第19話 もう一つの夢

 柏木と書かれた表札、手には林間学校でのお土産、来たくなかった実家に足を運んだのにはちゃんとした理由がある。

 大学を目指すことをあの女にちゃんと言っておかなくてはいけないのだ。


「その前に」

「?」

「何でさも当然かのようにアンタがいるんだよ…」

「豹華さんにお土産よ」

「だから何で生徒の親にお土産買ってんだよ」


 林間学校から帰宅してその翌日、朝早くから実家にやってきた正人の隣には何故か担任の真夏が立っていた。


「前にお茶した時に約束したから」

「生徒の親とお茶するな」

 以前真夏は酒に負けてこの家に泊まったことがあった。

 その時から真夏と彼の母親は度々連絡を取るようになり、たまに顔を合わしたりもしている。



 考えていてもしょうがない、と彼は大きく深呼吸して扉を開け放った。


「ババアいるか!!」

「ババアはいねぇが美女ならここにいる!」

「家間違えました!」

 扉を閉める。

 何が起こったのか理解できていない真夏はキョトンとしていた。


「何してるの」

「…」

 今度は真夏が彼に変わって扉を開ける。


「豹華さんいらっしゃいますか」

「お義母さんとお呼び!」

「間違えました」

 扉を閉める。

 彼の母親は今日も破壊力抜群だった。




「ほらよお土産だ」

 3人分冷えた麦茶をテーブルに置く豹華にお土産を投げつける。


「大したもんじゃなかったらキレるぞ」

「せんべえだ」

「最高じゃねぇか」

 豹華の大した物の基準がよくわからない正人であった。




 家の前で真夏と出会ったわけだが状況によっては正人が担任を連れてきたようにも見える。


「何だバカ息子、子供でもできたのか」

「ただの教師と生徒だ、勘違いするなババア」

「そうなの?」

「アンタはこういう時いつもややこしくするよね!」

 実家にやってきて1時間も経たない内にもうすでに彼の精神はズタボロだった。



「その…なんだ…」

「はっきりしねぇな、気持ち悪い」

「…うぐ」

 少しの文章が口に出せない。


「柏木君」

「…」

 ゆっくり立ち上がった真夏は彼の隣に座り、そっと正人の背中を押した。


「ババア…俺、大学目指していいか」

「…」

 どんな言葉が返ってくるか身構えていた彼だが、豹華は表情一つ変えずに息子の顔を見つめていた。


「けけ、行けるもんなら行ってみろクソガキ」

「…ああ」

「今から必死になったところで無理かもしれんぞ」

「わかってる」

 だからこそ彼は大学に行くとは言わなかったのだ。

 努力して目指すことくらいなら誰だってできるのだから。


「そうか…なら言うことは一つだけだ」

「なんだ…?」

「コンビニでソフトクリーム買ってこい」

「…何でこのタイミングで食べたくなったんだテメェは」


 ここは大人しく言うことを聞いておいた方が吉、と彼は豹華から千円札を受け取ってめんどくさそうに家を出た。

 あれだけ伝えるのに相当な勇気がいったのに拍子抜けだった。




「バカ息子め、何か様子がおかしいと思ったらそういう事か」

「はい」

 立ち上がった豹華は腰を叩きながら台所へと向かう。

 真夏も彼の母親はもっと驚くものだと思っていた。


「ホント、行けるもんなら行ってみやがれってんだ」

 彼女は相変わらず口が悪い。



「真夏ちゃん」

「はい」

 豹華は冷蔵庫から麦茶を取り出して空になった真夏のコップに注ぐ。


「…」

「?」

 言葉の続きがないことに不思議に思った真夏は注ぎ終えた豹華の方へと視線を向ける。

 全く表情を変えないはずの真夏の眼が大きく開いた。


「ありがとうね…ほ…んとうにありがとう」

「…豹華さん」


 彼女はバカな息子の道を照らしてくれた真夏に心から感謝をした。

 ペットボトルを持ったまま豹華は下を向いて大泣きしていた。


「あのバカには…内緒にしといて」

「わかりました」


 今まで勉強をしてこなかった正人が頑張ったところで無理かもしれない。

 それでも何かを目指そうという姿勢を見せてくれたことが何よりも嬉しかった。







 それから彼は授業中に居眠りをすることはなくなった。

 黒板に書かれてあることをちゃんとノートに写し、たまに教科書を見ながら唸っていることもあった。

 これまで何も入れてこなかったカバンにはちゃんと勉強道具が入っている。

 真夏は毎日のように放課後に残っている彼に付き添っていた。




「それでは今から青海祭(せいかいさい)で何をするか決めます」

 略して青祭(あおさい)、いわゆる文化祭が10月中旬に行なわれる。

 約一ヶ月後、B組だけがまだ何をするか決まっておらず本日中に決定して生徒会に報告しなければいけない。


 沈黙が続く重い空気。

 以前にもこんなことがあった気がする。


「…先生、何かいい案はないですか」

「え」

 耐え切れずに委員長は冷血の猫に助けを求めた。


「…」

 考えているのか悩んでいるのかはっきりとしない真夏の表情。


「喫茶店」

「それいいですねっ!」

 真夏の出した案に賛成する委員長だが、正直早く決めてしまいたいのが本音だろう。

 しかしそれを聞いた正人は少し驚いていた。

 普段何も考えていない彼女が自分から案を出すなんて。


「私の実家、喫茶店だから」

 考えていたのではなく、それしか思いつかなかったのが真実だった。



 そして一人一人役割を決め、正式にB組は喫茶店をすることになった。

 正人が担当することになったのは教室内の飾り付けと必要な材料の調達。

 接客など彼にできるわけがないため裏方に回ることにした。

 準備をし始めるのは明日から少しずつ、となればしばらくは残って教室で勉強することはできない。



「明日からは家でやるしかないな」

「そうね」

 青祭の出し物が決まった放課後の教室で、彼はペンを動かしながら呟いた。


「にしても先生の実家って喫茶店だったのか」

「ええ」

 真夏は教師、妹の美春はOL、二人姉妹なためあとを継ぐものはいなさそうである。

 そもそも真夏に接客などできるはずがない。


「まー俺が行き場を無くしたら雇ってもらおうかな」

「大学」

「…わーってるよ」

 冗談でも諦めるようなことは言ってほしくない真夏。

 ただ彼は繋ぎとめたかっただけなのだ、卒業した後もこうして一緒にいられるように。



「(それにしても…)」

―――我ながらおかしな女に惚れたものだとつくづく思う。


 整った顔、スタイルもかなりいい、があまりにも欠点が多すぎる。

 笑わない、怒らない、口数が少ない、そして彼だけが知る真夏の天然さ。

 そして母親とほとんど歳が変わらない。



「どうしたの」

「いや…先生って本当に変な女だなって思ってな」

「ひどいわ」

 これだけの会話でも正人は彼女のことが好きになってしまったんだ。



「…いつか」

「?」

 彼は持っていたペンをノートの上に置いて真夏の方へ視線を向ける。


「自然に笑えるといいな」

「…」

「なんでもねぇ、忘れてく…」

「頑張るわ」


 もう一つできた彼の夢、

 いつの日か、違和感なく心から笑いかけてくれる真夏の姿を見ること。

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