第27話 母と子
12月に入り、街の風景はクリスマス一色に染まっていた。
安上がりではあるが、彼の職場がある商店街もそれなりに力を入れている。
「正人君はクリスマスどうするんだい?」
「え、普通に仕事じゃないんスか?」
「若い子が何言ってんのさ!」
のさ、と言われても困る。
クリスマスのイベントなんて小学校の頃にした記憶しかない。
「若い頃は女の子に囲まれてキャーキャー言われたもんだ」
急に遠い目をしだす店長。
「店長」
「ん?」
「後ろで奥さんが険しい顔してるッスよ」
「んなっ!」
柏木正人には好きな人がいるがその相手はもしかすると彼以上にクリスマスというワードが似合わない人物かもしれない。
恋をする彼も、恋を抱いている相手もそのイベントで心に残る大きな思い出なんて持っていない。
「さみ…」
夕方、もう客は来ないだろうと判断した店長は早めに切り上げさせてくれた。
本格的な冬、もっと厚着をしてこればよかったと後悔する。
思い出の公園―――。
手入れをする者がいなくなり、遊具は錆び、辺りは雑草だらけ。
真夏が猫に噛まれていた場所。
素通りしようとした時、彼の目に一人の少女が映った。
何度も自転車にまたがり、何度も転び、半泣きになりながらも乗れるように頑張っていた。
いつもなら無視して通り過ぎるのだが、正人が少女のもとに歩み寄ったのには理由があった。
「よう」
「ひっ!だ…だれ?」
「お前昨日来た子だよな」
「あ!自転車屋さん!」
少女は昨日親と一緒に安田自転車に修理に来ていた。
その時は新しい自転車のはずなのにどうしてこんな壊れ方をしたのかと不思議に思ったが今理解できた。
「そうか、チャリ乗れないんだな」
倒れた自転車を起こして彼が問うと、少女は俯いて泣きそうな表情になっていた。
「自転車乗れないの愛だけなんだ」
自分の事を名前で呼ぶ少女は小学校の高学年になってもまだ乗れないことに悩んでいた。
別に周りに合わせる必要はない、という彼の本音は言うべきではないだろう。
「しょうがねぇな…」
「え…?」
「ちょっと乗ってみろ」
「あ…うん…」
どこが悪いか見てみることにした正人。
少女は再びまたがり、ペダルに片足を乗せて恐る恐る回す。
動き出そうとした時重心が傾いてしまい、彼は急いで自転車と少女を支えた。
「そらそんなゆっくりじゃ倒れるわ」
「そうなの?」
「ある程度スピードが出てないとバランス取れない」
「…怖いなぁ」
今度は彼が後ろで支えながら挑戦する。
少し手伝ってみて気がついたこと、おそらく少女は運動が苦手で臆病だ。
それでも乗れるようになりたいのはきっと友達が絡んでいるからだろう。
「お前ポンコツだな」
「わっ、はっきり言われた!」
少女はがっかりするよりもはっきりと言われて驚いていた。
「だからすごいんだろうな」
「え?」
「俺だったら5分持たねぇ」
彼は昔から運動神経が良く、スポーツやこういったことはやり出したら簡単に上達できた。
だからこそ、できないことや苦手なものに手を出すとすぐに諦めてしまう。
「…わたしもう少し頑張る」
「おしっ」
―――でも一度だけ、諦めずに頑張ろうとしたことがあったな。
それから30分。
まだ乗れてはいないが、彼が支えている状態だと安定して前に進めるようにはなっていた。
少しずつ上達しているのが嬉しいのか、少女は先ほどよりも表情が明るくなっている。
「何やってんだ…お前は」
「ぬおっ!?」
突如現れたのは近場のスーパーの名前が書かれた袋を持つ柏木豹華だった。
「何だババアか…」
「こんなクソ美人なババアがいてたま…」
豹華は一息入れている少女に気がついて言葉を失った。
「…お前」
小学生の少女と一緒にいる息子、これは間違いなくやばい勘違いをしているのではないだろうか。
「どこで拾った!」
「ツッコミをもう一回やり直せババア」
思っていたのとは違う発言だった。
「てか三島さんとこの嬢ちゃんじゃないか」
「何だ知ってんのか」
「世間は狭いんだよ」
そういえば冬子も安田自転車を知っていた、あの商店街を利用している人が多いということだろうか。
「こんにちはっお姉様!」
「…」
「息子よ、その冷たい目をやめろ」
幼い少女になんて呼ばせ方をしているのだ、と口ではなく目で訴えた。
彼の母親は昔から人との交流がうまい、というより信頼されていると言った方が正しいかもしれない。
悪ガキ共を更正させたり、人手が足りていない時はタダで店の手伝いをしてあげたりしていた。
大人にも子供達にも人気のある金髪の母親。
「親子だったんだっ!」
「そうそう、喉を痛めて産んだ子だ」
「一体俺はどこから出てきた」
「眼がソックリだね!」
「…」
「…」
昔から二人とも目つきが悪いと言われ続けてきたせいか、言い返すことができなかった。
「嬢ちゃんチャリに乗れないのか…」
「でもちょっとずつ乗れるようになってきてるよ!ねっ?」
「なってねぇだろ」
「はっきり言われたっ!」
ベンチに買い物袋を置いた豹華は昔を思い出すかのような表情を浮かべていた。
「懐かしいな、正人も幼い頃…」
「…」
「あれ…そういやお前気が付けば乗ってたな」
「ああ、一度も転んでないし誰からも教わってねぇ」
これが運動神経の差である。
「いいか嬢ちゃんよく聞け」
「はいお姉様!」
豹華は少女の自転車のサドルを叩きながらアドバイスをする姿勢を取る。
「愛しさとせつなさと」
「…ん?」
「やるせなさがあれば大丈夫だ!」
「心強さどこいった」
そこからまた30分が過ぎたところで少女の母親が迎えに来た。
すぐ近所なのかその女性はエプロン姿のままだった。
「ありがとうお兄ちゃん、お姉様!」
今度会ったら呼び方を変えるように言っておこう。
「ああ、またいつでも店に来い」
「あとは一人で頑張れば大丈夫だ」
「うんっ!」
彼は仕事の後に仕事をした気分だったが悪い気はしなかった。
豹華も嬉しそうに少女の後姿を見送った。
「んでバカ息子、仕事はどうよ」
「ぼちぼちだな」
豹華には職を見つけたことは報告したが、その後どうしているかまでは伝えていなかった。
「今度アタシの自転車見てくれ」
「どっか壊れてんのか?」
「ボタンを押しても飛ばなくなった」
「お前は一体何に乗ってんだ…」
豹華は買い物袋が置いてあるベンチに腰掛けた。
わざと人一人分のスペースを空けてあるところを見ると座れ、ということだろうか。
「んじゃ俺は帰るわ」
「お前は空気を読まん子か、KYKか」
「…アルファベットを増やすな」
どうせ母親と話をしたところですぐに口喧嘩に発展するに決まっている。
別に嫌いなわけでは決してないのだが。
「…」
「…はぁ」
正人は頭を掻きながら大きくため息をついた。
「おいババア、腹減った」
「ん…お…あぁっ」
息子のまさかの発言に慌てて立ち上がる豹華。
「しょうがない、大人のミートボール作ってやるよっ」
「チョイスが子供!」
周りの反対を押し切って15歳で彼を産んだ豹華は全てを捨てた。
結婚することなく彼の父親は蒸発、それはもう血を吐くほど辛い日々を送ってきた。
そして子は不良になり、喧嘩ばかりして高校を中退。
彼女は今、一体何のために生きているのだろうか。
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