第25話 社会人

 今日もダメだった、と学校を中退してから何度口にしただろうか。

 職が見つからない日々、学生という身分がどれだけ楽だったかよくわかる。


 朝から何も食べていなかった正人は近所の商店街でいい匂いのする店の前で足を止める。


「コロッケ一つ」

「あいよっ」

 昼飯にコロッケ一つ、惨めではあるがこれもしかたのないこと。


「おいオッサンコロッケ3つ!」

「うおっと…」

 突然横入りしてくる男性達、押される形となった正人はよろめきながら横にズレる。

 少し大人びた顔付き、明るく染めた髪、昼休み中の大学生だろうか。


「急いでくれ」

「ちょっと待ってね、先にこちらのお客さんから…」

「それから2つオマケしてくれ」

「そ…それはちょっと…」

 3つ買うから2つオマケしてくれ、なんてどうやったらこんなわがままな性格に育つのか。

 大学生達は一斉に正人に視線を向ける。

 柏木正人はこの辺では有名人だがスーツ姿に髪型もきっちりしているため本人だとはバレていない様子。


「おい、いいよな?」

 脅迫に近い言い方で正人を睨みつける、コロッケ屋の店主も焦っていた。


「いいわけないだろ、バカなのか?」

「ああ!?」

「あ、悪い、俺本音がすぐ口に出るタイプの人間なんだ」

「おい、ちょっと来いコラ」

 3人がかりで彼は誰もいない路地裏へと連れていかれる。






「えっと、おっちゃんいくら?」

「え…あ、君大丈夫だったのかい?」

「何が?」

 連れていかれて2,3分で戻ってきた正人、驚いた店主は焦りながら彼の心配をする。


「何がって、さっき君…彼らに…」

「…あ~」

 ああいう生き方をしている者達と話し合いで解決できるわけがない。


「すまん、もうアイツらここには来ないかもしらん」

「…え」

 そもそも彼自身もそういう生き方をしてきていない。


「ふ…わははは!最高だ坊主!」

「…坊主て」

「いやぁ毎日毎日困ってたんだよ!」


 彼らは無茶なことを言ってはイチャモンを付け、最悪な時はタダにしろと言う時もあったらしい。

 商店街の人らで集まって何とか追い払えないかと話し合いをしている最中だったそうだ。

 見渡せばそこら中の店から人が出てきて彼に拍手している。


「サービスだ!持ってってくれ!」

「いや、金払うし…ってどんなけ入れてんだよ!」

 袋の中にはコロッケが10個ほど入っていた。


「今日だけは受け取ってくれ、スカっとしたぜ!」

「…ああ、んじゃお言葉に甘えて」

 本日の晩御飯もコロッケで決まりだった。






 近所のたまたま通っただけの商店街にこんなおいしいコロッケ屋があるとは知らなかった。

 彼はいつものあまり人の来ない公園で一人昼食をとっていた。


「柏木君」

「ん?せんせ…あれ」

 突然彼に声をかけた一人の女性。


「何してるの」

「…アンタ、妹の方か」

「あ、バレた?」

 猫宮美春、彼が通っていた高校の担任の妹。

 美人でスタイルもいい猫宮姉妹は驚くほどソックリだが中身は全然違っている。

 まともに人とコミュニケーションが取れない感情バカな姉に比べ妹は人当たりがよく表情も豊かだ。


「アンタの姉は眼が死んでるからな」

「判断の仕方がすごいわね…」

 それに真夏は妹のようにオシャレなんかしない、常にスーツだ。



「商店街のヒーローだったね」

「見てたのかよ…、まぁいい何個か食ってくれ」

「わぁっいいの?ありがとう!」

 昼休憩で会社を出てきた彼女は嬉しそうにコロッケを食べ始める。


「OLってもっと集団で昼飯食うもんだと思ってた」

「ん~そうかもね、私はよく男に誘われる~」

「イラっとする発言だなおい」

 もし真夏も人とコミュニケーションが取れるようになったら彼女のようにモテたりするのだろうか。


「まぁ大した男いないから全部断ってるけど」

「めんどくせぇ女…」

「ちゃんと中身を見てくれる人、いないかなぁ」

「こっち見んな」

 猫宮家の完成品ではなく欠陥品の姉に好意を寄せている正人に彼女は嫌味な視線を送る。




「ところで正人君は何してるの?」

「求職中だ」

「見つかりそう?」

「ことごとく落ちてる」

 それはもう笑えるくらいに。


「なるほど…」

 口元に手を当てて何かを考え出す美春。


「さっきの商店街で探してみたら?」

「は?」

「きっと見つかると思うよ」

「んなわけねぇだろ…」

 根拠はわからないが、美春は何やら自信ありげな表情をしていた。

 後がない彼はとりあえず候補の一つとして頭に入れておくことにした。




「ところで少年」

「なんだ」

「お姉ちゃんとはどこまでいったのかな?」

「姉に直接聞けよ」

 よほど退屈な毎日を送っているのか、美春の目はまるで恋バナに花を咲かせている女子高生みたいだった。


「だって聞いたところで……こほんっ」

「…?」

「別に、わからないわ、どういう意味?って言うだけだもん」

「似てるから真似するな」

 確かに感情バカの真夏に恋がどうとか質問しても答えられるはずがない。



「もしさ」

「今度はなんだ」

「もし…」

 いつもお気楽な感じの美春にしては珍しい表情だった。


「先に出会ってたのが私だったらいろいろと変わってたかな?」

「…」


―――ちゃんと中身を見て好きになってくれたのかな。



「変わらないんじゃね?」

「…え?」

「そもそも先に出会うことは絶対にない」

 迷いもなく、はっきりと彼は言った。


「アンタ普通だからな」

 明るくて人当たりの良い彼女とはすれ違うことすらなかっただろう。

 欠点だらけだからこそ正人と真夏は出会い、そして接することができたのだ。


「ぷ…あははは!やっぱいいね君はっ!」

「…」

 ここまではっきり言われるとは思ってなかった美春は膝を叩いて大笑いする。


「はは…あ~お腹痛い、君といるとストレス飛ぶよ」

「そら何よりだ」

「よしっ、それじゃそろそろ会社戻るねっ」

「ああ」

 手を合わせてご馳走様の合図を彼に送る。

 あの真っ暗な姉に比べ、彼女は太陽のように明るい。

 賑やかなタイプは苦手な正人だが、美春だけはどうしてか嫌いになれなかった。





―――普通か。

 姉よりも優れていて、姉よりも人気があり、姉よりも期待されてきた。

 そんな美春を彼は普通だと言った。


 それがとても新鮮で嬉しく感じてしまった。

 やはり柏木正人の人を見る目は確かだ。






 その日の夕方、正人は自宅で求人一覧と睨めっこをしていた。

 正直もうどこも受かる自信がない。

 しかし、その一覧の一番下に書いてあるものを見て驚いてしまった。

 商店街の中のとある店が募集を出している。

 美春の言葉を思い出し、急いで彼はそこに電話をかけた。



 翌日、面接に来た彼はその店に入った途端何故か店長に驚かれた。

 嬉しそうに正人の背中を叩く結構歳のいった男性。

 履歴書すら見せてもいないのに即決、不思議に思った正人は店長に質問する。


 商店街を救った少年、店長は昨日の出来事を見ていたのだ。


  『商店街で探してみたら?』

 そこでやっと美春の言っていた言葉の意味が理解できた。

 彼の行いをきっと皆見てくれていたはず、と彼女はそう考えて口にしたのだ。



 【安田自転車】

 いつ潰れてもおかしくない店構えで給料もかなり安い、だけど彼はやっと職に就くことができた。


 やっと彼は社会人デビューを果たせたのであった。

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