第29話 かけがえのない時間

 あ、今日誕生日なの忘れてた~、などと言う人に限って前々から楽しみにしていたケースが多い。

 冗談ではなく自分の誕生日を忘れるようであれば、それはきっと本当に何の楽しみもない毎日を過ごしているに違いない。

 そう、彼もその内の一人だ。



 12月23日、仕事が終わり店を出ると真顔で棒立ちしている女性が扉の前にいた。

 置物のように全く動かない【それ】、正人は呆れながら彼女に声をかけた。


「寒くないのか?」

「寒いわね」

 彼の職場へやってきたのは猫宮真夏、店を閉める準備をしていたのが見えたので入らずに外で待っていた。


「どうした?」

「お…おめ、おめで…」

 何故か韻を踏み出した真夏。


「おめでたい」

「いきなり人の頭がおめでたい発言か」

「違う」

 珍しく緊張しているのか、真夏は表情を変えずに小さく深呼吸していた。


「柏木君、今日誕生日でしょ」

「ん…あぁ…そうだっけ」

 決して知らないわけではない。

 生年月日なんてものは何かに記入したりする時に思い出す程度で、それ以上のことで意識をしたことは一度もない。

 正人の元担任だった真夏が彼の誕生日を知っていてもおかしくはない。


「だからプレゼントを買ってきたの」

「マジかよ…いいのか?」

「ええ」

 バースディ用ではなくクリスマス用の包装紙だったのが少し気になったが素直に受け取ることにした。


「何が入ってんだ?」

「腹巻よ」

「…ごめん、もっかい頼む」

「腹巻よ」

 惚れた女性からのプレゼント、腹巻。


「これを選んだ理由を聞こうじゃないか」

「寒いから」

 マフラーやセーターといった定番の物は頭になかったのだろうか。


「まぁサンキューな」

「気にしないで」

「…ん、もう行くのか?」

「仕事が残ってるから」

 真夏はただこれだけのために仕事を置いて学校を抜けてきたのだ。

 誕生日に何かをプレゼントする、それを先に伝えてしまえば彼は必ず遠慮してしまうだろう。

 だからこうして今日は抜き打ちでやってきたのだ。


「残念だなぁ」

「?」

 少し意地悪をしてやろう―――。


「祝ってほしかったな」

「…」

 無言で彼を見つめる真夏。

 表情からは読み取れないが間違いなく困っている。


「冗談だよ」

「そう」

 真面目な彼女に冗談が通じないことを知っているためすぐに折れてしまった。


「じゃあ戻るわね」

「ああ、気を付けてな」

「ええ」

 真っ直ぐな姿勢のまま彼女は青海高校へと向かっていく。

 やはり自分には誕生日やらクリスマスやらは似合わないな、と彼は鼻で笑いながらそう思った。






 夜、食事が終わりテレビを流しながらボーっとしていると彼の母親から電話があった。


『さて、今日はお前が産まれてきてしまった日だが』

「何で残念そうな言い方なんだババア」

 相変わらず一言、いや二言以上多い女である。


『その様子じゃ晩飯はカップ麺で、テレビを見ながらボーっとしてた感じか』

「…どこかに監視カメラ設置してあんのかよ」

『何だったら帰ってきてもいいぞ、ミートボールならある』

「何でわざわざミートボール食いに実家に帰らなくちゃいかんのだ」

 親子共にこんな性格なため、これまでちゃんとした誕生日会というものをしたことがない。


「明日も仕事だから今日はゆっくり休む」

『クリスマスに仕事ってさすがは来世も童貞な男だな』

「…現世も童貞を貫くのか俺は」

『童貞王を狙ってるんだろ?』

「俺の全てをそこに置いてき、やかましいわ」


 本当のところ、明日は休んでいいと言われていた。

 だけどクリスマスだからといって時間を作ったところでやることはいつもの日常と変わらない。

 そもそもそういうイベントで浮かれるような育ち方をしていない。


『そういや真夏ちゃんも今日だったよな?』

「何が」

『誕生日、確かお前と同じだったはずだぞ』

「…は?」

 驚いた彼はスマホをテーブルに置きスピーカーモードに切り替える。

 通話しながら彼は押入れから高校で使っていたカバンを取り出す、が出したところで彼女のプロフィールがわかるような物は当然入っていない。


『いや、メアドの最後に1223って入ってたからよ』

「マジかよ…」

 真夏の連絡先は知っているがそこまで確認したことはない。


―――何で自分の誕生日の日に。


 彼は立ち上がり急いで着替える。


『青春だねぇ』

「黙れババア!」

『あぁ!?テメェの幼少時代の写真を家に飾るぞコラ!』

「やめてっ!」



 何故急いでいるのかわからなかった。

 真夏はまだ仕事があると言っていたがさすがにもう終わって帰っているだろう。

 それでも彼はジッとしていられなかった。





 久しぶりに全力で走った彼は駅近くで一旦休憩を入れる。

 本番は明日だというのに辺りの光景はクリスマスでいっぱいだった。


「(忘れてた)」

 彼女は正人にちゃんとプレゼントを渡した、それなのに彼は手ぶらで彼女のもとに行こうとしている。


 こんな夜遅くに学校が開いているわけがない。

 電話をかければいいだけの話だが、さすがに急なためそこまでする勇気はなかった。


 周りを見渡せば結構まだ店は開いている。

 ファンシーグッズ店が目に入ったが彼一人で入れるわけがない。

 猫が好きな彼女にぬいぐるみ、と考えたが真夏は今日で31歳だ。

 何か猫宮真夏らしいものはないものか、と彼は重くなった足を動かした。




 もうしばらくここらには来ないようにしようと決めた。

 手に持っているのは誕生日ように包装されたプレゼント、女性向けの店に入ることがこれほどまでに恥ずかしいものだとは思ってもいなかった。

 店に入るのに時間がかかり、買うのにも時間がかかった。

 周囲はもう店を閉める準備を始めている。

 無理だろうとわかっていても彼はとりあえず学校へと向かうことにした。


「柏木君」

「うわぁあああ!出たああぁあ!」

「驚きすぎよ」

 駅前を通り過ぎたところで今から会いに行こうとしていた人物が現れた。


「せ…先生何やってんだこんな…ん?」

 スーツ姿の真夏の両手には重そうな買い物袋、一切表情を変えてはいないが少し腕がプルプルしていた。


「誕生日だから」

「あ…そっか」

 家族と誕生日会でもするのだろうか。

 それにしても主役が買い物って本当に彼女らしい。


「手伝うよ、重そうだし家まで持ってく」

「何を言ってるの?」

「ん?」

 彼が買い物袋を受け取ろうとすると首を横に振り出す真夏。


「柏木君の家よ」

「…あ?」

「祝ったことないからやり方がわからないけど」

「…」


  『祝ってほしかったな』


 だから彼女はこんな時間まで買い物をしていたのだ。

 何をどうしたらいいかわからない真夏はとりあえずいろいろ買い込んで彼の家へと向かおうとしていた。

 自分のことは置いといて正人を祝おうとした。


 もう涙は出ないと思っていた。

 だが気を緩ませたらすぐにでも流れ落ちそうだった。



「片方、持つよ」

「でも」

「それと…」

 正人は先ほど買った物を彼女に差し出した。


「先生、誕生日おめでとう」

「…」

 表情を変えないはずの真夏の眼が大きく開いた。


「知っていたの?」

「いや、知ったのはついさっきだ」

 嘘を付かずに正直に答える。


「…」

 真夏は買い物袋をゆっくり地面に置いて彼のプレゼントを受け取った。


「開けていいの?」

「ああ、何買ったらいいかわかんなかったから期待はするな」

「…そう」

 丁寧に包装紙を剥がしていくとそこには少し大人っぽさを感じさせる小さい鏡があった。


「先生ってあんま鏡見ねぇだろ、だからと思ってな」

「…」

 少しずつ表情を変えていけるようになれればな、とそう思って彼は選んだ。



「大事にするわ」

「いや…そんな高いもんじゃないから」

「大事にする」

「…そか」

 無表情なのでわからないが、これは喜んでくれたと思ってもいいだろう。

 恥ずかしくなった彼は買い物袋を持って背を向ける。

 どれだけ買ったんだと言いたくなるくらいに重たかった。

 あんな細い腕でこんな重いものを持って彼の家に行こうとしていたんだ。


 不器用な二人の不器用な誕生日会。


「ほら行こうぜ」

 歩き出そうとした時、真夏は彼を呼び止めた。


「柏木君」

「ん?どうし…」


 見間違いなんかじゃない。

 暗くても街灯の明かりがちゃんと照らしている。


「ありがとう」

 嘘偽りのない真夏の二度目の笑顔。


「ああ、こちらこそ」


 17歳になった彼と31歳を迎えた彼女。


 幸せは後になってから気づくもの。

 だから彼は胸を張って言える。


 この先何があろうとも、

 何年、何十年経ってもきっとこの瞬間はかけがえのないものだった、と。

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