第10話 動かしたもの、動かされた心

「夏休み補習よ」

 そう告げた彼の担任、猫宮真夏はわかっていないのだ。

 そんな言葉をあの柏木正人に言ったところで全く意味のないことを。


「あ~わかったわかった」

 そして彼もわかっていないのだ。


「…」

「…」

「来なかったら家まで迎えに行くから」

「…ぐ」

 言ったところで絶対にサボる正人の性格を彼女が把握していることを。






「どうした正人、地球滅亡を告げられたような顔して」

 職員室を出て肩を落としながら教室へ向かっていると自販機のある方から良樹が現れた。


「夏休み補習だ」

「宇宙滅亡だ…」

「規模がでかくなってるぞ」

 青海高校で最も勉学という言葉が似合わない男、そのことは彼自身が一番理解している。

 大人しく補習を受けるか、それとも夏休みの期間だけどこかへ逃げるか。


「…」

 後者を選んだところで真夏ならどこにいても絶対に彼を探し当てるだろう。



「全く、相変わらずねアンタ達は…」

「…なんだ犬塚か」

「な…なんだとは何よ」

 本当に今回はたまたま彼らを見かけただけの冬子、昼休みだというのに資料を持って生徒会の仕事をしていた。


「そうだ…、悪いけど合田、席外してくれない?」

「バカ言うな会長、俺と正人は一心同体、置いていけるか」

 そんなわけもなければそんなつもりもない正人だが良樹が助けに入ってくれたことに感謝してここは黙っておく。


「ふ~ん…、なら覚悟はできてるのね」

「おっと悪い正人、用事を思い出した!」

「一心同体どこいった」

 良樹は一度その身で味わっているのだ、冬子のあの必殺技を。


「正人、ここはお前にまかせて俺は先に行く」

「最低なフラグの立て方だなそれ」

 一心同体である相棒を見捨てて彼は走り去っていった。





 冬子が正人と二人きりになりたかった理由は私欲のためではなく、仕事の話をしたかっただけだった。

 来週から始まる夏休み、その週末に近場で花火大会が行なわれることになっており生徒会は本校の生徒が問題を起こさないかどうかの見回りをまかさせれた。

 それを柏木正人にも加わってもらおうという提案。

 青海高校だけではなく、彼の名声はこの地域ではかなりのもの。

 そんな有名人が見回りに参加すれば悪さをしようなんて者はいなくなるだろう、と彼女は考えたのだ。



「来週の花火大会、一緒に行かない?」

「…は?」

 何も考えず簡潔に誘ってしまった冬子、それは間違いなくデートの誘い。


「(なん…か、これ…)」

 徐々に彼女の顔が赤くなっていく。


「ちが…っ、せせ生徒会のアレで…お祭りがソレで!」

「全く伝わらんから落ち着け」



 荒れた息を整えて事情を彼に説明する。


「それ、良樹でもよくねぇか…」

「ってことは柏木でもいいってことじゃない」

「…なんだそれ」

 生徒会も花火大会も彼には似合わないワード、断る以外の答えはない。


「悪いな、夏休みは忙しいんだ」

「そうなの?どこかに行くの?」

「先生と過ごす」

 そしてここにも何も考えずに言ってしまう男がいた。


「は?」

「ちょ…お前なんつー顔してんだっ」

「先生って猫宮先生よね、どういうことよ」

 ただ単に正人は説明するのがめんどうだったから簡潔に言っただけである。


「補習だよ補習」

「な…、滅亡だわ…」

「もうそれさっきやった」

 彼自身も理解しているが、ここまで驚かれるとそれはそれで悲しいものがある。



「花火大会は夕方だから大丈夫よ」

「断る、疲れるだろ」

「はぁ…、少し補習を減らしてもらえるよう交渉してあげるから」

「オーケー、引き受けたっ」

 たったそれだけで夏休みの補習が減るのなら大歓迎である。



「んじゃまた連絡…す…」

 そして冬子は思い出したのだ、彼の連絡先を知らないことに。



「か、かかか柏木…」

「なんだよ、まだ何かあんのか」

「その…時間、とか…伝えなきゃいけないじゃない?」

「ん、ああそうだな」

 小学校の頃の連絡網が残っているので実家は知っているが、彼のスマホの番号までは知らない。

 手に持っていた資料を落としそうになりながら彼女は制服のポケットからスマホを取り出した。



「ば…番号、おおお教えといてもらおうかしら…」

「あいよ」

「返事軽いわね、しかも私に渡すのね…」

 見られても一切困ることがない彼は平然とした表情でスマホを冬子に渡す、電話帳に入っているのは母親と良樹の番号だけ。




「(猫宮先生のは…あ、ないっ)」

 ライバル視している真夏よりも先を越せたことに気がつき、自然と笑みが零れ落ちた。



「はいっ、ありがと!」

「あぁ?何か急に機嫌良くなったな」

「気のせいよっ」

 その日の夜、冬子はベッドの上で彼のアドレス帳を見ながら寝落ちしてしまうのだった。



 冬子がいなくなった後、スマホの中を確認すると彼女の名前がちゃんと登録されていた。


「なんでお気に入り登録してんだあのバカは…」






 終礼後、真夏は用意していた夏休みの補習日程表を正人に渡すため教室から出ずに彼の席へと足を運んだ。

 

「柏木君、夏休みの補…いない」

「彼なら起立、って言った時にはもう教室から出てましたよ」

 正人の隣の席に座っている女子がその一部始終を見ていた。


 真夏は日程表を手に持ったままどうするか考える、全く表情を変えない冷血の猫の直立無言の姿は周りの生徒からすれば恐怖でしかなかった。


「ね、猫宮先生?」

「なに?」

「い…いえ、なんでもないですっ」

 これが普通の生徒の反応であり、真夏に意見や説教ができる彼は特別なのだ。






「…」

「…」

 アパート前、正人は鍵を取り出したところで足を止めた。


「何やってんの…?」

「夏休みの補習日程表を渡そうと思って」

 現時刻は夜の八時、真夏は正人が帰ってくるまでずっとアパート前で待っていた。

 HRが終わった後さっさと学校を出た彼はこんな時間になるまで外をぶらついていた


「…ずっと待ってたのか」

「ええ」

 スーツ姿の微動だにしない無表情な女がアパート前で突っ立っている恐怖。


「よく通報されなかったな」

「さっき警察の方が通ったわ」

「ほぅ」

「逃げて行ったわ」

「…」

 幽霊だと思われたらしい。



「わざわざ来なくてもいいだろ…」

「連絡先知らないわ」

「あぁ…」

 彼はそこでポケットに手を入れるが、握り締めたものを本当に取り出していいものか悩んだ。

 教師に連絡先を教える、それは彼にとってめんどうなことにならないかと。

 だが抜き打ちで来られるよりかはマシだと判断した。


「ほら、勝手に登録してくれ」

「いいの?」

「ああ、だから来る前に一度連絡してくれ」

「わかったわ」

 真夏は不慣れな手つきで受け取った彼のスマホの番号を自分の方へ登録する。

 誰からかかってきたかわかるように彼の方にも真夏の番号を登録しておこうと電話帳を開いた。



「…」

「どした?」

「なんでもないわ」


 何故手が止まったのだろうか。

 勝手に人のプライバシーを覗いた罪悪感か、それとも友人の少なさに驚いたのか。


「(一瞬何かざわついた気がする)」

 真夏は入力しながら心の中で呟いた。

 生まれて初めての感覚、何が原因でそうなったのかはわからない。


―――今何を見たのかしら。


 彼の電話帳を開いただけ。





 感情を持たない彼女の手を止めさせた正体とは。

 それは登録されたばかりの女子の名前にお気に入りのマークが付いていたこと。



 そんなこと今の真夏には考えてもわかるはずもなかった。



「つーか明日直接渡せばよかったんじゃね?」

「あ」


 考えなしに動いてしまう真夏の悪いクセであった。

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