第16話 描かれ始めた彼の未来
とても居心地が悪く、吐き気までする。
刺さる周囲の視線、この場所は彼にとって苦痛であり、地獄でもある。
「これ可愛い!」
「こっちも!」
「あ~っそっちもいい!」
「…」
観光地巡りという名のファンシーグッズ巡り。
一旦バスを降りて各班ごとに別れ自由行動、正人は女子達の破壊力に圧倒されていた。
観光地巡りとは歴史ある場所に行くのではないのか、とツッコんでやりたいがこの状況では口が裂けても言えない。
「柏木君ごめんね~」
「ああ…気にするな」
少しは気にしてほしい気持ちをグッと堪える。
この土地では彼の名前が知れ渡っていないことが唯一の救いだった。
買い物に付き合うことなく店の前で待機していた彼に同じ班の須藤が気を利かせて冷えた缶コーヒーを差し出した。
「ん、いいのか?」
「…いいも何も待たせてばっかだし」
「んじゃ遠慮なく」
渡辺と山下はまだ中で何を買うかで悩んでいる。
「仲いいよな」
「うん!大学も同じとこ目指してるんだっ」
きっと彼女達はこれからもずっと一緒にいるだろう。
大人になり、結婚して子供ができても失われることのない絆。
「柏木君は卒業したらどうするの?」
「わからん、お先真っ暗だ」
「あはは、何それっ」
これは冗談のようで冗談ではなく、見えないわからないとしか言いようがない。
どうして人はそんな先の事を決められるのだろうか。
友達がいるから?相談できる相手がいるから?目指すものがあるから?
だとすればそれらがない彼の人生は致命的だ。
そう―――本当に真っ暗で、真っ黒なんだ。
やはり彼のいる場所は問題が付き物。
女子から少し距離を置いて歩いていると彼女達は他校の複数の男子生徒に声をかけられていた。
必死で断る渡辺達だがそんな簡単に引き下がるのならナンパなんてしてこないだろう。
「悪いな、集合時間が近いんだ」
「あ?誰お前」
止めに入った正人は当然囲まれてしまう、が彼からすれば自分を知らない若者がいることに少し感動してしまっていた。
「何、男一人でハーレム気取りデスカ」
「そう見えたんならそうなんだろうな」
「あぁ!?」
彼よりもはるかに大きい男が胸倉を掴んで睨みつけてくる。
この状況に慣れてしまっている正人は一度大きなため息を付いて拳を握り締めた。
「か…柏木君…」
「…」
後方にいる渡辺が怯えながら彼の名前を呟いた。
そうだ、忘れていた―――。
「…」
「ああ!?」
「悪い…、本当に時間がないんだ」
正人は生まれて初めて頭を下げた。
「さっき調子こいてたよなお前っ!」
「…見逃してくれ」
「っざけんな!」
鉄の味がする。
真正面からまともにパンチをもらったのはいつぶりだろうか。
悔しくて叫んでしまいそうだ―――。
むかついて暴れてしまいそうだ―――。
「(こんな奴ら10秒もかからな…)」
『良かったわね』
以前真夏が言っていた言葉が飛び出しそうになった彼を止めた。
孤立していた柏木正人を理解してくれる人が増えたことに彼女は喜んでくれた。
『たぶん嬉しかったんだと思うの』
感情を全く表に出せない彼女が初めて笑ってくれた。
「…頼む、勘弁…してくれ」
あれだけは絶対に裏切ってはいけない。
「無理、お前ボコ決定な」
「…」
女子達が必死に助けを求めているが標的にされることを恐れて誰も助けに入らない。
2発、3発と殴られている内に不思議と悔しさはどこかに飛んでいってしまっていた。
「楽しそうだな」
「あ?誰だお前」
殴られて膝を付く正人の前にしゃがみ込む一人の男子生徒。
彼が一番よく知っている大男。
「また派手にやられてるなぁ」
「…良樹」
今年1珍しいものを見たような表情で正人の顔を覗き込む良樹。
「合田君…っ、助けて」
「…」
青海高校のもう一人の問題児、合田良樹を当然彼女達は知っている。
「けけ、正人がボコられた姿、これは貴重だな」
「ああ…お前の顔くらいひどいだろ…」
「え、俺ってボコられたような顔してたのっ」
良樹の登場で不覚にも安心してしまった。
「そこの女子達、正人をどっか連れてってくれ」
「え…でも…」
「あとはまかせろぃ」
「は…はいっ!」
女子3人がかりで正人を立ち上がらせてその場から離れていく。
「その制服、お前さっきの雑魚と同じ学校か」
「見た目からして調子乗ってんなお前」
「…」
手を振りながら彼らが見えなくなるまで笑顔を保つ良樹。
そして―――。
「よくも相棒をやってくれたなクソボケ共が」
良樹がここまでキレたのは久しぶりだった。
「お前らの次の観光地は病院だ、覚悟しろ」
その後、他校の生徒達がどうなったかは誰も知らない。
「大丈夫?」
「…ああ」
女子達の連絡でかけつけたのは担任の真夏だった。
渡辺は事情を説明し、彼は全く悪くないと主張していた。
小さなベンチに横たわる正人、顔には濡れたタオルが乗せられていた。
女子3人は心配そうにしていたが、大丈夫なことを伝えて観光を続けさせた。
「痛い?」
「クソいてぇ」
「そう」
真夏は彼が寝ている横で少しはみ出して腰を下ろしていた。
「そこは膝枕だろ」
「そうなの?」
「…冗談だ」
頭のすぐ上には真夏の膝があった。
決してその場から離れようとしない彼女、慰め方を知らない真夏ができる唯一の行動。
「どうして我慢したの」
「…」
短気で喧嘩っ早い不良として有名な正人、なのに彼は一度も手を出さなかった。
あんな軽い口約束だけでここまで我慢できるような生徒ではないことを彼女はよく知っている。
「もし…」
「…」
「もし暴れて約束破ったら…先生は悲しむか?」
「…そうね」
前を見ていた真夏はゆっくりと彼の方へと視線を向ける。
「悲しんだ、と思うわ」
「…そっか」
ならこれでよかった、と彼は安堵した。
「でもね」
「ん?」
真夏はそっと彼の顔の上に乗っているタオルを外した。
「今も少し悲しんでると思う」
切れた唇、青くなった目元、真夏は正人の顔を見ながら呟いた。
「なんだそりゃ、いいからタオル乗せてくれ」
「ごめんなさい」
「…」
顔に乗せられた濡れたタオル、目元だけが少しずつ温かくなっていくのがわかる。
「ホントこんなんばっかだ…」
「そう」
「お先真っ暗だ」
「違うわ」
「…え」
真夏は彼が今までずっと思いこんできた言葉を簡単に否定した。
「真っ白よ」
「は…?」
「今はまだ何もないだけよ」
何も決まっていない、何も決めようとしていないだけ。
「じゃあ…」
「うん」
深呼吸をし、今度は自分でタオルを取り彼女の眼を見つめる。
「…俺が大学行きたいっつったらどうする?」
「手伝うわ」
「無駄ってわかっててもか?」
「見捨てないって言ったわ」
もう涙は隠せない。
こんなろくでなしでもちゃんと支えてくれている人がいる、それに感動して涙が止まらなくなった。
これまでどれだけ冷たい眼で見られてきたか。
だから、信用してくれるこの人だけは裏切りたくない。
「なら…目指して、みようかな」
「ええ」
決して真っ白なんかじゃなかった。
猫宮真夏と出会ったあの日からちゃんと描かれ始めていた。
別によくばったことは言わない。
【普通】を目指してみよう―――。
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