第12話 彼の近くで

 変わり始めたというより、周りとは少し違っていることに彼自身が気づいたのは中学に入ってからだった。




 柏木正人は正義のためにやったことだと思っていた。

 中学入学初日にはもうすでにイジメの対象となる生徒が決められていて、彼はただそれが許せなかっただけ。

 体育館で起こった乱闘騒ぎ、中学入学と共にぼっちが確定した日。


 その日以来危険人物として彼は見られるようになり、助けた生徒ですら周りと同じ目をしていた。

 助けてよかったのか、それとも見捨てた方がよかったのか。


 どちらにしてもそうなった時にはもうどうでもよくなっていた。




「柏木ってお前か?」

「誰?」

「合田、合田良樹だ覚えとけ」


 そんな時に出会ったのが良樹。

 高校生よりも強い小学生がいるという噂は正人の耳にも入ってきていた。

 だが彼らの中学校で先に有名になったのは正人で、良樹にはそれが許せなかった。


「お前、入学の時に乱闘起こした奴だろ?」

「まぁ…そうだけど」


 誰よりも強くなりたいなんて一度も思ったことのない正人と常に一番でありたい良樹がぶつかった瞬間だった。




「なんだそれ、拍子抜けだな」

「…」

 正人の真正面に見えているのは真っ暗な曇り空、一撃で空を見上げる状態にされていた。

 良樹と違って武道家の血を引いているわけでもなければ場数も踏んでいない、これは当然の結果と言える。


「…合田って言ったよな?」

「さんを付けろよ敗北者」

 彼は何が楽しくて喧嘩をしているのか。


「友達いないだろ…」

「あ?必要ねぇよ」

「必要…ないか」

 だからこそ周りから冷たい目で見られても何とも思わない、正人が初めて彼から学んだことだった。



「じゃあな、俺はこの後予定が…んぐっ」

 次に空を見上げていたのは良樹の方だった。


「柏木っお前コラ!いい度胸して…」

 視界が回り、吐き気に襲われる良樹は自分の足が震えて立ち上がれないことに驚いた。

 不意打ちとはいえたった一発でこんな症状が起きたのは初めてだった。


「めんどくさ」

 良樹を殴った手を見つめている正人の冷めた目、諦めではなく全てがどうでもよくなったような表情。


 目の前で何もかも捨てた男の姿を初めて見た良樹。


「柏木…お前一体何があった」

―――何がお前をここまでさせた。


「いろんな事があって、いろんなものを持ってた気がする」

 子供らしい遊びをして、楽しみ方も知っていて、友達も結構いて。



「全部、可燃ごみだった」

 もうそれが何だったのか誰だったのか覚えていない、燃やしてしまったんだから。



 服に付いた汚れを叩きながら良樹は立ち上がる、少し気持ち悪いが問題はない。


「なぁ柏木」

「なんだ」

「これ見てくれよ」

 良樹が取り出したもの、果たし状と書かれた今時珍しい品を彼の方へ投げつける。


「今からこれを送りつけてきたチームとやりあうことになってんだ」

「くだらないな」

 もうすでに正人との勝負の勝敗などどうでもよくなっていた。


「一緒に行こうぜ、柏木」

「冗談は顔だけにしろ」

「結構毎日ちゃんと整えてますがっ」



 彼らがコンビとして有名になったのはその夜の出来事からだった。





「柏木」

「…ん…あ~」

「柏木ってば!」

「あぁ…?」

 ボヤけた視界、彼は頭を振り固まった腰を押さえながら身体を起こした。

 見慣れた教室、昔の夢を見ていた気がするが何だったかはっきりと思い出せない。


「補習中に寝るなんてアンタらしいわね」

「犬塚か…お前夏休みなのに何でいるんだよ」

「生徒会は夏休みも忙しいのよ」

 今教室にいるのは正人と冬子のみ、いたはずの真夏の姿はどこにも見当たらない。


「猫宮先生なら用事があるって帰ったわ」

 真夏は寝てしまった正人を起こすことができず、どうしようかと考えていたところに冬子がやってきた。

 補習の監視役が居眠りをほったらかして帰るのはどうなんだろうか。


「俺どれだけ寝てたんだ…」

「私が来て1時間くらいかな?」

「いや起こせよ」

 鈍感な彼に乙女心などわかるはずがなかった。



「こ…こうして一つの机に向かい合ってると小学生の頃を思い出すね」

 顔を赤くしながら勇気を振り絞って出した冬子の言葉。


「全く思い出さないんだが」

 真顔で答える鈍感男、もうここまでくると病気のレベル。


 こういう男だと冬子も理解しているためそれほど腹は立てた様子はない。


「はぁ…柏木、そこ間違えてる」

「え、どこだ」

 再度筆記具を握り締めて問題集を覗き込む。


「そこも、ここも、ってか全部」

「全部かよ」

 彼が問題を解いている間あの担任は一体何をしていたのだろうか。



 意外なことに冬子の教え方はわかりやすく、バカで理解力の低い彼のペースに合わせてくれていた。

 付き合わせていることに多少は申し訳ない気持ちがある正人と、今この時間がとても幸せに感じている冬子。



「…ねぇ柏木」

「あ?また違ってたか?」

「中学の時さ、何で言い訳しなかったの?」

 動かしていた正人の手が止まる。


「誰かを庇ったんでしょ?」

 それは彼が周りから距離を置かれ始めた頃の話だった。

 誰を庇ったのかはわからない、きっかけもわからない、しかし彼の事をずっと見てきた冬子だからこそ言える台詞だった。


「…」

「ちゃんと説明してたらあんな事には…」

「説明してたら変わったか?」

「…え?」

 もうあの時点で彼はろくでなしの不良とレッテルを貼られていた。

 そんな男が必死に弁解しようとしても大人達が信じるわけがない。


「何を言っても信じてもらえない奴ってのはいるんだよ」


 そんなことない、私は信じたよと言いたくても冬子にはその言葉は出す資格はなかった。

 その頃には彼とは距離が開いていて、声もかけれなかったのだから。

 彼女は一番大事な時に傍にいてやれなかったんだ。



「これからは…」

「ん?」

「これからはちゃんと言ってよね」

「…あぁ、気が向いたらな」

 きっと彼は誰にも相談しない、だからこそ彼女は常に近くにいて一番最初に気づいてみせると誓った。

 




 夕焼け空、気持ちのいい風が教室に流れ込んでくる。

 結局冬子は最後まで彼に付き添って勉強の手伝いをしていた。


「悪かったな犬塚」

「べ…別に構わないわよ」

 冬子からすれば、いっそのこと補習は全てまかしてもらってもいいくらいである。


 教科書や問題集は机の中、筆記具はカバンに直して彼は立ち上がる。

 ポケットから伝わる振動に気がついたのはその時だった。


「…げ」

「ん、電話?」

 スマホの画面には目を背けたくなるような人物が表示されている。

 少し待ってみたが止む気配がないためしかたなく出ることにした。


『お前を産んだ者だ』

「母親と言え」

 出たくなかった理由はだいたい理解していただけるだろう。


『息子よ、今何してんだ』

「たった今補習が終わったとこだ」

『すいません、間違えました』

「…」

 通話終了、ありえなさすぎて他人だと勘違いした彼の母親。

 再度かかってきたのは言うまでもない。


『私が産んだ者か?』

「ああ、補習を終えたお前の息子だ」

『すいません、間違えま』

「それはもういい」

 終わりの見えないやりとりにツッコミを入れる正人。



「んで何だ」

『今、お前の担任がこっちに来てるんだが』

「…は?」

『補習中だと聞いて信じれなくてかけたんだわ』


―――今さらっと何を言った?


「担任って…冗談だよな?」

『ボケても全く笑わないんだが』

「マジじゃねぇか」

 何で補習中の生徒を置いて実家訪問しているのか、本当に読めない教師。


「…今すぐそっちに行く」





「悪い犬塚、先に行くわっ」

 スマホをポケットにしまって走り出そうとした時、冬子はものすごい力で彼の腕を掴んだ。


「ワタシモイクワ」

「ひぃっ!」

 あまり驚かない正人が彼女の顔を見て腰を抜かしそうになっていた。


 あの猫宮真夏が彼の実家にいる、それを知った犬塚冬子が黙ってるわけがない。


「お前関係ないだろ、だから」

「…関係ない?」

「いや顔っ!」

 高校二年の乙女とは思えない表情だった。


 こんなことをしている場合ではない、彼は冬子の手を振りほどいて彼女に忠告する。


「いいな、余計なことはするなよ」

「ワカッタワ」

「だから顔っ!」



 とりあえず正人は帰るよりも先に冬子の表情を元に戻すことを優先し、その後で実家へと向かうのであった。

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