第11話 振動

 7月も終わりが近づいてきていた。

 正人が受けることになっている夏休みの補習はそこまで過酷なものではなく、開始は8月からだった。

 青海高校生徒会は本日行なわれる花火大会で見回りをすることになり、彼女達は休み関係なく制服を着ていた。



「では何かありましたらすぐにご報告下さい、解散っ」

 生徒会を指揮しているのは会長の犬塚冬子、彼女の指示に従い一同はトランシーバーを握り締めて歩き出した。



「か、かか柏木…、一緒に見回りを…」

「会長、彼ならもういませんよ」

「…」




 賑やかな祭り風景、友人、カップル、家族、彼は幼い頃に一度だけ来たことはあるがその時よりもはるかに活気で溢れていた。

 正人は小型トランシーバーを上着のポケットにしまって見回りという名の散歩を開始した。

 緊急要因として呼ばれた彼の右腕には生徒会の腕章、取ろうかと思ったがお祭りに制服姿で歩き回るほうが恥ずかしいためしかたなく着けたままにしておく。



「(つーかウチの生徒かわからんのだが…)」

 祭りに来ている若者が青海高校の生徒かどうかもわからない、冬子はこの場に彼が来ているだけでも意味があると口にしていた。


「げ…」

「…柏木だ」

 このように名高い彼が見回りをしている、それだけで騒動は回避できると冬子は読んでいた。

 本人からすればなんとも複雑な気分である。



「あ…柏木君っ」

「誰だ」

 友達のいない彼に声をかけてきたのは浴衣姿の女子、どこかで見た気がするが思い出せない。

 同年代くらいのその少女は見たところ3人で遊びに来ているようだ。


「えっと、渡辺だよ」

「ああ…え~、すまん誰だ…」

「同じクラスの渡辺っ」

 それは聞き覚えのある名前、本人から聞いたわけではなく真夏が口にしていたのを思い出す。

 体育祭の時に彼に声をかけたクラスメイトの女子だ。



「体育祭の時はありがとう」

「ん…いや、別にいいよ」

「本当はもっと早くにお礼言いたかったんだけどね…」

 基本寝ているか教室にいない彼を捕まえるのは難しい、担任の真夏ですらわざわざ家にまで来るくらいだ。


「生徒会のお手伝い?」

「ああ、今日だけな」

「そっか、私は須藤さんと山下さんと来てるの」

 渡辺の後ろに隠れて様子を伺っている女子二人、まるでお化け屋敷の中にいるような視線を彼に向けている。


「すまん、誰かわからん」

「クラスメイトだよっ」

「そうか、悪い」

 そう言われたところで彼には見覚えも聞き覚えもなかった。


「それじゃ見回り頑張ってね」

「ああ」

 毎度同じ質問をするのも失礼だと感じた彼は念のために彼女達の顔を覚えておくことにした。




「アンタ…勇気あるわね」

「えっとね…柏木君って結構いい人だと思うの」

「そうなのかなぁ…」


 恐怖、その感情だけで人は人を危険視してしまう。

 周囲から恐怖心を向けられ、向けられた本人ですらも勘違いし自分は危ない人間だと思いこんでしまうこともある。

 だがそれは話してみて、接してみて違っていたことに気づくのだ。





 高校生らしき人物がトラブルを起こしているとの連絡がトランシーバーから流れていた。

 場所は射的屋、生徒会の連中よりも近い所にいた正人はめんどくさそうな態度を隠すことなくその場へと向かった。



 若い男子が商品を指差して文句を言っていた。

 祭りでよくある、取れてただとかイカサマしているだとかそういったものだろう。


「オヤジ!今の絶対取れ…」

「お前かっ!!」

「うお…っ、ま…正人っ!?」

 しょっぱな問題を起こしていた問題児、合田良樹。


「なんで…正人がここに…お前、それ!」

「ああ、生徒会に頼まれてな」

 正人の着けている腕章を見て驚いた良樹は身体を震わせながら彼に指を差していた。


「とうとう会長の犬になったか!犬塚だけにっ!」

「…ちょっとうまいじゃないか」


 確かに不良として名高い二人だがそこまで人様に迷惑をかけるようなことはしていない。

 妹を祭りに誘ったが断られた良樹は今日だけは虫の居所が悪かったのだ。


「畜生!兄よりも友達の方がいいって言うのかっ!」

「そら若い女子ならそうだろうな」

「正人を誘えば行くって言われたんだが」

「妹の中でお前の順位がどれほどなのか気になるな…」

 不憫な兄だった。



 とりあえず良樹に問題を起こさないように注意をしておく。

 決して正義のためではなく、めんどう事に巻き込まれるのがめんどうなだけ。



 そもそも最初からやる気のない彼、夏休みの補習のためとはいえ人ごみを歩くのはとても辛かった。

 笑顔の絶えない光景、その中で笑っていないのは彼だけだった。


―――似合わないんだ。




「柏木君」

「ああ…もう一人いたわ」

 笑いもしなければ怒りもしない人物がもう一人。

 スーツ姿の真夏は彼と違って腕に青海高校教員と書かれた腕章を着けていた。


「先生、アンタ何して…いや言わなくていい」

「?」

 見回りに教師全員が出動するわけがない、おそらく真夏は押し付けられたのだろう。

 制服にスーツ、場違いにもほどがある二人だった。



「…早く終わんねぇかな、腹減った」

「お腹空いたの?」

「時間が時間だしな」

 スマホの電源ボタンを押し時刻を確認すると、丁度7時になったところだった。


「待ってて」

「は?あ、おい…っ」

 そう告げた真夏は彼を置いてどこかへ行ってしまった。

 疲れていた彼はすぐ横にあったベンチに腰をかける。



「はい」

「はい?」

「たこ焼きよ」

「ああ…たこ焼きだな」

 真夏から受け取ったものは出来立てのたこ焼き、奢ってくれるという意味らしい。


「サンキュー、ありがたくもらうよ」

 無言で頷いた彼女は正人の隣に座りもう一つ袋から取り出した。


「おい、まだ熱いんじゃ…」

「…」

「…おい?」

「ふほ…っ」

「あ、熱いんだな」

 なら少しは表情に出せばいいのに。

 見回りをまかされた不良生徒と教師がたこ焼きを食べている異様な光景。


 笑い声が聞こえる、楽しげな雰囲気が視界に映る。



「柏木君」

「何だ?」

「楽しい?」

「…あ?何だよ急に」

 真夏らしくもない質問に質問し返してしまう。


「私は楽しいのかしら」

「…」

 食べる手を止めて目の前に繰り広げられている光景を見ながら彼女は呟いた。


「楽しむべきところなのかしら」

 間違いなく損をしている性格だった。

 楽しさがわからない、もしかしたら楽しんでいるのかもしれない、神はなんて残酷な感情を彼女に与えたのだろうか。


「楽しい?」

「聞く相手を間違えてる」

「ごめんなさい」

 正人は彼女と違って昔はよく笑った、ただ冷め切ってしまっているだけ。



「でもまぁ」

「…」

「居心地は悪くない」

「…居心地」

 嫌かそうじゃないかの判断、今はそれだけで十分な気がする。


「そうね、私もそうかもしれないわ」

「そか」

 真夏が彼に奢った理由。


―――こうしたかったからかもしれない。









「(全く、柏木のやつどこいったの?)」

 見回りをしながら一番の目的を探している冬子。

 花火が上がる時くらいは一緒にいたかったがこの人ごみではその願いは叶わないだろう。


「(でも…まぁ同じ場所にいるんだから)」

 一緒に見たことにしよう、と今回はポジティブに考えるようにした。

 正人と真夏が一緒にいることも知らないで―――。






 実は運が良かったのかもしれない。

 彼らが座ったベンチは花火が真正面に上がる位置にあった。


「すげぇな」

「そうね」

 決して綺麗だなんて似合わない台詞は口にしない。

 何もかもがどうでもよくなっていた生活の中で、まさか担任と花火を見ることになるなんて思ってもみなかった。


 人々は歩く足を止め、舞い上がる花火に目を奪われていた。



「…」

 真夏はじっとその光景を眺めていた。


「さてと」

 彼は重い腰を上げて立ち上がる、いつまでもこうしているわけにもいかない。


「そろそろ犬塚んとこに戻るわ」

「…」

 時間も時間、そろそろ帰る許可をもらってもいい頃だろう。


 花火の大きな音で真夏は彼が何を口にしたのか理解できなかった。

―――ただ唯一聞こえたのは。



「…っ」

「うぉっ…と」

 真夏は歩き出そうとした彼の手を掴んでいた。


「え…なに?」

 彼女の謎な行動、女性とは思えないほどの力。

 問いかけても真夏は無表情でじっと彼の顔を見ているだけだった。


 彼女自身理解不能、無意識に手が勝手に動いたのだ。

 何をしているのかわからないのに手が離れない。


―――犬塚、という言葉だけが聞こえた。



「おい先生」

「…ごめんなさい」

 我に返った真夏は名残惜しそうにその手を離す。


「…」

「…あ~っと」

 どうしたらいいかわからない正人は頭を掻きながら再度真夏の横に座る。


「…もうちょい見てくわ」

「そう」

 そして二人は無言で花火が終わるまでそこに居続けた。



 真夏はもう一つわからないことがあったのだ。


 花火の振動と共に揺れ動くこれが一体何なのか―――。

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