かずに切っておいた。




 彼が高校生だったのがもう去年の話になってしまった。

 少しずつ【思い出】に変わりつつあるあの日々。

 もしかすると今年も何かがあるかもしれない。

 それが嬉しいことなのか、それともあの時みたいに辛い思いをしてしまうのか。


 もう学生ではない。

 何があっても歩いていくしかないんだ。

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