第30話 少女の贈り物
決してフラれたわけではない。
クリスマスは家族と過ごすと言っていた彼女を正人は誘うことができなかった。
真夏の事だ、もちろん声をかければ少しの時間を作ってでも彼に会いに来てくれるだろう。
だが恋愛経験皆無の正人にそんな勇気があるはずがなかった。
職場の店長は奥さんと一緒に旅行に出ていた。
クリスマスの日に自転車屋に来る客などおらず、暇でやることのなかった彼はついうたた寝をしてしまい目を覚ましたのは夜の9時前だった。
誰もいないため念入りに戸締りチェックをして彼は店を出る。
商店街はクリスマス一色だった。
そんな中を作業着で歩く彼は完全に浮いていたが誰一人として正人を気にする者などいなかった。
だからそんな彼には見えてしまうのだ。
孤独な存在を―――。
一人の少女が夜遅くに一枚の紙をジッと見つめながら棒立ちしていた。
どう見ても小学生、買い物にしては遅すぎる時間。
真剣な顔付きから迷子のようにも見えない。
ここの商店街は比較的治安は悪くないが出てしまえば別世界だ。
クリスマスモードのせいで誰も少女に気づかない。
どこかに向かいたいのか、少女は紙をポケットにしまってゆっくりと歩き出した。
―――その先へ行けば商店街を出てしまう…。
彼は今少女に声をかけなければまずいことになりそうな気がしていた。
商店街では正人の顔は知られている、今なら少女に話しかけても問題にはならないだろう。
「おい、そこの少女」
「ひぃっ!」
作業着姿の男に急に話しかけられたのだから当然の反応だろう。
「こんな夜遅くに何やってんだ」
「は…わわわっ」
怖がりすぎていて全く話にならない。
「おい聞いてんの…くわっ!?」
彼の目の前をすごい勢いで何かが通過する、動体視力のいい正人でもそれが何か判別できないほどの速度。
直感で避けることができたがもし当たっていればただでは済まなかっただろう。
「誰だこの野郎!」
「アンタ何やってんのよっ」
「げ…犬塚」
青海高校生徒会長の犬塚冬子、となれば今正人の前を通り過ぎたのは彼女の兵器の【アレ】だ。
「その子泣いてるじゃないっ」
「いや…これは」
「これはっ?」
「夜遅くに歩いてたから危ないぞ、って…」
「…」
彼がこんなくだらない嘘を付かないと理解している冬子は言い返さずに両手で顔を隠して泣いている少女に声をかけた。
「ねぇ君…こんな夜遅くに何してたの?」
「…うう、お姉ちゃん…誰?」
「私は犬塚冬子よ、あなたは?」
「舞…」
もしかするとこれも男女差別に入るのではないかと思ってしまうくらいの差だった。
「大丈夫よ舞ちゃん、私は安全だから」
「俺が危険みたいに言うな」
自販機で買った温かいカファオレを舞に渡し、近くのベンチに座らせた。
何をしようとしていたのか、どこへ行こうとしていたのか、それを問いただしても答える様子はない。
「言えないことなの?」
「…」
さっきからこの調子が続いている。
「なら警察に連れてくか」
「…え?」
「ちょ…柏木?」
「放っておくわけにもいかねぇし、警察に突き出した方が早い」
少し声のトーンを落としながら正人は言った。
「そ…それはダメ…」
「なら言え」
「か、柏木ちょっと言いすぎじゃ…」
「お前は黙ってろ」
本気で警察に連れて行く気など彼にはなかった。
言えないのならしかたがないなどと言って見逃せる時間帯ではないため、彼は正直に言うしかない状況を作る。
「おか…」
「あ?」
「お母さんにクリスマスプレゼントを渡しに行こうとしてた…」
「舞ちゃん…それって…」
舞は背負っていたカバンから透明のビニールに包まれた小さなクマのぬいぐるみを取り出した。
「母さんと一緒に暮らしてないのか?」
「…お父さんと暮らしてる」
「そうか…」
これ以上深くは聞いてはいけない気がした。
「お父さん仕事で帰り遅いから…」
「内緒で来たんだね…」
冬子は泣きそうなのを我慢して舞の頭を撫でた。
「犬塚、お前は帰れ」
「えっ、何で?」
「夜おせぇからに決まってんだろ、俺が連れてく」
こんな幼い少女にここまで言わせといて何もしないのはさすがに引ける。
「私も連れてった方がいいと思うんだけどなぁ~」
「あ?」
「柏木はこんな夜遅くに小学生の女の子連れて歩くんだぁ」
「…」
「へぇ~」
「付いてきてもらってもいいですかねっ!」
冷静になって考えてみれば間違いなく補導される。
「初めからそう言えばいいのに」
「ぐ…」
「…ふふっ」
そんな二人のやりとりが面白かったのか、舞は口元に手を押さえながら笑っていた。
「場所はわかるの?」
「うん」
舞は先ほど真剣に見ていた紙切れを冬子に渡した。
そこには大人の字で書かれていた住所、さすがにこの歳でこれだけの情報では辿り着けないだろう。
冬子はスマホを取り出して地図アプリを起動し住所を入力する。
「ん~っと、あの辺か…行ったことないな私」
「その辺りなら良樹と通った気がするな」
中学時代正人は良樹と散歩がてらにいろんなところを歩き回っていた。
その時に通った気がするがはっきりと思い出せない。
とりあえず少女の母親がいる場所へ一緒に向かうことにした正人と冬子。
冬子は舞とはぐれないようしっかりと手を握っていた。
「ってか何でお前は商店街にいたんだよ」
「知り合いのおばさんがケーキ作ったから取りにおいでって言われてね」
「行かなくていいのかよ」
「友達と会ったから遅くなるって連絡しといたから大丈夫」
さすがは女子高生、いつの間にか連絡しているパターン。
「ねね、お兄ちゃん」
「あ?俺?」
「お兄ちゃんは何している人なの?」
「チャリンコ屋だ」
「自転車屋と言いなさい…」
少女は少しずつ心を開いてくれていた。
「すごいね!今度私の自転車持って行っていい?」
「ああ、ジェット機に改造してやるよ」
「…どんな技術よ」
正人と舞のめちゃくちゃな会話に冬子は呆れながらも楽しんでいた。
「ね、舞ちゃんの持ってるそのぬいぐるみはどこで買ったの?」
「んとね、ゲームセンターで取ったのっ」
母に渡そうとしているプレゼントは店で購入したのではなく、UFOキャッチャーで取ったものだった。
舞はよく母とUFOキャッチャーをして遊んでいたそうだ。
いつも二人が狙うのはクマのぬいぐるみ。
次はあれを取ろうね、と約束したままそれは叶わないものとなった。
だから舞はお小遣いを貯め、一人で頑張って挑戦しやっとのことで取ることができたのだ。
正人はそれを聞いて包装されていなかった理由がわかった。
「もう少しだね」
冬子はスマホを見ながら呟いた。
「…」
「柏木?」
「ん…いや…」
思い出せなかった記憶が少しずつ蘇ってくる。
薄暗い一本道、こんなところに家なんてなかったはず。
―――確か…あの先は。
「犬塚」
「うん?」
さりげなく冬子の隣に立つ正人は少女に聞こえないよう小声で呟いた。
「覚悟しとけ」
「…え?」
先にあったもの、それは墓地だった。
到着すると舞は冬子の手を離し歩き出した。
一つ一つ確認したあと、舞は足を止めた。
「やっと来れたよ、お母さん」
「…舞…ちゃん」
そういうことだ―――。
すでに舞の母はこの世を去っている。
母親の墓の場所が書かれた紙を内緒で持ち出して一人でここまで来ようとしていた。
父に相談すればよかったのに、なんて言葉は言えなかった。
少女の苗字と墓に刻まれた苗字が違っていたからだ。
舞の両親は離婚していて、その後亡くなったのだ。
「これ見て!取れたんだよ!」
カバンからぬいぐるみを取り出して眠る母に見せる。
「か…柏木…」
「まだ泣くな」
少女が泣いていないのだから先に涙を流してはいけない。
「お母さんにクリスマスプレゼントだよ!」
舞は墓石の前にぬいぐるみを置いた。
それでは間違いなくすぐに汚れて誰かが処分してしまうだろう。
「なぁ舞よ」
「え?」
「そんなんじゃ母さん大事にできねぇぞ」
「そ…そうなの?」
正人は一度大きく深呼吸して舞の頭に手を乗せた。
「父さんの番号、わかるか?」
「え…うん…」
「教えてくれ」
「でも…」
内緒で来ているのだから教えたくないのも当然だ。
でも彼はこのままじゃいけない気がしてならなかった。
「舞ちゃん、大丈夫だから…」
正人が何かをしようとしていることに気がついた冬子。
番号を聞き出し、彼は自分のスマホを使って舞の父に電話をかけた。
当然舞の父は動揺していた。
一人で母のもとへ行こうとしていたことやぬいぐるみのこと、柄にもなく彼は少し熱くなってしまっていた。
やはり舞の両親は離婚していて、実家や墓参りにも足を運ぶことができなかったそうだ。
娘がここまで勇気を出したんだから、今度は父親が動くべきなんだ。
30分した後、舞の父が迎えにやってきた。
正人の若さに驚いていたが、娘が迷惑をかけたことに謝罪をしていた。
「ここに来る前に向こうの実家に連絡しました」
「…そうか」
離婚した相手の実家に電話をかけるのには相当勇気がいったことだろう。
「舞?」
「なにお父さん」
「明日…お母さんの家に行こう」
「…ほんとっ!?」
「ああ」
舞は嬉しそうにぬいぐるみを抱きながら飛び跳ねていた。
これならきっとプレゼントも大切にしてもらえる。
「じゃあねお兄ちゃん、お姉ちゃん!」
「ああ」
「またね!」
父の手をしっかり掴んで少女は去って行く。
冬子は見えなくなるまでずっと手を振っていた。
「良かったね」
「だな」
一本道を戻る二人。
「ってか、今日はマジ疲れたな…」
体力と精神、共に使い切った気分だった。
クリスマスが台無しになったというのに冬子は嬉しそうに彼の隣を歩いていた。
「なにニヤニヤしてんだよ…お前」
「え~?そりゃだって…」
少し早歩きになった冬子は彼を追い越し、髪をなびかせながら振り返った。
「いいクリスマスだったからっ」
「…そっか、そうだな」
疲れたとしても決して嫌な日じゃなかった。
むしろ温かい気持ちになれた気がした。
―――こんなクリスマスも、悪くないな。
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