第9話 笑い合えるように

 6月に開催される青海高等学校の体育祭は他の学校とは少し違って、教師や親の参加も認められていた。

 正人が体育祭があることを知ったのは昨日、何の種目に出るのかを知らされたのもその時だ。

 200m走、目立たず一番不人気な種目。

 それすらもバックれようとしたが真夏によって阻止されてしまった。




 赤組である2年B組は何気にMVP賞を目指していた。

 実はこのクラスは運動部が少ない、よって他の組からは全く敵として見られていなかった。

 悔しくなったクラスメイト達は彼の知らないところで赤組の勝利よりもMVP賞を狙おうという話になっていた。




「何あれ、走る気あるの?」

「ねぇよ、つーか何でお前いんのよ」

 一番最初に出番を終えた正人はクラスの持ち場に戻って腰を下ろすと後ろから現れた冬子に声をかけられる。

 A組からF組まであるこの学校、彼の順位は6人いて5位だった。


「本気じゃなかったんでしょ?」

「あ?本気に決まってんだろ」

「だって柏木、アンタ小学校の時運動神経良かったじゃない」

「昔は昔だ」

 小学校の頃の彼は運動神経がいいとチヤホヤされ、今ほど無機質な性格はしていなかった。



「お前は何に出るんだよ」

「借り物競争」

「あっそ」

「あっそて…」

 少し寂しそうな声を出す冬子、彼には興味がないことなのだからしょうがない。




 周囲を見渡しながら去っていく冬子は生徒会として校内の見回りもしているようだった。

 何の得にもならない仕事までして何が楽しいんだ、と彼には全く理解できなかった。



「次の障害物リレー頑張ろうね!」

「おう!他のクラス見返してやろうぜ!」


 そして何がそこまでやる気にさせているのかも理解できなかった。




 序盤にやる事がなくなった正人は小銭を持って自販機へと向かっていた。

 疲れるだけの体育祭、得るものがなく無駄に過ごすだけの一日。

 一致団結、普通ではない彼にそんなものができるはずがない。



「…もう一人普通じゃないのがいた」

「ひどいわ」

 正人が途中に出会ったのは猫宮真夏、校舎前でかかしのように突っ立っていた。


「何やってんだ…?」

「案内係りよ」

「…人形にしか見えんのだが」

「先ほど置物だと思われて記念撮影されたわ」

「…」

 何もしていない時の彼女は呼吸をしているのかすら怪しく思えるほど全く動かない。



「ってかジャージ?」

「私も出ることになったわ」

「押し付けられたんだな…」

 拒否しないとわかっていて他の教師達は彼女にお願いをしたのだろう。


「何に出るんだ?」

「借り物競争よ」

「…マジかよ」

 それは冬子も出場する種目。

 実は生徒達の間で生徒会長と猫宮先生不仲説が流れ始めている、友達のいない正人はそんな噂など知らないが直接的にその事実を目にしている。


 大事にならなければいいが、などとフラグを立てるようなことを考えていた。






「おう正人、こんなとこにいたのか」

「何なんださっきから…」

 次に現れたのは良樹、彼の参加していた障害物リレーはすでに終わっていた。


「見てくれよ、膝を擦りむいたんだ」

「うわ、グロいな…」

「顔じゃねぇよ、膝だよ」

 調子に乗った時の彼は少しどんくさいところがある、普通にやっていれば決してこんなことにはならない。


「ってか、正人のクラスすげぇやる気だったぞ」

「みたいだな」

「ま、お前には興味のないことか」

「まぁな」

 他のクラスを見返して何になるというのだろうか。


「正人が他の種目も出れば可能性はあるのにな」

「んなわけないだろ」

「お前の身体能力は俺が一番知ってんだよ」

 彼は正人の肩を何度か叩いて校舎内に入っていく、保健室にでも向かったのだろう。



「(大人しくしてよう…)」

 これ以上ブラつくとまた誰かに会ってしまうような気がしたので彼は大人しく持ち場へと戻ることにした。





『5コースは我らが会長、犬塚冬子だ!!』

 正人が戻ると丁度始まる直前だった借り物競争、声援浴びる冬子は校内で人気の高い存在だ。

 手を上げて周囲の声に答える彼女の姿はまるでアイドルのようだった。


『6コース目は冷血の猫、猫宮先生!!』

 あれちゃんと動くの?と言いたくなるほどの見事な直立っぷり。




「先生だからって容赦しませんよ」

 開始の合図まで軽く柔軟している冬子は隣に立つ真夏に宣戦布告を送る。


「私は教師として負けた方がいいのかしら」

「…んなっ」

 決して悪気があって言ったわけではない真夏の発言は冬子にとって嫌味にしか聞こえなかった。


「手…抜いたら怒りますよ」

「わかったわ」


 午前の部の中で一番盛り上がっているのではないだろうか。

 猫と犬の勝負、他にも出場者はいるがそんなのは周囲の目には入っていない。



 ピストルの音と同時に一斉に走り出す。

 先にお題が書かれてある紙へとたどり着いたのは冬子、伊達に毎日正人を追い掛け回してはいない。


 【幼馴染】

「んほっ!」

 ものすごくピンポイントで、まるで彼女のためだけに作られたようなお題だった。



「(うそ…どうしよう…、柏木しかいない…)」

 そうチンタラしている内に他の生徒達が次々に紙を持って走り出していた。


「…」

 そして真夏も紙を開いた瞬間に真顔で走り去っていった。


「(くそ…あの女にだけは負けたくない!)」

 覚悟を決めて冬子は重い足を動かした。






「で、何なんだお前らは…」

「柏木っ、付いてきて!」

「来て、柏木君」

 冬子と真夏の選んだものは柏木正人。


「猫宮先生、私が先に柏木に言ったんですよっ」

「でも私が先に彼のもとへと向かったわ」

 見世物にもほどがありすぎて死にたい気分になる正人、彼自身は彼女達のお題が何なのかはわかっていない。


「オ…オーケー、先にお題を聞こうか」

「幼馴染よ」

「…マジか」

 それは反抗も反論もすることができない。

 勝利を確信した冬子は正人の右腕を引っ張って走り出した。

 が、何を考えてか真夏も負けずと彼の左腕を掴んで一緒になって走っていた。



「諦め悪いですよ猫宮先生っ」

「犬塚さんこそ」

「やめてっ、恥ずかしくて死にそうっ!」

 校内で最も有名な彼が女二人に引っ張られている光景。



「せ…先生は一体どんなお題なんだよっ」

 彼は腕の痛みに耐えながら必死になって彼女達に付いていく。


「男」

「…おっとそれ俺じゃなくてもいいやつ」


 真夏がそのお題を開いたときに真っ先に思い浮かんだのが彼だった。





 午後になり、2年B組は絶望に陥っていた。

 最後の目玉、全校生徒によるリレーで出るはずだったクラスメイトが怪我をした。

 代役を立てることは可能だが体育祭で出場できるのは一人二種目までと決まっており、残っているのは間違いなく運動が苦手な男子だけだった。


 その中に彼も入ってはいるが怖くて誰も声をかけられない。

 だが本当に負けたくない気持ちの大きかった一人の女子が勇気を振り絞って正人に話しかけた。


「あ…ああの柏木君」

「あ?」

「ひっ…、も…もし良かったら出て…くれないかな?」

 特にクラスに危害を加えたわけでもないのにこの恐れられ方はあんまりである。


「見ただろ、俺200mで5位だぞ」

「う…うんっ」

 それでも残ったやつよりかはマシ、とでも言いたげな顔だった。


「悪いがことわ…」

「いいですねっ、出ましょう柏木先輩!」

「…」

 突如現れた良樹の妹の美穂、何故一年がこんなところに?といった空気が流れていた。


「妹…お前何しに…」

 と最後まで言わずに少し離れた先に視線を向けただけで状況はだいたい把握できた。

 良樹がニヤニヤしながら正人の方を見ている。

 妹を使って正人を動かそうという卑怯な考え。


「柏木先輩っ!」

「う…うるさいな」

「かっしわぎ先っ輩!」

「…やめてくれ」

「かぁああっしわあああぎせぇえ」

「わかりました出ます!」

 美穂の無邪気さに負けた正人であった。





「負けても知らんぞ」

「あの、はい…ありがとう」

「…」

 5走者は先ほど彼に話しかけてきた女子で、アンカーを任された正人は彼女からバトンをもらうことになる。

 リレーの出場者が並んだ時、何故あの柏木正人が?といった視線が飛んでくる。

 彼が見渡すと周囲の眼が一気に明後日の方を向いていた。


 運動部はわかりやすくユニフォームを着ている。

 F組なんて全員陸上部、体操服姿のB組が小物に見えてしまう。




 結果は決まっていたようなものだった。

 1走者目ですでに周囲から差を開かれていた。

 勝てるわけがないとわかっていてもB組を応援するクラスメイト達、その中に彼も入っているのだが他人事のように思えてしまう。



「なぁ」

「え…?」

 彼らのクラスを応援する先ほどの女子に声をかける。


「そんなに勝ちたいのかよ」

「それは…」

「…」

「…うん、勝ちたい」

 一生懸命走るクラスメイトを見ながら彼女ははっきりと言った。

 敵として見られていないB組、そのことが悔しいのももちろんだがそれ以上の望みが彼女にはあった。


「たとえ負けても皆と笑い合えるように頑張りたい…」

「…そか」

 正人の知らないところでクラスの仲がそこまで出来上がっていたとは思わなかった。





「B組アンカー出てください!」

 重い腰を上げる。

 可哀想に思えるくらいに惨めな順位、それでも5走者の女子は必死になって走っていた。


―――笑い合えるように頑張る、か。



「(そういや一人、頑張っている奴いたな)」

 教員席に視線を向けるとジッと彼を見つめている真夏と眼が合った。







「お兄ちゃん、次柏木先輩だよ!」

 美穂は子供のようにはしゃいでスタンバイしている正人の方へに指を差す


「ああ」

「でも今最下位なのに大丈夫かな…」

「無理だろうな」

「そんな…」

 良樹の発言に肩を落とす美穂。


「ま、アイツが【手を抜かなければ】な」







 体育祭は何事もなく無事終了。

 優勝は白組、総合的に成績の悪かった2年B組はMVP賞すら取れなかった。




「おつかれさま」

「あぁ先生か」

 片付けをサボり裏庭で寝転がる正人に声をかけてきたのは真夏だった。


「渡辺さんが探してた」

「…誰だ」

「同じクラス」

「知らん」

 彼には全く聞き覚えのない名前だが、きっとあの女子で間違いはないだろう。

 真夏はその女子に代わって正人を探していた。


 正人は隣に腰を下ろした真夏に視線を向けた。

 高校二年になり、彼女が担任になってからいろんなことが立て続けに起きている。

 めんどう事が嫌いなのにめんどう事が彼を好んでやってくる。


「なに?」

「真顔で体育座りって気持ち悪いな」

「ひどいわ」

 できれば何事もなくのんびりと過ごしたい彼。


 だけど柄にもなく思ってしまったのだ。


「そう、渡辺さんから伝言」

「だから誰だ」

「ありがとう、おかげで見返せたって」

「…そっか」


―――疲れたけど悪い気分ではない、と。

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