第26話 温もり
商店街の中にある古びた小さな店、安田自転車。
定年をとっくに過ぎた店長は身体のことを考えて若い人材を探していた。
街中にある大きなチェーン店とは違い、販売よりも客が使用している自転車の修理に力を入れている。
仕事初日は破棄された自転車の修理、汚れることは覚悟していたがここまで服が真っ黒になるとは思っていなかった。
「お疲れ様でした」
「あいよ~気を付けてなっ」
しゃがみ込んで作業することが多いため、一日目ですでに腰が悲鳴をあげていた。
「クソ疲れた…」
しかしまだ頭を使う仕事じゃなくてよかった。
正人は腰に手を当てながらゆっくり自宅へと向かう。
「柏木?うわっ黒!」
「…犬塚か」
道中、生徒会で残っていた冬子と遭遇する。
小走りで正人のもとへ駆け寄り制服のポケットからハンカチを取り出して彼の顔を拭く。
「いいって、汚れるぞ」
「黙ってなさい」
まるで幼い子供の口元を拭いているような光景。
「ていうかどうしたのよ、これ…」
「今日から仕事でな…」
「えっ見つかったの?」
「ああ、商店街の自転車屋」
いずれは知られるだろうと彼は冬子に伝えておく。
「え、それって安田さんのところの?」
「知ってんのか」
「知ってるも何も幼い頃からお世話になってるから」
彼女の両親と安田夫婦は昔から仲がよく、現在も自転車のこととなるといつも安田自転車店を利用しているそうだ。
彼女に採用してもらった経緯を説明すると、
「あ~、前にお母さんから聞いたことある」
商店街に迷惑な連中が現れるというのはこの辺では有名な話だった。
それをたまたま出くわした正人が追い払った(力ずく)のだ。
「安田さんの所で働いてるのはもう誰かに言ったの?」
「いや、まだ誰にも言ってねぇ」
もしかしたら初日で合わないと判断して辞めてしまう可能性があったからだ。
「…猫宮先生にも?」
「ああ、言ってないな」
「…そっか!」
自分が一番と知り嬉しそうな顔をする冬子。
普通に会話をしていてもやはり少し複雑に感じる。
冬子は制服で彼は作業着。
同級生で少し前まで同じ学校に行っていたはずなのに今はもう違う世界にいる。
「そうだ、就職祝いで何かしようよ!」
「お前そういうキャラだったか…?」
「ちょ…どんな風に思ってたのよ…」
泣く子も黙る黒板消しの狂犬。
「いや、また今度でいいよ、疲れてるし」
「そ、そっか…まだ始めたばっかだもんね」
できることならすぐに家に帰って横になりたい。
「じゃあな」
「あ…待ってっ」
「ん?」
「が、頑張ってね」
「ああ、サンキュー」
頑張ってという言葉が少し重く感じた。
いつまで続くかわからないと軽く考えていたからだ。
違う―――。
本当は頑張りたいんだ。
だけどそれが全てダメになってしまった時の辛さを彼は知っている。
何かを得ようとするのが怖いんだ。
「お兄ちゃんありがとう!」
「おう、またな」
翌日。
彼の主な仕事はパンク修理、といってもこの店の大半がそれを占めている。
直し方は簡単で、よほどのものじゃない限りは彼一人で修理できるようになっていた。
昼間は主婦が多い、学校が終わった頃に学生がこの店へとやってくる。
力は使うが、ノルマや納期などがないため比較的楽な仕事なのではないだろうか。
「…手が真っ黒だな」
机の上に置いてある雑巾で手を拭く。
客がいない時は休んでていいと言われているが金をもらっている分怠けるのも申し訳ない。
冬が近いせいか日が沈むのが早い。
中の空気を入れ替えようと入り口へと向かう。
この店の扉はガラスの引き戸、古びているせいか開け閉めする度に嫌な音がする。
扉に手をかけて開けようとした時、彼は視線を感じた。
「ひぃっ!」
ガラスの向こう側から正人を真顔でじっと見つめている幽霊のような女性がいた。
「…何してんだ先生」
「こんにちは」
その正体は仕事帰りの猫宮真夏。
「ホラー映画よりもビビッたぞ」
「ごめんなさ…ひどいわ」
ちょっとやそっとでは驚かない彼でも今のは本気で腰を抜かしかけた。
「邪魔しては悪いと思って」
「…大丈夫だ、にしても何でここに?」
「犬塚さんよ」
確かに昨日、冬子にここのことを教えたが何故彼女が真夏に言ったのか。
「私が先に教えてもらいました、って言われたわ」
「…」
「何故かモヤっとしたわ」
「俺も今イラっとした」
真夏ではなく、彼が先に教えたのは冬子だ。
そこに特別な意味はないが、冬子は真夏より一歩先をいっていると思い込んでいた。
「んで、たまたまそこで犬塚に会っただけだ」
「そう」
彼女が勘違いをするとは思わないが、とりあえずちゃんと説明しておく。
「見つかって良かったわ」
「いつまで続くかわからんけどな」
「そうね、でも大きな一歩だと思うわ」
「…」
大事なのは挑戦すること、真夏はそう言いたいのだろう。
「正人君、そろそろ店閉め…おやっ彼女さんかいっ?」
奥から現れた店長は嬉しそうに真夏の顔を見ていた。
「…にしては大人びてるねぇ」
「いや店長…この人は…」
「初めまして、私は彼の担…」
言いかけて止まる真夏、間違いなく今担任と言おうとしていた。
「…」
「正人君、この人止まったけど…」
「もう少ししたら口を開くので大丈夫ッス」
機械のように直立し、真っ直ぐ前を向いている真夏。
少し時間を置いた後、
「彼の元担任です」
「そ、そうなんだ」
「変ですけど、悪い女ではないッスよ、変ですけどね」
「ひどいわ」
大事なことなので二回言っておいた。
おかしな光景だった。
新しい職場、出会ったばかりの店長、そして担任だった真夏。
店長はすぐに真夏を受け入れてくれた。
少しの時間、すごく温かい感じがしていた。
仕事は自分に合うか合わないかで決めるものだと思っていた。
いや、決してそれも間違ってはいないだろう。
―――学校でもそうだったじゃないか。
つまらないつまらない、と言っていたのは彼が今まで何もしてこなかっただけ。
ちゃんと周りを見ればいろんなものがあり、それを見つけた時初めて学校が楽しいと感じた。
きっと仕事も同じなのかもしれない―――。
「んじゃ店長お疲れッス」
「失礼します」
「あいよっ、二人とも気をつけてな!」
パッと見はとてつもない美女、彼の横を歩く真夏は注目を浴びている。
少しずつ無表情でも何を考えているのかわかるようになってきていた。
「腹減ったな」
「そうね」
学校を中退し、同じクラスだった連中とはもう関わり合いはないかもしれない。
だけどきっと彼女とはこれからも繋がっていける気がする。
「いいコロッケ屋あるんだが、行くか?」
「行くわ」
―――だから俺はこの街から絶対に離れない。
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