第8話 兄妹
良樹の妹、ただそれだけの理由で彼女は何度も苦労した。
合田 美穂(ごうだみほ)
青海高校1年A組、152cmのツインテールがよく似合うごく普通の女子高生。
成績も運動神経も普通の彼女が得意とするものは家事であり、幼い頃に母親を亡くした美穂は合田家のその全てをまかされていた。
父は空手道場の師範代、兄はその血をちゃんと受け継いではいるが一向に道場には顔を出していない。
「お前、あのろくでなしの妹なんだろ?」
「あんま調子乗るなって兄に言っとけよ」
本当に不良の兄を持つと大変である。
「直接言ってください」
「あ?」
女子一人を囲んでいる年上の学生、彼女はその連中を知っていた。
赤坂高校の空手部、一度合田道場へ来ているのを目にしたことがある。
武術をやっていることをいいことに暴行、乱闘、恐喝、などを繰り返しているという。
強い者相手には数を集め、敵わないとわかっていればこうして関係のない人間を巻き込む。
最低な生き物―――。
「ナメんなこのクソチビが…っ」
「あ…っ」
その情けない声を出したのは決して彼女ではない 連中の一人が手を振り上げた時、たまたま通りかかった男性にぶつかってしまった。
美穂以上に巻き込まれやすい体質の青海高校の男子生徒。
「なんて…ことだ」
「なんだてめぇコラ」
その男子はひざまずく状態のまま起き上がる気配はない。
「あのっ、逃げてください!」
「何ビビってんだ、コ…ラ…」
膝を付いたその男の髪を引っ張り、顔を確認すると不良達の顔色が急速に悪くなっていく。
「おま…かしわ…」
彼の髪を引っ張っていた男の眼が白くなり地面に倒れこんだ。
「テメェら…全滅だ」
ゆらりと立ち上がるその人物の顔を見てやっと彼女もその正体に気がついた。
「…そして」
美穂の通う学校の兄に並ぶ有名人。
「卵も全滅だコラァ!!」
お買い得品、お一人様2パックまで。
「すみません…弁償しますので…」
「いやいいよ、それにアンタのせいじゃないだろ」
一応スーパーの袋の中身を確認するが、残念なことに一つも生き残っているものはなかった。
赤坂高校空手部は県大会で上位の成績を収めるほどの強者揃いで有名だが、そんなことは柏木正人には関係のないことだった。
「…捨てるか」
「え…あ、待ってくださいっ」
彼女は倒れた男共をまたいで帰ろうとする正人を止める。
「どした」
「あの、それ見せてください」
美穂は彼の持っている袋の中身を確認する。
確かに卵は全て割れているが殻を取って今日中に使ってしまえば何とかなりそうだった。
「使わせて下さい」
「使うって、これをか?」
「はい、家すぐそこなので作ります」
全部使い切ることは不可能だが、これだけあればお腹いっぱいの一食分を彼女は作れる自信があった。
「知らない男に付いてっちゃダメって習わなかったのか」
「私が誘ってるんですよ、柏木先輩」
「…何で俺の名前知ってんだ?」
休日の夕方、お互い初対面で制服を着ているわけでもないのに何故彼女は柏木正人を知っているのか。
「…んがっ」
正人が彼女の正体に気がついたのは引っ張られて連れてこられた道場を目にしてからだった。
「合田美穂、良樹の妹ですっ」
「実在したのか…ってか人だったのか」
「合田家を何だと思ってるんですか柏木先輩は…」
背は低めで童顔、長身で強面の兄と同じ血が流れているとは思えない。
家庭的な妹がいる、その話は良樹がよく口にしていたことだが実のところ少し疑っていた面もあった。
「好きなとこ座ってください」
「お…おう」
歴史を感じるような造りの家、美穂は慣れた手つきでエプロンを付け正人の持っていた袋の中を漁る。
「心配しなくても父は強化合宿で今日は帰ってきませんよ~」
「それ別の心配があるよね!」
誰もいない家に高校生の男女が二人きり、普通に考えたら結構まずい状況である。
「良樹…、兄貴はどこ行ってるんだ?」
「わかりません」
「大変だな…妹ってのも」
「…あはは~」
美穂が料理をしている間テレビを見ててもいいと言われた彼だが、さすがに後輩の女子にまかせたままというわけにもいかない。
「何か手伝おうか」
「いいですよ、お客様は座っててください」
「…むぅ」
と言われても落ち着けるわけがない。
しかし彼女の手際の良さを見ている限り、正人が入れば足手まといになってしまうだろう。
「柏木先輩は…兄のことどう思ってますか?」
彼に背を向けたままの唐突な質問。
少し声のトーンが低めだったことを正人は見逃さなかった。
「まぁ…そうだな、優しい兄なんじゃないか?」
「本音で言ってもいいですよ」
「バカでクソだな」
「…」
美穂に言われてつい本音で答えてしまう正人。
「…バカでクソだけど」
「え?」
台詞に続きがあるとは思っていなかった美穂は手を止めて振り返った。
「ヤな奴じゃねぇよ」
「…柏木先輩」
だからこそ一緒にいられる、嘘偽りのない言葉。
彼女はそれを聞いて安心した笑みを浮かべた。
「ふふ」
「な、なんだよ」
「いえ、兄と同じこと言ってたので」
「マジか…」
―――アイツはどうしようもないけどヤな奴じゃない、と。
「あんな兄貴がいて迷惑だろ」
「うーん、まぁ男子は近寄ってきませんね」
悪名高い兄貴がいる女子、近づこうだなんて思う勇気ある男子はいないだろう。
「彼氏できないな」
「あはは、そうですね」
そして正人は良樹のシスコンっぷりを一番知っている。
「あ、でもそれは半分正解で半分不正解です」
「なんだそりゃ」
「それは…」
美穂の台詞をさえぎるかのように、ものすごい足音が彼らの方へ近づいてきていた。
「オルァ!誰だ!男の靴があったぞ!!」
「俺だ」
「何だ相棒か」
「誰が相棒だ」
やはりコイツはバカだと改めて彼は思った。
「って何で正人がウチにいるんだよ」
「かくかくしかじか、だ」
「なるほど、全くわからん」
「えっとねお兄ちゃん…」
料理中の美穂は一旦手を止めて事情を説明する。
絡まれたこと、そこへ正人が現れたこと。
「赤坂高校…か」
「心配しなくてもありゃもう手を出して来ないと思うぞ」
全員漏らしていたのは確認済みである。
「でもま、忠告くらいはしておくか」
「やりすぎんなよ」
妹に手を出そうとしたんだ、正人に止める筋合いはない。
先ほど正人が言ったように良樹は不良だがヤな奴ではない、矛盾しているかもしれないが間違いではない。
「なんだよ、泊まっていけばいいだろ」
「帰るっつの」
大量のオムレツをご馳走になった正人は満たされた腹をさすりながら道場の門を抜ける。
美穂の作った料理の味付けは家庭的でとてもおいしかった。
「ボーイズトークしようぜ相棒」
「とてつもなく気持ち悪いなそれ」
「迷惑でしょお兄ちゃん」
「むぅ…」
本当に仲のいい兄妹。
そんな二人を見て彼は自分の家庭を思い出そうとするが母親の顔が過ぎった瞬間に自らシャットアウトさせた。
「それよりもお兄ちゃんお風呂のお湯止めた?」
「しまった…」
「…もう」
「んじゃな正人、また月曜日!」
近所のことも考えず大声を出して家の中へと戻っていく良樹。
どこにいても騒がしい男。
「んじゃ帰るよ、ご馳走さん」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
軽く手を上げて足を動かそうとした時、
「あ、柏木先輩」
「ん?」
途中になっていた会話。
「私に彼氏ができないって話ですけど」
「あぁ、そういや半分正解で半分がなんたらって言ってたな」
「はい、前に兄に言われたことがあるんです」
その話の続きを聞いても彼に理解できるはずがない。
「美穂の彼氏として許せるのは今のところ一人だけだな、と」
「ほぉ…アイツが誰かを認めるのは珍しいな、誰?」
彼に理解できるはずがないんだ。
「さぁっ?誰ですかねっ」
美穂はあんな兄でもたまにはいいことを言うんだな、とそう感じたのだった。
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