第17話 涙
公開処刑を受けた気分だった。
集合場所に傷を負ってやってきた正人は注目の的となり、冷たい視線を浴びることになった。
だがそんなものは彼にとっては日常茶飯事、では何故こうして逃げるようにホテルの屋上へとやってきたのか。
『柏木君は私達を庇ってくれたの!』
渡辺達はあの後クラスメイト達に説明し回っていた。
冷たい視線から意外な視線へと変わり、そういうのに慣れていない彼はいたたまれなくなってしまったのだ。
自然の匂い、濁りのない空気、都会では見られない満天の星空。
もういっそここで寝てしまおうかと思うくらい居心地がいい。
「何やってんだ、こんなとこで」
「良樹か」
一人になりたい時の正人の行動は全て読まれていた。
昼間での事は詳しく聞かなくても良樹には何が起きていたかだいたい検討が付いていた。
彼は正人の横に並び、フェンスに肘を置く。
しばし無言が続き、良樹は大きく深呼吸をしたあと爽やかな笑顔で前方を指差した。
「正人、俺は…見つけたよ」
「…ん」
前方に見えるとても大きい木、良樹は少し低めのトーンで続けた。
「あそこが女風呂を覗けるベストスポットだ」
「今どういう流れでその話題に辿り着いた?」
正人はてっきり昼間の出来事について聞かれるものだと思っていた。
「せっかく来たのに見ないと損だろ!」
「女風呂を観光地みたいに言うな」
「そうか、お前は入浴している女子達の声で楽しみたい派なんだな」
「どんな楽しみ方だ…それは」
きっと良樹は気を使っていつもの雰囲気を出してくれているのだ。
余計なお世話だが悪い気はしない。
わざとらしく鼻で笑った良樹は軽く正人の肩を叩いた。
「正人、何があっても俺とお前は切っても切れない仲だ」
「んじゃ握りつぶすわ」
「いい事言おうとしてるからちょっと黙ってて!」
良樹は深呼吸をして仕切りなおす。
「手を貸してほしい時はいつでも言えよ」
「…」
クサいし似合わないし恥ずかしい言葉をよくもこんな簡単に言えたものだ。
だけど、ここは黙って受け取っておこう―――。
「そろそろ女子の入浴時間だから俺は行くよ」
「去り方っ」
子供がイタズラをする前に見せるような表情で良樹はその場から去っていった。
エレベーターを使い一階まで降りて売店屋に足を踏み入れる。
欲しい物は特にない、ただの時間つぶし。
適当に雑誌を手に取ってページをめくっていると後ろから彼のことをよく知る人物が声をかけてきた。
「如何わしい本読んでるんじゃないでしょうね」
風呂に向かおうとしていた冬子の片手には小さなバッグとバスタオル、彼は雑誌を元あった場所に戻して指を差す。
「エロ本ならこっちだ」
「んな…っ」
顔を真っ赤にして雑誌コーナに背を向ける冬子、どうやらこういったものは苦手なようだ。
「なんかいろいろあったみたいね」
「まぁな」
B組の女子から話は聞いているため事情は把握している。
慰めなど不必要な彼にどんな言葉を送ったらいいか冬子にはわからなかった。
「…柏木?」
「あ?」
「なんかあった?」
「は?わかってたんじゃなかったのか」
「いや…そうじゃなくて」
辛いことがあったはずなのに正人の表情は普段と変わらない、むしろ何か吹っ切れたようにも感じる。
「…猫宮先生と何かあった?」
「は…、何言ってんのお前、あるわけないだろ」
「…」
冬子は正人という人物をよく知っている。
本当に何もない時は一言で済ますが、隠し事をしている時は口数が増える。
だから彼は真夏と何かあったのだ―――。
「んなことよりも早く行かなくていいのか」
「…わかってるわよ」
モヤモヤしたまま冬子は彼に背を向ける。
「あ、おい犬塚」
「なに」
別に伝えなくてもよかったのだが、一応【例のこと】を教えておいた。
ただ彼の担任になっただけ、たったそれだけの浅い関係なのに冬子はあの女に負けている気がしてならなかった。
真夏は同級生でもなければ、若いお姉さんなんて言える歳でもない。
口数も少なくて、表情一つ変えられない彼女に劣っている、知らないところでどんどん彼との距離が縮まっているのがわかる。
「猫宮先生」
「なに」
就寝一時間前、冬子はロビーでボーっとしていた真夏を捕まえる。
「私と勝負して下さい」
「どうして」
勝負を挑まれる覚えのない真夏、だが冬子の表情は本気だった。
正人を賭けてなどではない、どちらが正人の傍にいるのに相応しいかの勝負。
「理由は話せません」
「…そう」
冬子の真剣な眼差しに圧倒され、断ることのできなかった真夏は静かに頷いた。
もちろん教師と生徒会長という身分を持つ二人が殴り合いをするわけはない。
正々堂々と卓球で勝負。
「犬塚さん」
「…なによ」
真夏はラケットを握り締め腰を落とす。
無表情でしかも眼に光が入っていないため彼女の実力がどの程度なのか予想できない。
「本当にいいの?」
「な…ナメないで下さい」
そこそこ運動神経のいい冬子だが、真夏の自信に溢れた口調に少し怯えてしまう。
―――でも、この勝負だけは負けられない。
右手に力を入れ、正人への想いを胸に抱きながら冬子は最初に攻撃を仕掛けた。
「…」
「…」
これを勝負と言っていいのかどうか本人達ですらわからない。
「猫宮先生」
「なに」
冬子は静かにラケットを置く。
「どの面下げて言ったんですか、あれは」
「柏木君にも同じこと言われたことあるわ」
冬子の圧勝、真夏はまともにサーブすらできない運動音痴だった。
右に打ったのに左で空振っていた真夏、まるでボールが二個に見えているのではないかと思ったくらい謎な動きをしていた。
勝負にすらならなかったため勝った気がしない冬子。
「あなたは…柏木のことどう思ってるんですか?」
「生徒よ」
「本当にそれだけですか?」
「何が言いたいの」
彼女が何を言っているのか全くわからない真夏。
冬子も真夏が恋愛というものを理解できているとは思っていない。
だから言い方を変えることにした。
「私と柏木が恋人同士になったらどう思いますか?」
「いいことではないの?」
「…ちゃんと考えてくださいよ」
「…」
「ちゃんと想像してくださいよ!」
ついムキになり熱くなってしまう冬子。
冬子は考え、想像をして何度も苦しい思いをしているからだ。
―――自分だけ苦しんでたまるものか。
「3年になったら猫宮先生は担任じゃなくなるかもしれない」
「…」
「でも私はこれからもずっと幼馴染だから」
そして冬子は一番強力な言葉を彼女に放った。
「猫宮先生と柏木は、いずれ他人になる関係です」
あともう少しで生徒達の就寝時間がやってくる。
教師は見回りをしないといけないため、真夏はロビー前のソファに腰掛けて待機していた。
冬子はすでに部屋に戻っている。
彼女がいなくなったあと、何故あんなにもムキになっていたのかずっと考えていた。
だが結局辿り着いた答えは【わからない】だ。
時間がやってきて真夏はゆっくりと立ち上がる。
正面はガラスになっていてそこには薄っすらと真夏の姿が映り出されていた。
まるで機械のような立ち方、明らかに周りと違う目、感情のない表情。
こんなんだから冬子は怒ったのだろうかとまた解けない謎に直面する。
考えたところで無駄なことは彼女自身が理解している。
『ちゃんと想像してくださいよ!!』
柏木正人と犬塚冬子が交際していることを想像すればいいのだろうか。
それでもやはり―――。
―――いずれは他人になる関係。
「あ…っ」
目の前に映るものが少し変化したように感じた。
「猫宮先生、そろそろ時間…ど、どうしました!?」
「え…何がですか」
若い女教師が真夏の表情を見て驚いていた。
「大丈夫ですか!?こ、これハンカチですっ」
「ハンカチ?」
「だって…」
―――ああそうか、こういうことなのね。
「猫宮先生…涙が…」
翌朝。
青海高校の生徒が泊まっているホテルのすぐ近くにある大きな木の下で大の字で倒れこんでいる合田良樹の姿が発見された。
気絶していた彼のすぐ横には何故か黒板消しが転がっていたそうな―――。
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